第4話


 朝陽がようやく上る頃、トロイ・クエンティンが街の守備隊本部から戻って来た。

 これから半日は休める。

 駐屯地に戻って来ると、最近ホッとするようになった。最初はヴェネトなんかに来て、不安ばかりだったが、今となってはここも落ち着ける我が家だ。

 駐屯地に乗り入れて騎士館に向かうと、おやと思う。フェリックスが変な所で蹲って寝ていたのだ。駐屯地の妙に真ん中だ。いつもは倉庫前か騎士館前にいるのに、今日は夜になると焚火をするあたりにいる。なんだかこれ見よがしだ。

「……?」

 変だな……と思ったが、トロイは騎士館に近づいて更にもう一つ変なことに気付いた。

 いつもならこの時間は朝食が落ち着いたころで、片付けや掃除などで駐屯地が一時わいわい、となる時間なのだ。

 トロイもすでに朝食はあらかた片付いてるだろうと思って、部屋に下がって朝食をもらおうと思っていたのだが、深夜のように妙にしーんとしている。だが食事の準備をしたいい匂いは感じたので、どうしたのかな……と騎士館の中に入ってすぐ、彼は半眼になった。

 ここはもともと、教会で、修道僧の宿舎だった。

 だからエントランスを入るとすぐ正面に二階への階段があり、左手に炊事場、右手に食堂、その奥が聖堂に繋がっている。

 入ってすぐの正面階段に、身を寄せ合って寒さをしのぐ雛鳥のように、騎士たちがびっしり各階段に膝をつき、二階の方を窺っているのだ。

「……。」

 トロイは右手を見た。

 食堂のテーブルに、まだ全然食事があり、手がついてない。いつもは終わって後片付けをしてる時間帯なのに。

「こら!」

 声を掛けると、よほど集中して二階を窺っていたのか、ほぼ全員が「うわ!」と驚きを示し、中には階段から落ちかけた者もいた。

「何をしているお前たち……確かにヴェネトに来て満足のいく任務をこなせてはいないかもしれないが、自分たちは栄誉ある神聖ローマ帝国の竜騎兵団であるということを、」

 トロイは部隊長の副官として、子供みたいにいつまでも遊んで出された朝食を一生懸命食べようとしない不真面目な連中を叱ろうとしたのだが、失礼なことに人が叱ってる最中に何人かの騎士がどどどっと降りてきて、「シーッ!」などと口の前に人差し指など立ててきた。

「だめですよ! そんな大きい声出しちゃ!」

「おまえたち……」

「丁度いい所に戻って来てくれました! トロイ隊長! 実は、その……」

「朝から何なんだお前たちは……大体フェルディナント将軍はどうし、」

「そのことですっ!」

「何の話だ」

「実は、二時間ほど前にネーリ様が街から戻られて」

 トロイも、ネーリが時間に縛られない生粋の画家であることはフェルディナントから説明を受けている。芸術家の行動に制約をつけるなと言われているので、ネーリは朝帰りしようが夜中に帰ろうが昼間に帰ろうが、彼の自由でいいという認識だ。

「……戻られて、着替えに上がられてから戻って来られず」

「疲れて眠られたのだろう。いいではないか別に……いつからお前たちはネーリ様と一緒でなければ食事も出来なくなったんだ。分かっていると思うがこちらにおられる限り、ヴネーリ様がどのように一日を過ごされようと全くの自由だ。寝室に戻って眠られたのを、叩き起こしになど行くんじゃないぞ」

 トロイが呆れ返ったがそうじゃないそうじゃない、と騎士たちは必死に首を振っている。

「それがその、どうやら、フェルディナント将軍の寝室に、入ってしまわれたようで」

 さすがにトロイも一瞬は目を瞬かせたが、すぐに額を押さえる。

「……どうだっていいだろう。そんなことは。お前たちはいつから上官の私生活に口を出すような無粋になったんだ。仮にそうだとしてなんだ。将軍は独身だ。何も問題ないではないか」

 トロイはいたって平静にそう言ったが、すると何でか、騎士たちは怒った。

「そんなこと言うならトロイさんが確かめて来て下さいっ!」

「俺たちだって別に詮索なんかしようとしてませんよっ!」

「何を怒ってるんだいきなり……」

 はた、と気付く。

 そうか。

 フェルディナントはもう起床する時間なのだ。彼は眠りが浅いたちだし、責任感も強いので、朝寝過ごしたりするのを見たことがない。なんなら早めに起きてたりするくらいだ。

 つまり、いま十五人くらいの両眼で何やら訴えてきている騎士たちは、厳格な上官の初めての寝坊に遭遇し、起こしに行った方がいいのかどうかとただでさえ悩むのに、ネーリが上官の寝室にいることに気付き、どうすればいいのか二倍悩んでいたわけだ。

「トロイ隊長! どうすればいいのか指示をお願いします!」

 十五人ほどが階段で一斉に立ち上がって、敬礼をした。

 美しい敬礼は騎士の基本、が信条のフェルディナントの部隊の、さすがに美しい敬礼だったが、無性に今は腹が立った。

「……。」

 トロイは腕を組む。

 確かに、上官の私室を覗くのは厳禁である。

 しかし、もう起こしに行かねばならない時間なのは事実。

 フェルディナントの性格から言って、そういう自分のミスは、上官と言えども遠慮なく指摘しろ、というタイプである。ということは、確かに起こしに行くべきだ。

「……わかった。見て来る……。」

「その、トロイさん、あんまりにもあれだったら何もせず戻って来て下さい」

「重要な任務は午前中はないんですから、最悪俺たちだけでやります!」

「トロイ隊長そういうところ結構無茶するからな~~~」

「まず中を確認してから……あっ! いつもみたいにいきなりドアをノックなんてしちゃダメですよ!」


「うるさいな!」


「あ~~! そんな大きな声出しちゃダメですよっ!」

 思わず口許を引きつらせてトロイが怒鳴ると、騎士たちが注意して来た。

 なんで自分の方が空気読めない奴みたいになってるんだ。なんだか納得出来ないという表情をしながら、トロイは二階へゆっくり歩いて行く。

 フェルディナントの執務室と寝室は一番奥だ。

 途中、ネーリに貸している部屋の扉が開いていた。中は空だ。なるほどこれでフェルディナントの寝室にいるとあいつらが分かったのか。トロイは寝室の前に立つ。視線を感じて通路の向こうを振り返ると、騎士たちは二階まで上がって来て、真剣な表情で顔を覗かせている。なんて鬱陶しいんだ。

 尊敬する上官の私室を、ノックもせず許可も取らず勝手に開けるなど、本当に不本意だ。

 だがフェルディナントが時間になっても姿を見せないことなど、確かに一度も見たことがない。

(副官として確かめるだけだ。ネーリ様のことは関係ないのだ。何か体調不良を起こされているかもしれないではないか。確認すれば済む話だ)

 子供じゃあるまいし何を緊張している、と自分を叱咤し、トロイはドアノブに手を掛けた。慎重に、音を立てないよう、そっと開いた。

 ここは修道僧の宿舎だから、大層な奥部屋などはない。寝室も一間だ。

 すぐに、トロイは二人を確認した。そして彼はすぐに目を瞬かせた。

 扉を開いたトロイが立ったままなので、息を殺して見守っていた騎士たちは、不審がり、恐る恐る、足音を立てないように慎重にやって来て、何としたものか……、という顔をしているトロイの覗く先を、自分たちでも覗き込んだ。


 朝日が射し込んでいる。

 少年のような顔で眠っているフェルディナントと、

 同じく、光の中で少女のような顔で眠っているネーリがいた。彼はベッドの端にもたれかかるような体勢で寝ている。だから二人は、恋人同士のように寄り添い合って寝ているだけではない。ただ、光の中で離れ難いように固く繋がった二つの手のひらが、友愛以上のものも感じさせた。

「すげー……ネーリ様どうやってあそこまで入ったんだ。扉を開けただけでもいつもは気付く人なのになあ……団長」

「不思議な人だなあ。綺麗な人だけど、でもなんていうかそれ以上に人の心を和らげるところがある人だよな」

「なんでなんだろうか 画家ってそうなのか?」

「違うだろ……芸術家って難しいって聞くぞ」

「団長の寝顔俺初めて見るわ……あの人も寝てたんだな……当たり前だけど……」

「フェリックスがあんなに懐くなんて絶対只者じゃないと思ってたよ」

「さっきも見たか? フェリックスの顔にもたれかかってたぞ。俺怖くて絶対出来ねえあんなこと。いくら竜を見たこと無い一般人だとしても、普通あんなこと出来ないよな」

「あれって本当なのかな? インスバッハ家の人間に小さい頃別荘に招かれたことあるって……でもネーリ様はヴェネトの人なんだろ? なんで神聖ローマ帝国に招かれたんだろ」

「でも親は亡くなっていないって聞いたよな」

「団長がご自分で仰られてたんだから嘘じゃないだろう。それにフェリックスが刷り込みしてるってのもあれ見れば納得するよ。多分本当のことなんだ」

「インスバッハ家なんか王家とも親戚筋なんだぞ。ネーリ様のご両親は一体どういう方だったんだ」

「女性だったらな~~~団長も結婚したんだろうなあ」

「違う。男だから宮廷画家として手元に置こうとされてるんだろう」

「でも見てみろ……あんな姿を正妻が見たら絶対嫉妬するぞ」

「まあそれはご自分で何とかするさ。別に本宅で正妻と一緒に住まわせないといけないという決まりはないはずだ。女性じゃないから角が立たないんじゃないか。子供でも出来てみろ。ややこしくなるだろ」

「そうかそれもそうだな」

「フェルディナント将軍のご寵愛は確かなんだから心配ないさ。皇帝陛下にも目を掛けられてる方だぞ。本国に連れ帰ったら絶対お目通りも叶うはず。優れた芸術を愛される方だからな」

「インスバッハ家はともかくまさか皇帝陛下にもお会いしたことあるなんてことはないだろうな」

「フェリックスが刷り込みするくらいだから十年以上前だ。陛下は皇太子だったはず」

「しかし幼獣はそれこそ刷り込みの可能性があるからむやみやたらに王族以外に見せることはないし、他国の人間に見せるなんて相当異例だぞ」

「ネーリ様は普通の少年に見えることもあるけど、絵を描いてる時とか礼拝の時とか、不思議と品が感じられることがある。もしかしてどこかの貴族の血が入ってるんじゃないか? 外腹とかかもしれんが……」

「ヴェネトのか?」

「俺も街の画家っていうのは本国の連中だが知ってるけど、もうちょっと俗っぽいところあるぞあいつらは。ネーリ様はどうも奴らとは違う感じがする」

「こら。失礼だぞ団長の客人に向かって外腹だのなんだのと出自の詮索は」

「詮索したわけじゃない品がある方だと言ったんだ。無邪気だけど、単なる街の少年って感じがしない」

「まあ確かにな……」

 彼らはもう一度、揃って中を覗き込んだ。

「起こすのやめるか。天罰が下りそうだ」

「そうだな。どうせじきに目は覚まされるだろう。いいか団長が降りて来られても絶対目を合わせるな。何にも存じ上げませんって顔するんだぞ」

「そのくらい分かってるよ」

「よし、そうと決まれば撤退だ。早くしろ」

「逃げろ。二人が目を覚ます前に」

「トロイ隊長あとは任せました」

 騎士たちは一目散に逃げていく。とても敵前逃亡が固く禁じられている連中とは思えない足の速さだった。

「おまえらな……」

 一人残されたトロイは扉を慎重に閉め、最後にもう一度だけ、中を見遣った。

 もし今ヴェネトが戦場になったら、あの方だけはこの国から救い出し、神聖ローマ帝国に無事連れ帰らなければ、と彼は思った。

 フェルディナントも貴族の宿命に馴染もうとして、女性たちと付き合おうと努力していたことはあったけれど、【エルスタル】が消滅してからは、女性には見向きもしなくなった。性別に関わらず、彼がこれほど誰かに執着を示すのは、初めてのことだ。

 国を失ったフェルディナントの為にも、ネーリ・バルネチアだけは守り抜かねばならない。

 静かに扉を閉め、トロイは小さく息をついた。

 下に降りて行くと、階下は少し予定より遅れたが、いつもの空気に戻っていた。朝食が始まっている。

 窓の外をふと見ると、眠っていたフェリックスが起きて、きちんと行儀よく座り、騎士館の上の方を見つめているのが見えた。

 今日は涼しい風が吹く朝である。

 少しずつだが、確かに季節は進んでいた。








【終】

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