第2話 あなたを幸せにさせてください
女に促されるままに、公園のベンチに並んで腰かける。
12月ともなると、ベンチはお尻が凍り付いてしまうかのような冷たさだった。自宅の便座が少し恋しくなる。
「コーヒーと紅茶、どっちがいいですか?」
「じゃあ紅茶で」
荒れている胃にコーヒーを入れるわけにはいかない。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
じんわりとあったかい紅茶の缶を渡されて、人心地つく。買ってから時間が少し経っているようで、人肌より少し温かい程度だった。
「では、お兄さん。今日もちゃんと呼吸してて素晴らしいです。乾杯!」
「乾杯?」
女のよく分からない音頭のせいで疑問形になってしまったが、ひとまず乾杯する。
キャップを開けて一口飲むと、甘ったるいミルクティーの味が広がる。味自体は嫌いでは無いのだが、舌に残る甘さが少し苦手だ。
「ふぅ。なんだか生き返りますねー」
「そうですね」
義務的に相槌を打つ。
「お兄さん、名前をうかがってもいいですか?」
「……
得体のしれない女に名前を教えても良いものかと逡巡するが、結局苗字だけ答える。
「伊通さんですか。珍しいですね。初めて聞きました」
「あー、確かに、あんまり居ないですね。小学校では2,3人いたので、ローカルな苗字なのかもしれませんね」
「あはは。ありますよねー、ローカル苗字。あ、私は
「はあ、どうも。辻さん」
「うーむ」
早く飲み終わって帰りたいのだが、この女……辻さんが話しかけてくるせいで、ちびちびとしか飲めない。
辻さんが唸りだしたのでその隙に全部飲み干してしまおうかとも思ったが、奢られている手前なんだか悪い気がしてしまい、つい尋ねてしまう。
「そんなに唸って、どうしたんですか?」
「あ、なんだか、その辻さんって呼び方がしっくりこなくて」
軽く小首をかしげて先を促すと、辻さんはコーヒーを一口飲んでから続ける。
「私、辻って苗字で呼ばれることが少ないんですよ。その日暮らしの今日子っていうのがあだ名なんで、友達からは今日子だとか、その日暮らしだとかって呼ばれてて。だから、辻さんて呼ばれても、なんか、自分の名前じゃないみたいでしっくりこないんですよねー」
「その日暮らしって?」
妙に気になるワードがあったのでつい聞き返すと、よくぞ食いついたと言わんばかりのしたり顔で辻さんが答える。絶妙にむかつく女だ。
「昔はフルで働いてたんですけどね、今はフリーターなんすよ。こんな地方だったら、衣食住ひっくるめて、一日三千円くらいあればどうにかなりますからね。必要以上に働くのも、周りの人たちが仕事していることを免罪符みたいに使うのを見てるのもなんだか嫌になっちゃって。だから、今はテキトーに金稼いで生きてるんすよ。それで、その日暮らし。今を生きる今日子っていう名前とピッタリでしょ」
ニシシと笑う辻さんを見て、なんだか
「確かにな。ちょっと分かるかも」
「ん?」
眉を軽く上げて、辻さんが先を促す。
「その、仕事を免罪符にしてるってやつ。みんな、仕事に価値を置きすぎだよな」
「お、伊通さん、良いねぇ」
共犯者を見つけたような、少しいやらしい笑いを浮かべる辻さん。その顔を見て、こちらも少し気分が良くなって、話を続けてしまう。
「仕事ってさ、結局のところ、金のためにやってるものじゃん。それなのに、やりがいがー、だとか、人からの感謝がー、だとか言ってさ。馬鹿じゃねーのって」
「ね。なんか、仕事を尊いものみたいに扱ってて気持ち悪いよね」
「あー、それだよ、それ」
常々思っていたが、なかなか言えないことを吐き出せるのが楽しくて、つい語ってしまう。
「そりゃ、社会の基盤っていうのかな。俺が生活していけてるのは誰かがしてる仕事のお陰かもしれないけどさ、だからって、仕事をしている人は偉いっていうのは別でしょ」
「うんうん。人がいっぱいいるところで疲れてますオーラっていうのかな。仕事帰りのリーマンがふんぞり返ってるような態度してると、めっちゃむかつくよね」
「あー、分かる。そんなかまってちゃんみたいなことして、幼稚園児かよって」
「あはは。幼稚園児て、伊通さん。けど、分かる。そんな風に分かりやすく態度に出して、ママに褒められたいんでちゅかーって」
「ハハハ! ママって!」
辻さんが幼児相手にするように赤ちゃん言葉で言うので、それが面白くて、声をあげて笑ってしまう。
ひとしきり笑って落ち着いたところで、ミルクティーを一口飲んでから、再度口を開く。
「それでも仕事してんのもさ、結局、金のため、つまりは自分のためじゃん。生活保護っていう選択肢もあるのにさ、敢えてそれをしないわけじゃん。家族のために働いてるんだとか言う人もいるかもしれないけどさ、それも究極的には自分のためな訳で。それなのに、働いているっていうことを盾にしてデカい態度取ったり、怒鳴ったりしてさ、もっと自分を
「あはは。こうやってぷらぷら遊び歩いてる私が言うのもなんだけどさ、自分をちゃんと見つめ直してほしいもんだよね」
「ほんと、それ」
一区切りついたのでミルクティーを飲むと、いつの間にか空になってしまっていた。
「あ、飲み終わりました? そんじゃ、捨てときますね」
「はぁ。どうも」
思いのほか盛り上がったので、少し残念な気はしつつも、辻さんに空き缶を渡す。
「ふふ。よかったです」
こちらの目を見ながら、辻さんが
「へ? 何がですか」
「表情が随分明るくなったので。さっきは、すごい思いつめた表情して歩いてましたよ」
「ハハ。それは、どうも」
さっきはそういった態度をとるのを幼稚園児だのなんだの言っていた手前、辻さんに指摘されて、少しばつが悪くなる。乾いた笑いで誤魔化そうとする。
「あはは。ここは暗くて人通りも無いし、伊通さんのは周りへの演出みたいなのは入ってないので、さっき話してたみたいな人達とは別ですよ。というか、そうやって自分を
「そう言ってもらえると助かるよ」
自分の考えていたことも辻さんにはお見通しのようで、ますますきまりが悪くなって、軽く肩をすくめる。ただ、不思議と嫌な気分ではなかった。
「次の水曜日も6時から9時くらいまでここでぼんやりしてるつもりなので、良かったらまたお話しませんか? 三千円で良いですよ」
「金取んのかよ!」
存外面白かったので、流れで返事してしまいそうになったが、最後にぼそりと付け加えられた言葉についツッコミを入れてしまう。
「いやだなー。私は伊通さんに幸せになって欲しいだけですよ。最初に言ったでしょう? お金で幸せになる一番の方法は、人のためにお金を使うことだって」
「そういうのは俺が請求されるものでなく、自発的に渡すものだろ」
「はぁ。分かってないですね。伊通さんは」
ちっちっちと、辻さんは指を振る。なんとなく分かってはいたが、こいつ、むかつく女だ。
「最初にバシッと額を決めといた方が後々楽なんですよ。変に大金を積まれたりしたら、私も恐縮しますし、伊通さんもモヤッてしまうかもしれませんからね。こんなに金を渡しているのに、こいつはどうして応えてくれないんだって。アイドルの追っかけをする厄介オタクみたいなもんすよ」
「確かに……」
こいつに本気になるかどうかはともかくとして、一理ある。
「ま、そういう訳で、来週も私と話したいと思ったら、三千円握りしめてここに来てくださいな。もしイヤだったら、悪いですが、回り道するなり、私を無視するなりしてください。伊通さんが来なかったら、もうここには来ないので。それじゃ」
それだけ言うと、辻さんはゴミ箱に缶を捨てて、振り返りもせず立ち去ってしまう。
後ろ手にひらひらと手を振るのが妙に様になっていて、不覚にもかっこいいと思ってしまった。
「変なのに捕まったな。とっとと帰ろう」
俺も家路に急ぐことにする。
妙な女に絡まれてしまったが、あの女に会うことはもう無いだろう。
ただ、その日の夜は久しぶりにぐっすり眠ることができたのだった。
辻カウンセラー今日子 明日葉いお @i_ashitaba
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます