第2話
「よーう! 大好きな親友~~~~~!」
ラファエルが両手を広げてバーン! と扉を開け登場すると、室内の窓辺に腰掛け煙草を吸っていたイアンは嫌な顔をした。
「また~。お前がダメなのそーいうとこよ? お城にいる限り顔面はいつもニコニコ! 顔を顰めて煙草吸うとかハイ不良~~! ダメです~!」
イアンがやって来て、扉を閉めた。閉めた途端に彼は目にもとまらぬ速さでラファエルの首に腕を回し締めにかかる。
「いだだだっだだだだだだだだだあああああああああああ!」
バンバンとイアンの腕を叩いて外せとアピールするが、スペイン将校は力を緩めない。
「だったらもうちょっと普通に入って来いやァ! お前がいつもそやってグイグイ押して来るから俺が嫌な顔すんねん! 俺は自分から行きたいタイプや! グイグイくんな‼」
「イアンくん きみ今誰の首絞めてますかあああああ!」
「おまえや!」
「俺殺したらスペインとフランス戦争になるよ⁉ そのあたりのことほんと分かってる⁉ 分かってませんね……ああなんか目の前が白くなって……きた……」
本当にラファエルが静かになりかけたので、イアンは軍隊仕込みの首絞めを解除してやった。人間がどれだけ持つかなど、彼は加減は分かっている。
「……優雅な俺様の首をフルパワーで締めにかかるひとなんてフランスには一人もいないよイアン君……きみ、前から乱暴な人だなあとは思ってたけど数年会わない間に更に凶暴になっちゃったねえ……」
「何しに来たんやラファ。あんま城では親し気に話しかけてくんな言うたやろ」
「なんでよ~ 俺王妃様のお気に入りなんだよ? 俺がこうやって親し気に話しかけてあげたら『あら。イアンさんも貴方のお友達だったの? だったら仲良くしてあげてもいいわよ♡』って思ってもらえるかもしれないんだよ? 感謝してほしいくらい」
「へ~ そら有り難いこっちゃな。けどお前の助力なんぞ必要ないわ。実際お前と関係なく俺はこうやって城に呼ばれとる。あとはきっちり仕事をこなして 俺自身を評価してもらえばいいんや。お前らのお仲間に頼み込んでしてもらう気なんぞ、俺はサラサラない。よォ覚えとけ」
「突っ張っちゃって……」
ラファエルはやれやれ、と部屋の中に入って来て、ソファに腰掛ける。
「なに寛いどんねん帰れや」
「いいじゃない。お友達同士少しくらい話したって。城に来てからお前が王太子の公務の護衛以外部屋に閉じこもってるって聞いて心配して来てあげたのにさ~」
「余計なことせんでええって何べん行ったら分かるねん。あと誰が閉じ籠もっとんねん。人を引きこもりみたいに言うな」
「引きこもってるでしょ~。馬に乗ったり船に乗ったり女に乗ったりするのが好きなイアン君が一日中部屋で書類とにらめっこなんて似合いませんよ?」
「おまえホンマ……、余計なこと王妃の前で言ってへんやろな?」
イアンが口許を引きつらせている。
「まだ言ってない。俺っていい奴でしょ?」
「あいつ明らかに女関係の噂潔癖そうだからホンマ余計なこと言わんようにせえよ。俺もホンマやったらお前のことクソ女ったらしですねん密告したいとこやけど、あまりにシャレにならんそうだから黙ってやってんやからな」
「優しいじゃん」
「そういうことじゃねえ」
イアンがラファエルの足を蹴っている。ラファエルが完全に居座ったので、イアンは諦めた。
「例の人見つかったんか?」
「ああ! 会えたよ」
へぇ、という顔をイアンが見せる。
「そうなんか」
こいつのことだからもうどうでも良くなってんのかと思ったわ、と考えていたのである。
「どやった?」
「どやったって?」
イアンが足先でまたラファエルを軽く蹴る。
「お前のこの国に来た最大の目的やったんやないんかい」
「うん。そうだよ」
「相手の女、結婚してたんか?」
ラファエルがあまり盛り上がって来ないのでイアンがそう聞くと、予想に反してラファエルが笑った。
「してなかった」
「ふーん。そら良かったな。親とかお前のこと知ってんのか?」
「親は亡くなってる人なんだ」
イアンがふと、ラファエルを見る。
「そうなんか?」
「お世話になってる人はいるみたいなんだけどね。でも本当の家族は稀薄なんだ」
「へぇ……」
「ん? なに?」
「いや。俺んとこもそうやけど、お前のとこも家族は賑やかやろ。まあフェルディナントとか見てるとあんな奴らでも無事で元気にしとるのを喜ばんとあかんなあ、って思うんやけどな。俺も自分のとこが賑やかでそれが当たり前だから、妙に独りでおる女とか、確かに気になるねん。世の中には信じられへんくらい、孤独な生い立ちの奴とかおるもんな」
「まあねえ。でもまあどう生きるか、っていうのは結局その人が決めることでしょ。俺は別に孤独な人間に惹かれてるわけじゃないよ。家族にちやほちゃされてる俺と違って、誉めてくれる人間が少ない中でも、すごく優しくて温かい人だってのは魅力の一つだけど、孤独だから惹かれたわけじゃない」
「分かっとるわ。俺かて孤独な人間が偉いなんて言うてへん。孤独な人間はいるねん。どんな巡り合わせかは知らんけど。そんな中で思いやりを持ったり、孤独な人間であることを感じさせない大らかさや明るさを持つことが、どんなに難しいかは分かる。せやから、そういう人間が魅力的に見えるんや。俺たちみたいな奴にはな。自分が孤独でも、他人を孤独な気持ちにさせへん、そういう温かな雰囲気持っとる奴に」
ラファエルがソファのひじ掛けに頬杖をついて笑った。
「まぁね」
「ふーん……そういう事情の女やったんか。お前のことやからまた美人の未亡人とか、大貴族だけどエロい令嬢とかそんなんかと思ってたわ。一癖あって忘れられへんみたいな」
「……イアン君きみ俺のことどういう人だと思ってるわけ?」
「お前は女を収集する奴や」
煙草の煙を吹いて、イアンは言った。
「女なら誰にでも愛想よくするけど、ホンマは誰のことも本気やない。手に入れるまでは熱心に口説きよるけど、手に入ったら目的はもう達成や。次の獲物を狙うやろ?」
「随分人を腕のいい猟師みたいな言い方してくれるねえ。俺は付き合った人とは全員仲良しよ?」
ラファエルが優雅に抗議したが、イアンは鼻を鳴らす。
「お前が誰か一人を追い求めて、手に入れた後もそいつだけを大切にしとるとこなんか一度も見たこと無いわ」
「あっ ひどい。こんなに純愛主義の俺様を捕まえてそんなこと言う? イアン君だってアラゴン家の末の王子様だわー♡って寄ってくる女の子いつも選り取りみどりのクセに。
君だって誰か一人を愛し続けたことなんかないじゃない」
「アホ言うな。俺はまだその一人を選んどる途上や。見つけたらそいつだけを見て、そいつだけを愛し続けるに決まっとるやろ」
「ふーん?」
「本気言うんは、正妻にする言うことや。まあ俺やお前みたいに王族まで血が繋がっとると全部が上手いことは行かへんから、一番好きでも正妻に出来ひんことはあるけどな……。けど、日陰の存在にすることだけは違うで。お前がホントにその女愛してるなら、正妻は無理でもちゃんと妾にはしたらんと。最悪お前の船に穴開いてお前が死んでも正式に婚姻関係が認められとったら一族に庇護は求められるからな。……まあ妾にくらいしてやれっていうのもどういう言葉やねんとは思うねんけどな……しゃーない……」
ラファエルが吹き出す。
「勝手に喋って落ち込むのやめてよイアン君。どうしたの。君、ヴェネトに来て随分悲観的になっちゃったねえ」
「お前が楽観的過ぎんねん。……んで、無事会えてどうすんのや」
「国に連れ帰りたいってことは話したよ」
そうか、そういう意志はあるのかとイアンは思う。まだ疑ってはいるけれど、彼は何かを感じた。確かにその相手に対しては、ラファエルがいつもと違う感じがするのだ。それが何かは分からないけれど。
「喜んでた?」
「驚いてた」
ラファエルが笑った。少し苦笑したような空気だ。
「手紙のやり取り、してたわけじゃないからね。俺がずっと探してたっていうのすら、向こうは知らなかったから、驚いてたよ。俺があの人を探してたのも。国に連れ帰りたいって言ったことも。けど、俺が忘れてなかったことを驚いて、……それはとても喜んでくれた」
彼はもう一度笑んだが、これは本当の笑顔に見えた。そしてイアンは気付く。
(こいつ『あの人』って呼んどるな。いつも彼女、とか名前で呼ぶのに。こいつが女を『あの人』なんて言うとるん初めて聞くわ)
ラファエル・イーシャは今や、フランスでは全てを手に入れた存在だ。地位も、名誉も、唯一欠けていた軍歴さえ、この対ヴェネトの海軍を率いたことで手に入れた。
恋愛する上の、戯れとして、名門貴族の令嬢がラファエルに我儘を言って困らせたり、拗ねたりしてみせることはあるかもしれないが、それもラファエルが彼女達にそうすることを許しているからなのだ。今のラファエルに、本気で物を言える女性など、フランスには存在しない。つまり、本気の恋愛の駆け引きなどラファエルはそもそもする必要がないのだ。彼が本気になり自分の側に来いと言えば来るしかないし、興味が無くなったと言えば、遺恨は残るだろうが、結局引き下がるしかない。
ラファエルは王統に関わっている。彼が憂鬱を王家に漏らせば、フランスのどんな大貴族だろうと、従うしかないのだから。
その背景がある。
だからラファエルは女性を一切恐れていない。
彼女達は人生を彩る花だ。愛でて、楽しむもの。
傷つけられたり煩わしい想いをさせられるようなことは絶対にない。
いつもラファエルは、優しい眼差しで彼女達を見つめている。それは彼女達が自分を傷つけられないことを知っているからなのだ。
初めてだ。
こいつがこんな顔で、女を「あのひと」なんて呼ぶのは。
イアンはさすがに、興味を持った。
「仮に国に連れ帰ったら結婚すんのか?」
「わかんない」
「なんやその分かんないってのは」
「貴族っぽく無い人なんだよ。大らかだし、品もあるけど、立派なお城で優雅に暮らすより、街に混じって人を手伝って暮らすのが好きな人なんだ」
「へぇ……」
「普通の女の子は、結婚して俺の立派な城に住むお姫様になってよ、なんて言ったら喜んでくれるだろうけどね、あの人の場合、そうすることで逆に窮屈な思いをさせてしてしまうかもしれない。だからあの人にだけは、自分で選んでほしいと思ってるんだ。勿論俺は、来てくれたら嬉しいけど。引っ張って来ることは出来ないよ。そんなことしたら可哀想だし、嫌われたくない」
「お前が女に『嫌われるかもしれない』なんて恐れを抱くとは、初めてなんやないか」
ラファエルは肩を竦めて苦笑した。
「かもね。なに? 俺が何かを怖がると、君はそんな嬉しいわけ?」
「ま、うれしいわな」
イアンがケラケラと笑った。
「嫌なやつ~」
「お前を怖がらせるなんて相当いい女やな。気に入った。お前絶対その女と結婚せぇよ。一緒に住むとかでもええし。大体この世のものは全て自分の好きに出来るなんて思ってるお前は、一人くらいどうしても思い通りに出来ひん人を持っといた方がええねん。お前が尻に敷かれてんのみたいから絶対一緒になれや。そしたらお前のこと、ほんの少し見直したってもええで」
「なんでお前を喜ばす為に結婚しなきゃいけないのよ」
「ちゃうやろ。お前が好きなやつ言うたんや」
「……ま、確かに好きだからいいけどさ」
どんな女なんだろうな。こいつに「大切にしなきゃ嫌われてしまう」なんて殊勝なことを思わせる。イアンは想像を巡らせていた。
「そうだ。話全然変わるんだけどいい?」
「なんや」
「自分のこととして考えてみて、答えてほしいんだけどさ」
「ああ」
「お前がもしな、結婚して子供が出来るとするだろ」
「うん」
「一番最初に生まれた子供が『双子』だとするのよ」
「双子なあ」
「そ。お前がもし大国の王様でさ」
「おう」
「王位を継がせなきゃいけないとするわ」
「うん」
「双子の一人に、まあ何となく王位を継がせることが決まったとするわ」
「うん」
「けどお前は、まあ王位はそれでもいいかなと思ってるけど、選ばなかったもう一人の方が心境的には気に入ってるんだよ」
「まあ貴族ではそういうのもよくあるわな。長男に自然と継がせるけど、三男の方が出来がいいとか。長男が自然と跡取りだけど、じーちゃんは末の子が可愛いとか」
「そう。ただまあ城に二人いると争いの種になるかもしれないから、王位を継がない方は城の外に出すとするよ」
「まあ、有り得るわな。親とかに仲悪い兄弟とかおるとなんかの拍子に担ぎ出したりする奴もおるしな。ほんま子供をなんやと思っとんのやって言いたいとこだけど、貴族はあるわな」
「王位は継がない子だけど、お前が目に入れても痛くない~~~~~って思うくらい小さい時から可愛がってた子だとしたら、お前どうする?」
イアンが首を捻った。
「どうする? って……なんやお前が何聞きたいんかよく分からん漠然とした質問やけど「いや、普通その子が困らないように色々手を回すよね?」
ああ、とイアンは頷いた。
「そらそうやろ。王家と良好な関係持っとるけど、国政に絡むほど火薬の匂いはしない感じのいい貴族のとこにでも預けるわな」
「暮らしとか、将来に困らないようにするよな?」
「そらそうやろ。王宮にいない王族に大した庇護がなくてどうすんねん。大貴族の隠し子だって庇護者がいるいないで雲泥の差が出るんやで。いくら王の血が流れてたって一緒や。力のある庇護者や後見人を付ける。そうすることで初めて、王宮にいない王族の矜持や体面が守られるんやから」
ラファエルは腕を組んだ。
「どないしたん。アホなお前が深刻な顔して……。ははーん。さてはお前自身の話か? 隠し子でも出来たんやろ。別に驚かへんけども。なんせお前はお前と付き合ったフランス女に号令掛けて船乗せたら駆逐艦でも重さに耐えかねて沈没する言われてるアホやもんな。お前の隠し子集合させたら百人くらいの軍隊作れるんちゃう?」
「イアン君」
「なんやねん」
「君とはもう絶交!」
「好きにせぇよ」
べっ、とイアンが舌を出した。
「隠し子いるのはお前の方だろォ~。イアン。お前なんぞ酒飲んで女とヤッたらやりたい放題になるクセに。寝たら絶対結婚しよとか女に言っちゃうお前にそんなこと絶対言われたくない」
「誰からの情報やねん。しかも別にええやろ責任取らへん言ってるわけやないし。俺はお前と違って好きでもない、明日になったら名前も忘れるような女と寝たこと人生で一回もないわ」
「へー。一夜限りでも恋愛があるんだ」
「当たり前やろ大好きな子としかしてへん! せやから子供が仮に出来ても俺はお前と違って隠さへんわ! むしろ子供大歓迎や! 生まれたら肩車して俺の子や~って国一周したるわい‼」
「お前そんな子供大好きっ子だっけ?」
イアンは顔を顰める。
「あんな……俺は今自分の子供の話をしとんねん! 俺は政略結婚なんて絶対ごめんやからあったかい家庭作りたいってずっと言っとるやろ! 好きな相手に子供が出来たら嬉しいに決まってるわ。お前は軍人やないから俺らの気持ち分からへんねん。戦になんか出まくっとると自分の子供は欲しくなるんや。お前なんか城で暇持て余してるからヤッてばかりになるんやで。下手すると一晩で五人くらい種仕込んどるやろ。そんなお前に隠し子おらへんなんて信じる俺やないと思え」
「イアン君。きみスペイン一素行が悪いって王妃様に言いつけてもいいかな?」
「いいわけあるか」
「お前のせいで何の話してたか忘れたよ⁉ 何話してたおれたち⁉」
呆れたように煙を吐き出し、イアンは窓を開けて風を入れた。
「相変わらず二つ以上のこと同時に出来ん奴やなおまえは……。双子の片割れには庇護を与えるか与えないかって話をお前がしたんやろ」
ラファエルは手を打ち合わせた。
「そうだった。思い出した。そうだよねえ~~~。普通、なんか残すよな。可愛がってたなら尚更、残すと思うんだ」
イアンは煙草を窓辺に押し付けて、消した。側の台に置かれた陶器の皿に放ると、窓枠に肘をつく。
「……もしかしてその女がそうなんか?」
「え?」
「お前の隠し子じゃないなら、それくらいしか理由ないやろ。お前が他人にそんな興味持つなんて」
「俺は他人への興味でいつだって満ち溢れてるよ」
「あっそ。お前が興味あんのは他人へ興味を持っとる自分にや」
「ん~。イアン君らしくない哲学的な響き~」
「その女が庇護を与えられてない双子の片割れか?」
イアンは的外れだったが、訂正し一から説明するのも面倒になって、ラファエルは成り行きに任せることにした。
「なーんか……、俺の聞いた所によると大きな遺産を継ぐはずだったんだよ。でもなんか、唐突に残さない方向性になってて……。なんでかなあって」
イアンは腕を組む。
「そらお前貴族なんやったら事情が変わったんやろ」
「事情?」
「なに何も分からんふりしてんねん。貴族の家での、序列が変わったんや。庇護者が力を持ち、その後見となって立った人間を立てる。これは王族も貴族も同じ。もしかしたら平民だって、同じかもしれん。一番わかりやすい愛を持つ者が力を持つ。力のないものは従うしかないんや。いくらその子が幼いころ愛されて、親にお前が例え家を追い出されても苦労しないようにしてやるからな、って約束されてもな、そんな約束容易く覆るんや。その子の家の事情が変わったら。序列がな」
「……大切じゃなくなったってこと?」
「まあ平たく言うとそうやろな。例えば大切にしたるって言っとった奴が死んだりしたら、後に残された者が大切にしてやれっちゅう遺言を守るかどうかは分からへん。けどそんなの俺たちの世界では常識や。履行されるかされないか分からへん遺言なんぞに全てを託したそいつの負けや。あるいは人望がなかったのかもな。あいつの大切にしたもんなら死んでも守ってやらへんとって思わせることの出来る、そういう引力が足りなかったんちゃうか。軽んじられたんやろ」
さすがに軍歴華やかな戦場の指揮官だけあって、普段は情に脆いくせに、イアン・エルスバトは冷静に言い切った。
ラファエルはユリウスを思い出す。
大海のように深く、圧倒的な存在感。
誰もが父のように彼を慕った。
……ジィナイースは、彼の腕に抱かれるだけの存在じゃなかった。
あの二人は見た目は全く違うけれど、本質はとても似ているのだ。
共に船に乗った者たちは、それを知っている。強く感じ取っていただろう。
ラファエルは王宮にいる、もう一人の王子を思い出した。
彼とユリウスは姿も違うが、本質も全く似てない。
常に何かを警戒し、自分の領域に他人が入って来ることを嫌う。
踊っていてもぎこちないし、夜会を楽しんでいる所を見たことがない。他人にあまり興味がないのかもしれない。ラファエルもかつては他人に興味がなかったというより、自分に一生懸命すぎたので、他人のことを余裕をもって見れなかった時期がある。あの時は確かにラファエルも夜会が嫌いだった。人の笑顔も噂話も、踊っている姿も着ているものも、何も興味が湧かず、そういう人間にとって大勢の人間が集まって楽しんでいる場所など、苦痛なのだ。
ジィナイースと出会ったのはそんな時だった。
彼はラファエルを夜会へ連れ出したけど、ダンスホールの真ん中に引っ張って行ったりはしなかった。ラファエルが人前に出ることが苦手だとすぐ見抜くと、華やかな夜会の音楽だけが届く、回廊や廊下でラファエルの手を取って踊ってくれた。
美しい庭先で子供が二人踊っていると、大人たちが優しい目を向けて、微笑ってくれた。
いつも向けられる、失望や、値踏みするような視線はなかった。
ジィナイースは人のいない所でも踊る。誰も聞いてない所で歌い、それでも彼は楽しそうだった。彼は人と交わることが好きだけど、一人では何も出来なくなったり楽しめなくなったりする人ではなかった。
ルシュアン・プルートは昔のラファエルに似ているのだ。
子供の頃何も出来ず、無力だった自分に。
自分が出来ないから、何も愛せない。共感出来ないのだ。他人に。
だが全てのことに対して才能を発揮するジィナイースが、出来ないものに対して見せる情けが、憐れみから来るものではないことは確かなのだ。彼は常に人に囲まれ傅かれている王族や貴族の子供とは明らかに違った。
よくたった一人でも見知らぬ城の夜会に乗り込んできていた。近くに護衛やユリウスはいたにせよ、彼は子供の頃から一人で行動が出来る人間だった。
他人に同調出来なくても、他人の助けを必要とする自分だから、苦しい。
本当は自由になりたいのに、独りになる勇気も力もない。
(子供なんだ)
ユリウスは、ヴェネト王宮に信用ならない人間が多いことを知っていた。
自分を偉大な王と敬ってはいるが、後に続く才覚を持つ者はいないのだと、そう話していた。
『ジィナイースがヴェネトに戻れば、きっと俺の後を継ぐようになる』
当時は、貿易商としての言葉かなと思った。
だがあれは、恐れも無く船の舳先に座っている、ジィナイースに向けられたもの。
王の言葉だったのだと今ではわかる。
あのユリウスの愛情と確信が、心変わりをしたとは思えない。
確かに全ての潮の流れは、変わるようには出来ているけれど、あの人は違う。
ジィナイースが一番最初からラファエルを『視た』ように、彼に血を繋ぐ祖父もまた、未来を視る目を持っている。
ならば、ユリウスは何かをジィナイースに必ず残したはずだ。
王冠を本当は渡したかったはずだが、王妃セルピナ・ビューレイが、そんなことを許すとは思えない。彼女は自分の子供であるルシュアン・プルートに全てを継がせようとしている。
ルシュアンではなく、『ジィナイース』の名と共に。
ラファエルはその時何かが引っ掛かった。
(ジィナイースの名……)
ぱん、と大きな音が響いた。
イアンが押し黙ったラファエルに業を煮やして手を叩いたのだ。
「人の部屋でなにじっくり考え事してんねんラファ! 聞いとんのか!」
「ん? おまえねえ~今いいとこだったのに」
「何がいいとこや。お前まさかやらしいこと考えとったんちゃうやろな」
「違うっての。お前って俺が一日の半分いやらしいこと考えて遊んでると思ってない?」
「思ってへん。お前は一日の四分の三はいやらしいこと考えて遊んどるやん」
「それは俺が可愛い十五歳くらいの時! その辺の男子みんなそう! イアン君見て! 今の俺! 立派な公爵様! あと君より背も高い! 成長したの俺!」
「王族自慢すんの大嫌いな俺がこの世でお前の為だけに今、言ったるわ。公爵がなんやねん。俺はアラゴン家の王子やぞ」
「真面目に聞いてよ。戦場だけでは立派な戦術家になるお前を見込んで相談してんだから」
「相談やったんかコレ……。初めからそう言えや。お前が双子がどうのとか回りくどい言い方から始めたんやろ……」
イアンは口許を引きつらせた。
「要点まとめてから話せや……」
「仮にもしもだよ? そいつが、もっと全てを神のように見通して、自分の大切なものは、自分の手でしか守ろうとしない、もっと怖い抜け目のない人間だったら、あの人に何も残されてない理由は何だと思う?」
一瞬だけ、イアンは戦場で見せるような、険のある表情をした。しかしすぐに、冷静な表情になり、ゆっくりと自分の癖っ毛を掻き上げる。
「そらもう答え出とるやんか。
神のように見通して、自分が死ぬ時の為の準備を全て整えとる。
残されてないように見えて、残されとんねん」
彼は言った。
「あとは誰がそれを見つけるかだけやな」
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