第三話 ふんわりヤキタテ

 一週間もすると、メロンパンはすっかりふわふわになり、ぼろぼろだったクッキー部分も滑らかにになった。色白の格子模様が綺麗な子だった。

 あたしはメロンパンに『ヤキタテ』と名前を付けた。ふんわり焼きたてのいい香りがするから。ヤキタテは意外におしゃべりだった。何を言っているのかはさっぱり分からなかったけれど。


『プルプル……ポコポコ……』

「ええっと、もしかしてもっとバターが欲しいって言ってる? ……ってマーガリンしかないけど」

『ヴィィィン……ポポポポ……』


 心地いい声を発しながら跳ねたり転がったりするヤキタテが可笑しくて、あたしは久しぶりに声を出して笑った。


 

 仕事に追われプライベートは寝るだけだったあたしにとって、ヤキタテとのひとときは唯一の癒しだった。

 もっとも、ヤキタテもいつもお利口にしていた訳ではない。はしゃぎすぎてあたしのお気に入りのマグカップをひっくり返してカフェオレでびしょ濡れになり、丸一日寝込んだこともあったし、『ぴにゃっ……』と妙な声をあげて、ベランダを通りかかった野良メロンパンに慌てふためくこともあった。人懐こい割に、案外メロンパン見知りなのかもしれない。

 

 少しだけ厄介で、でもとても温かい時間だった。

 やんちゃすぎるのは困るけど、すべて許せてしまう自分に驚く。出会ってまだ間もないのに、まるでずっと前から一緒にいるような感覚がしていた。

 仕事そのものは相変わらずで忙しさだって変わらないのに、少しだけ気持ちに余裕ができたように感じる。親しい同僚はいなくても、家に帰ればヤキタテがいるという安心感。

 自分が必要とされているということが、こんなにも生活にハリを与えてくれるなんて、思いもしなかった。


 

 明日は久しぶりに何の予定もない休日、思い切り寝坊できる贅沢な日だ。

 あたしが寝ようとしていると、ヤキタテが何かを訴えるようにこちらをじっと見つめていた。


「お腹すいたの? それとも遊び足りない?」

『キュ……プププ』

「何か話でもする?」

 

 ヤキタテは返事をする代わりにぷるっと揺れた。


「じゃあ、少しだけね」


 あたしはそう言って、ベッドに座ったままヤキタテを膝の上にそっと乗せた。柔らかい感触が心地よくて、子どもだった頃を思い出す。 


「小さいときにね、あたしもこうやっておばあちゃんの膝の上でお話を聞いたんだよ。おばあちゃんのお話、大好きだったなあ」


 そうだった、あたしは物語が大好きだった。

 小さい頃はおばあちゃんがたくさん読み聞かせてくれて、少し大きくなってからはたくさんの本を読んだ。もっと大きくなると、自分で物語を作ってみたりもした。

 

「ノートにいっぱい物語を書いてたんだよ。冒険とか、友情とか、そういうキラキラしてる話ばっかり。でもさ、いつの間にかやめちゃったんだよね」

 

 ヤキタテが『キュルル……』と声を出した。まるで相槌を打っているみたいだ。

  

「そのときはね、自分の頭の中にあるものを全部形にしてみたかったんだ。けど、まあ、現実はそううまくいかないよね」

『ポポ……ポ……』

「あの頃のあたしが今のあたしを見たら、なんて言うだろうね」

 

 がっかりさせてしまうだろうか。一瞬よぎった考えを、あたしはすぐに打ち消した。

 ヤキタテはじっと聞いているように見えた。眠たげに体を揺らしながら、それでもあたしの膝から動こうとしない。こうしてヤキタテといると、なんだか不思議な気持ちになる。ヤキタテを撫でながら、あたしはいつの間にか眠ってしまっていた。

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