ウパシ《雪》の物語

九月ソナタ

一話完結


四姉妹の住む北の村では十一月には初雪がふる。大体十三日頃。

明子の誕生日が十一月十三日だから、姉妹はその日が近づくと、よく灰色の空を見る。

「降ってきたぁ」

たいてい当たる。


「やだなぁ。冬はきらいだ。どうして冬なんか、あるんだ」

と明子が大声を出す。

「仕方ないよ。どうしたって、冬は来るんだから」

姉がなだめる。


初雪が降ると、さみしい。冬は農作業ができないから、父さんは内地の車の工場に働きに行く。


行く前に、父は娘の頭をひとりひとり撫でる。

長女は静香しずか

「母さんと妹たちをよろしくな」

「はい」


次女は、明子。

「風邪などひかんようにな」

「はい。お父さんも」


三女は真理子、

「やんちゃはいかんぞ。明子姉ちゃんと喧嘩をしないように」

「わかっているさ」


末っ子はつぐみ、

「おみやげを買ってくるから、いい子でな」

「はい」


長女の静香が十四歳で、明子が十歳になったところ、真理子が六歳で、つぐみは春になると四歳になる。


初雪はすぐに解けるが、また降り、また解けてを六回くらい繰り返して、やがてしつこい根雪になる。根雪になると、家が雪の中に埋まってしまう。

その日は猛吹雪で、学校が臨時休校になった。


「今度の春はこないよ」

 と明子が怒っている。

「どうしてさ」

と真理子。

「だって、こんなに寒くて暗いんだから、春が来るわけがない。ずうっと冬だ。一生、冬だ」

「いやだなぁ。春が来なかったら、あったかくならないし、父さんが帰ってこない」

 

真理子が涙ぐんで、静香に言いに行く。

「明ちゃんが、もう春はこないと言っている」

「そんなことないさ。いつだって、春はくる」

「でも、今年は特別なんだ。明ちゃんのカンは当たるから。シロだって、子供が三匹生まれたべ」

「犬と春は別の話だ。あきらめた頃に、春がくる。姉ちゃんには経験があるからわかるさ」


            *



 明子がまた熱を出した。

「早く元気になりな。来月、二月になったら、雪まつりに行けるかもしれん」

と静香が元気づける。

「今年は、雪まつりに行けるんかい」

「札幌のおじさんの年賀状に、来ないかいって書いてあったんだ」

 札幌のおじさんは母さんの兄で、小学校の校長先生だ。


「だから、早く治しな」

「うん。湿布もして、蒸気吸入をかけて、がんばる。札幌へは汽車で行くんだべ。うれしいな」

「前に、汽車に乗って、みかん食べたよな」

「うん。覚えている。甘かった」


一月の末に、明子はまた風邪をひいた。

でも、二月にはいったら、だいぶよくなった。

「明ちゃんのことはわたしが面倒を見るから、母さんと真理子とつぐみで雪まつりに行ってきていいよ」

と静香が言った。

母はだいぶためらったが、でも、明子は元気そうだし、おじさんにも会って話があるので、親娘三人が、一泊で出かけて行った。


*


「また雪だ。もうほんと、いやになる。いやだいやだ、雪はいやだ」

明子が布団の中で暴れた。

「落ち着きなってば。落ち着かないと、また熱がでるべさ」

姉が妹の肩まで布団をかけて、ぽんぽんと叩いた。


「雪はな、アイヌ語ではウパシと言うんだよ」

「へえっ。わたし、アイヌ語はコロポックルしか知らん」

「ユウスケ《勇介》くんが教えてくれた」

「ユウスケくんはアイヌ語を知っているのか」

「うん。熊のおじさんは、もっと何でも知っている」


熊のおじさんとは、ユウスケの父親のことだ。

おじさんはふたつの山をもっていて、その山には熊がいるから、「熊のおじさん」と呼ばれている。熊のおじさんはとてもやさしくて、村の人々の相談役だ。おばさんはおはぎを作るのが上手だ。


「熊のおじさんは木にもくわしいし、草にもくわしい」

「何でも知っている人はいいよね」

「でもさ、国立大学のえらい先生が、木を植える正しい間隔を教えてくれたけど、その通りにしたら、木が全滅した。もっと広く植えないとだめなんだと熊のおじさんが言っている。その記録を書いて、わざわざ大学にもっていったけど、相手にされなかったって」

「どしてだ」

「熊のおじさんは大学を出ていないし、記録をちらしの裏に書いたのがまずかったべ」

「どうするの」

「熊のおじさんは自分の方法で研究して、今度はコクヨのノートに記録をつけている。いつかユウスケくんが大学に行って、その研究をするんだって。世界に認めてもらえるような研究をするんだって」

「すごいね」

「ユウスケくんはすごいよ」


「かっこいいよね、ユウスケくん。目がキリっとしていて」

「そうだね」

「お姉ちゃん、好きなの?」

「クラスが同じなだけだよ。ユウスケくんが学級委員長で、わたしが副委員長だから」

「そういうのって、いいよね」

「うん。明ちゃんのこと、心配してたよ」

「どうして」

「親切な人だからさ。あそこんちは、みんないい人だ」

「親切な人は、いいよね」

「うん。親切な人はいい」




             *


「ユウスケくんがこれをくれた」

静が新聞紙に包まれた中のものを見せた。三十粒くらいの黒い木の実がはいっている。

「これ、なぁに」

「シケレぺという木の実で、これを煎じてお茶にすれば風邪にきくんだって。熊のおじさん、薬草にくわしいんだ。煎じ方習ったから、わたし、煎じてみるね」

「みかんの匂いがするね。すごく効きそうな感じ」

「効いたら、もっとくれるってさ」


  *


三月の末に、父さんが工場で事故に遭って、母さんが駆け付けることになった。母は末っ子のつぐみを連れ、静香と真理子は札幌のおじさんのところに行くことになった。札幌のおじさんのところには子供がいないから、前から静香を養女にしたいとう話はあった。三女の真理子は四人姉妹の中で、一番成績がよいので、札幌でもよい成績を取ったら、上の学校にも行かせてくれるらしい。


明子は身体が弱いので、熊のおじさんとおばさんが「うちにきなさい」と言ってくれた。

みんながいなくなった日はまた雪が降った暗い日で、明子は不安でいっぱいだった。いつもは四人が布団を並べて寝ているのに、ここでは部屋にひとつだけ布団が敷いてある。

ユウスケが湯たんぽをもって、部屋にはいってきた。

「茶の間においで。ストーブがあるから、あったかいよ。甘酒もある」

「お酒、飲んでいいのかい」

「子供用のだから飲んでもいいんだ。甘くておいしい。あったかいし」

「それ、飲んでみたい。ありがとう」

明子は布団から出て、母さんが古い着物で作ってくれた赤いどてらを羽織った。

茶の間にはだるまストーブがとりつけられていて、時にはストーブが真っ赤になる。上のやかんが音を立てて、蒸気を出している。


「明ちゃんは、さみしいかい」

 と熊のおじさんが言った。

「はい。でも、大丈夫です」


「甘酒を飲んだら、外に行って、遊ばないか」

とユウスケが言った。外は吹雪だから、明子が驚いた。

「寒いと、風邪をひくからだめだ」

「たくさん着れば、大丈夫さ」


「大丈夫だ。外で遊んでおいで」

と熊おじさんも言った。おじさんが言うと、大丈夫な気になった。

「いいの?わたしが夜に、外で遊んでいいの?」

この家は変わっている。風邪を引いたら困るから、明子は夜なんて、外に出たことがない。大晦日だって、神社に行ったことがない。それなのに、この家では、吹雪の中で遊んでいいという。


「寒かったら、お風呂にはいればいい。母さんが沸かして待っていてくれる。それに薬草をいれてやる。明ちゃんは元気になるさ。このおじさんが元気にしてみせる」


明子は大きなオーバーコートを借りて、マフラーをぐるぐる巻いて外に行く。吹雪で前が見えない。思ったほど寒くはないが、ほっぺが真っ赤になった。

「息ができないよぉ」

「息を吸い込む時には、反対側を向きな」

明子はうれしくなって、両手で雪をすくって、ユウスケに投げた。

ユウスケが雪をかぶって、にこにこしている。


「ウパシ、ウパシ、ようこそ、ウパシ」

ユウスケが空に向かって、両手を広げる。

「それ、なに」

「雪は、アイヌ語では雪はウパシって言うんだ」

そうだ。静香姉ちゃんが言っていた。

「ウパシ。アイヌ語って、いいよね」

「音がきれいだろ」

「うん。外国語みたいだ」

「ウパシは空に住んでいるけど、冬になると雪の子になって、地球に下りてくるんだ。今、ウパシが楽しんでいるの、見えるかい」

「見えるよ。ウパシさん、こんにちは」


「冬にならないと、ウパシの子供たちは、地球に遊びに来れんのかい」

「うん」

「それはかわいそうだ。たくさん遊びたいだろうに。うちから出られないのは、つまんない」

「な、外は楽しいだろう」

「うん、楽しい。外はいいね。吹雪はいいね」


       

              *


五月になったある夕方、明子がうれしそうに家に駆けこんできた。

「おばさん、外の土がもう濡れていないよ」

ぬかるみの土がまま乾いてしまったから、土が三角形にとがっている。

「春がきたな。もうじき明ちゃんの父さんが帰ってくるよ」



明日は両親が戻ってくるという前の日、明子とユウスケはピンク色の夕日を眺めていた。そろそろ北国もあったかくなる。


「吹雪の夜、楽しかったなぁ」

あれは一番の思い出だと明子は思う。

「うん」

「ウパシはまた空に戻っていったのかな」

「そうだな」

「わたし、雪が大きらいだったけど、今度、初雪が降っても、大丈夫だよ。せっかくウパシの子供が遊びにくるんだから、よろこんで迎えてあげなくっちゃ」

「そうだな」


「ユウスケくんは、札幌の学校に行くのかい。大学にも、行くのかい」

「行くけど、この村に戻ってくる」

「出ていったら、みんな帰らないよ。都会のほうがいろんなことがあって、おもしろいから、仕方がない」

「ぼくは帰ってくるさ」

「どうして」

「この村で暮らすために、大学で木の研究をするんだから、戻ってくるに決まっている」

「そっか」

「……その時は、明ちゃんに告白しようと思うけど、いいかい」

明子はちょっとびっくりしたけど、心が夕焼けの色になってうれしかった。

「いいけど、でも、お姉ちゃんに聞いてからだ。お姉ちゃんはユウスケくんのことが好きだから」

「わかった。でも、ゆずるなよ」

「うん。けんかはいやだけど、ゆずらない」


「明ちゃんは何になりたい」

「わたしはね、丈夫になったら、ジャンプをしたい。ジャンパーになりたい」

熊のおじさんが「身体の弱い子は、免疫性ができているから、大人になると、強くなる」と言ってくれた。「わたしも、強くなれますか」ときいたら、「なれるさ」と言った。だから、わたしは強くなると明子は信じる。強くなって、大倉山のジャンプ台から、空に向かってジャンプをしたい。


              *


その頃から、明子は風邪を引くことがなくなり、誕生日がくるのが待ち遠しくなった。誕生日の頃には初雪が降り、雪が積もれば、ジャンプができる。


十六歳になって、初めて大倉山のジャンプ大会に出た日、空から雪がちらついた。

観客席に、ユウスケの姿が見えた。明子が編んだオレンジ色の帽子をかぶっているから、よく見える。心配らしくて、下を向いている。


大丈夫だって。

ウパシと一緒に飛ぶのだからね。

わたし、空に向かって、大きく飛ぶよー!


             

 了








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