第二話 小さなぬくもり
とりあえず水を――。
小さな安アパートに着き、コップに水を注ぎながらふと思った。メロンパンは水を飲めるのだろうか。そもそも何を食べるのだろう。
急いで調べると、どうやらバターと砂糖が好物らしい。水分は厳禁だという。いけない、危うくふやけさせてしまうところだった。慌ててコップを引っ込め、スティックシュガーを探した。さらさらと小皿に小さな砂糖の山ができる。
お皿なんて久しぶりに使った気がする。普段の食事は、インスタントか容器のままチンするだけで済ませてしまうから。
よほどお腹を空かせていたのだろうか、すぐに静かな部屋にしゃりしゃりと微かな音が響いた。
よかった、ちゃんと食べてる。あたしはほっと息を吐いた。
始めは勢いよく食べていたメロンパンだったが、半分くらい食べ終わる頃にはそのスピードはだんだん遅くなっていき、ついにはこくりと傾いた。まるで子猫がミルクを飲みながら眠りかけるような仕草だった。
うとうとしながら食べ、食べてはうとうとして、とうとう砂糖をちょっぴり残したまま眠ってしまったようだった。
あたしはティッシュを二枚重ねにして、その上にそっとメロンパンを寝かせた。
スマホ片手にカップラーメンをすすりながら、「メロンパン 飼い方」と検索する。何となく連れてきたものの、エサの量や遊び方、健康でいられるために何が必要なのか、まるで分かっていなかった。
あたしはただ、この傷ついた小さな存在を守りたい、そう思っただけだった。
翌朝出勤するとき、メロンパンはまだティッシュの布団の上ですやすやと眠っていた。あたしは小皿を置いて、そこにスティックシュガーを二本分開けた。
「帰りにバターを買ってくるからね」
そう言って家を出た。
その日はメロンパンが一人でどうやって過ごしているのかが心配で、なかなか仕事に集中できなかった。
もう目を覚ましただろうか、砂糖は足りているだろうか。そんなこんなでミスを繰り返しては上司に怒鳴られ、ぼんやりして同僚にも嫌味を言われる始末だったが、メロンパンのことを誰かに話す気にはなれなかった。
早く帰らなきゃいけないのに、こんな日に限って山のような雑用が押し寄せてくる。せめて親しい同僚がいて何でも相談することができたなら、少しは楽になったかもしれない。でも、そんな相手はあたしにはいないのだ。
静かになったオフィスに数字を打ち込むキーボードの音がやたら大きく感じられる。残業しながら、あたしはやっぱりメロンパンのことばかり考えていた。
「ただいまっ」
玄関を開け、ばたばたと靴を脱ぎ捨てたあたしの目に最初に飛び込んできたのは、部屋中を跳ね回るメロンパンの姿だった。
本棚をぴょんと飛び越えたかと思えば、今度はカーテンにぶつかって逆さに転がっている。砂糖の皿は空っぽになっていた。
『にゅん』
「あんた、元気になったのね」
あたしを見つけたメロンパンがぴょこぴょこと駆け寄ってきた。抱き上げると今度は甘えたような声を出す。
あたしはメロンパンをミニテーブルにそっと置いて、通勤バッグからマーガリンの箱を取り出した。
「ごめん、バター高くて買えなかった」
謝るあたしにメロンパンは静かに首を傾げた。メロンパンの首がどこにあるのかなんて知らないけど。
マーガリンを一匙すくって小皿に置いた。この子は初めてマーガリンを食べるのかもしれない。おっかなびっくり近寄ってきて、くんくんと匂いを嗅いでいる。はじめは恐る恐る、でも一口目を食べて数秒間停止した後は、びっくりするくらいの勢いで一匙分を完食し、すぐにおかわりを要求した。
二匙目をゆっくりと味わうメロンパンの横で、あたしも夕食を食べ始めた。半額のおにぎりと野菜ジュースだけの簡単な食事だけど、少しだけいつもとは違う気分がした。
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