第3話

 礼拝が終わり、神父を駐屯地の外に待たせてある馬車まで送って、ネーリは騎士館に戻った。今はスペイン海軍の絵を描いている。イアンは、本国に送りたいと言っていた。得体の知れないヴェネトに着任したスペイン海軍が、美しい姿でそこに在れば、侮られることはないと安心出来るかもしれないからと。

 誰かを安心させるための絵。

 あまり描いたことのない題材だから、楽しかった。

 そこに存在を感じられるように、写実的に船を描く。そうすれば、旗艦【アストゥリアス】だと、船を知るものは一目で分かると言っていた。

 イアンは家族のことも話してくれた。

 豪気で立派な父親と、複数の妾を持つ夫を許し、理解し、彼女達の子供もまとめて、自分の子供だとひとくくりに、区別なく愛情を注いで育て上げた母親。

 イアンの母親は、同じ城に妾が住むことを許さなかったという。別の城を用意させ、子供たちだけを王城に招き、教育した。自分をただ一人の母親だと思うようにと、厳しく幼いころに子供たちを躾けた。そのかわり、他の母親には必ず一年の最初に子供を新年の挨拶に向かわせて、母の大切な人だと思い、尽くして挨拶をしなさいと命じたらしい。

 父親は子供の幼少期の教育には携わらなかった。

 母親がある程度育て上げた子供たちに、馬や剣や戦術を父親が教え、軍人に鍛え上げる。

 そういう役割分担をしていたのだという。

 父親は子供たちを分け隔てなく可愛がったが、母親を子供たちが悲しませたり軽んじたりすることがあれば、容赦なく殴り飛ばして来たらしい。

『イアンもお父さんに叩かれたことがあるの?』

 当たり前や、とイアンは明るく笑った。

『あいつ手加減っちゅうもん一切知らへんねん。母親の名で開く夜会とか、蔑ろにしたり、挨拶行くべき時に行かへんと容赦なくぶん殴ってきよる』

 ネーリは祖父に殴られたことなんか一度も無かった。いつも優しく、撫でてくれた。

『怖くないの?』

『怖いで~。うちの親父背ぇこんくらいあって、腕もこんなぶっといねん。けどあの二人はああいうバランス取っとんのやろうな。基本的にうちは母親が怖いけど、母親がめっちゃキレて荒ぶってる時は父親が殴ってきよる。逆に父親が暴れ回っとる時には、母親が子供集めて、絶対親父には子供殴らせへんねや。まるで戦場の指揮官と副官やアレ。息ピッタリで見事なもんやわ』

『じゃあイアンもご両親みたいな結婚がしたいんだね』

 ネーリが微笑ましそうに言うと、イアンは吹き出した。

『ちゃうちゃう! 俺はあんな指揮官と副官みたいな夫婦になりたくあらへんわ! 普段も軍隊におるのになんで家まで軍隊せなあかんねん。絶対嫌や』

 彼はおかしそうに笑っている。

『俺はもっと普通の恋愛する夫婦になりたいよ。子供を平気で叩く親にもなりたない。叩かれて、痛かったからな。奥さんに叩かせんのも嫌やから、必要なら俺がするけど。二人で出来るだけ叩いたりせんと、子供は育ててやりたいな。ほんで子供が大きくなって巣立った後も、ずーっと奥さんとは恋人同士みたいに仲良く出来てたらええな。まあこれ言うたらオカンに【あんたはいつまで夢見がちやの!】ってなんでかめっちゃキレられたけど。ええやんなあ。単に理想の話をするくらい』

 イアンとの話を思い出して、ネーリは笑ってしまった。

 でも、聞いてよかったとも思う。

 彼の父親と母親、スペイン王国の王と王妃。

 どんな人柄か、よく分かった。どんなことを気にして、どんなことを価値があると思う人かも。彼は父のことを「絵の上下も分からない人間」と言っていたけど、母親の芸術を見る目は確かだと言っていた。

 ネーリはイメージする。

 会ったこともない人。

 でも神父も、画家は時に、見ていない世界さえ最高の直感と最高のイメージで、本能的に描くことが出来るとも言っていた。

 イアンの容姿を思い浮かべて彼の話を思い起こせば、偽りや、おざなりのものを嫌い、真実だけを真っ直ぐな強い瞳で見つめ、多くの子供たちの敬意と愛に支えられた、華やかな大輪のような雰囲気を纏って笑う、明るい気性の王妃の姿がイメージできる気がする。

 彼女が自分の絵をじっと見つめるその様も。

 この絵はその強い、揺るぎない直視に耐える強度に仕上げなければならない。

 同時に、船の上が大好きだと海と、空、輝く星の下で、自ら楽器を奏でて部下達と分け隔てなく歌い笑っていたイアン・エルスバトの姿を思い出す。

 イアンの母親が画家なら、彼は彼女の【傑作】の一つだ。彼の中に、彼女の愛するものが隠れている。その二つを掛け合わせてこの絵は仕上げよう。

 きっとスペイン艦隊の立派さと、それを率いる、勇敢な末の王子の姿をイメージしてもらえるように。


「ネーリ」


 ネーリは騎士館では、寝る時以外は扉を開いたままにしている。そうしないと何かの時、騎士たちが創作の邪魔にならないか、そういうことをとても気にしてくれて申し訳ないからだ。扉を開けていれば、廊下を通り過ぎる騎士達に笑顔で挨拶も出来るので、そうしている。ネーリは人の気配はあまり気にならない。彼は王都ヴェネツィアの街中でも絵を描く。人の気配がある中で描くなど、慣れたものだった。

 開けたままの扉を小さくノックして、フェルディナントが立っていた。

「フレディ、お帰りなさい」

 礼拝の後、建設中の新しい騎士館の方を見に行くと言っていた。何かを言おうとした彼がネーリの言葉を受けて、一瞬間を作り「……ただいま」と微笑ってくれた。

「もうお仕事終わったの?」

「ああ」

「そうなんだ」

「お前は?」

 ネーリは夜中に描きたくなって描いてることもあるので、それで聞いたのだろう。

 絵の前にいたネーリは、絵の中の船を辿るようにして、手を動かしてから頷いた。

「……今日は今、心が落ち着いてるから。このまま寝ようかな」

「そうか」

 絵を優しい表情で見ているネーリを眺めていたが、不意に彼が振り返る。

「あっ。大丈夫だよフレディ、ぼく寝るけど、本当に忍び込むのは今日でやめたから。安心して寝てね」

 フェルディナントが上着を脱いで、脇に抱えた。

「ネーリ……そのことなんだけどな」

 ネーリは目を瞬かせる。

 数秒躊躇った後、フェルディナントは一大決心をしたような顔で、一歩、部屋に入って来た。


「…………一緒の部屋で寝ないか?」



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