第2話:終わってしまった入学式

 結果として、乙女の大学生活は最初から波乱に満ちたものとなった。


『ああ、下宿先の件ね。なかなかいい物件が見つからなくて。女の子の一人暮らしなんだから、色々と気を遣うじゃない?』


『悪いけど、当分はうちの家から大学に通ってもらえるかしら? それじゃ、また連絡するわね』


 一方的に電話を切られ、乙女はなすすべもなく肩を落とした。


(かがりさん、やっぱり大学のこと、よく思ってないんじゃ……?)


 入学式が間近に迫っても、かがりが下宿先を見つける様子はなかった。

 それなら自分で探そうかとも思ったが、部屋を借りるためには保証人という存在が必要らしいと知った。

 諸事情により両親の協力を得ることができない乙女にとっては、保護者である兄夫婦を頼る以外に方法がなかった。


 そこから時は流れ、4月7日。生科研の入学式の日がやってきた。

 乙女は相模原市の自宅から慣れない電車に乗り、日吉駅の付近にある広大な敷地に足を踏み入れた。

 本当は入学式用にスーツを用意すべきだったのだが、生科研への入学をあまりよく思っていない兄に準備を手伝ってもらえるはずもなく、高校の制服姿でおずおずと敷地を歩き出す。


(ひ、広い……!)


 目の前に広がる景色は、乙女が通っていた中高一貫の女子校とは比べ物にならない雄大さだった。施設の数も圧倒的に多く、陸上競技場や馬術場まであるらしい。


(記念ホールはどこだろう? 全然見えてこないんだけど)


 スマートフォンを手に入学式の会場を探すものの、すぐそばには無機質な研究施設とおぼしき建物がいくつか見えるだけだった。


(ここってもしかして、研究所のほう……!?)


 生科研の敷地は研究所と付属大学の2つに別れており、道を間違えて研究所に来てしまったのだと悟る。


(もうすぐ入学式の時間なのに……!)


 焦燥を覚えたその時、ひときわ強い風が吹き、通路に並ぶ桜並木を揺らす。

 一気に舞い落ちた桜の花びらに驚くと同時に、乙女は反対側から歩いてくる1人の青年を見つけた。


 およそこの世のものとは思えない、青みがかった黒髪と色素の薄い肌の美青年だった。

 シンプルなシャツとスラックスというシンプルな服装にも関わらず、彼は誰にも真似できない異彩を放っていた。

 昔読んだファンタジー小説に登場する、吸血鬼の一族の青年をなんとなく思い出す。


(すごく、綺麗で不思議な人……)


 自分の立場も忘れて、青年の姿に見惚れる。

 家族に見捨てられて以来モノクロだった世界が、一瞬で虹色に塗り替えられていくかのようだった。

 しかし次の瞬間、彼の背後を不穏な黒い影が覆い出す。

 奇妙な方角から青年を目掛けて、建設資材のような鉄パイプが投げ放たれる。


「あ、危ない……っ!」


 咄嗟に動いた乙女が、青年に抱きつくようなかたちでその胸に飛び込んだ。


「っ……!?」


 そこで異変に気づいた青年が鉄パイプを避けると共に、立て続けに落ちてきた建設資材から乙女を庇う。

 その瞬間─急激な眩暈を覚えて、乙女は青年の腕の中に倒れ込んだのだった。


***


「……おい、いい加減にしろ」


 青年が死角になっている場所に向かって語りかけると、そこから飄々とした雰囲気の黒装束の男が現れた。


「その子、新入生? 面白い子だねぇ、おれたちの邪魔するなんて」


「……鴉」


 気を失っている乙女を抱きとめながら、青年が黒装束の男の名を呼んで睨む。


「これ以上、敷地内で暴れるな」


「はいはい。もがみんに見つかると厄介だから、おれは帰るけど……」


 そこで言葉を切ってから、男が警告のような一言を放つ。


「親父殿はお前のこと、諦めてないよ。聖」


 男が去った後、青年──断花聖たちばなせいは苦い表情のまま乙女を見つめた。


***


──2時間後。


「ん……?」


 乙女がベッドの上で目を覚ますと、そこにはさきほどの青年と黒髪を後ろで束ねた白衣の女性が立っていた。

 どうやら自分は気を失って、保健室のような場所に運んでもらったらしい。

 中学や高校時代もよく貧血を起こして倒れ、似たような状況を何度も経験したため乙女はすぐにその事実を悟る。

 雅鷹に生命を捧げるために存在している自分に、健康な生活を送ることは元より困難だった。


「もう身体は大丈夫そうだね。君が、国木乙女くんかな?」


 上体を起こした乙女を見つめながら、白衣の女性が口を開いた。

 よく見ると胸元が大きく開いた服を着ていて、深紅の紅を塗った唇が独自の色香を放っていた。


「……は、はい」


 まだぼんやりしていた頭が一気に覚醒すると共に、乙女はぎこちなく返事をする。


「初日から大変だったねー。入学式も終わっちゃったし」


 ふと時計を見ると、入学式の時刻はとっくに過ぎ去っていった。

 その事実にショックを受けた乙女が何も言えずにいると、女性は特に気にする様子もなく楽観的な口調で話を続ける。


「でも、おかげで探す手間が省けたよ。私は生物学部の月本最上つきもともがみ……と言えば、理解してもらえるかな?」


「月本……?」


 言われてからはっとする。保健医かと思っていた目の前の女性がこれから所属する研究室の担当教授であることを、乙女はそこで初めて悟った。


「つ、月本先生、ですか……!?」


「事前面談では君に会えなかったからね。私が美し過ぎるせいで驚かせてしまったかい?」


「月本先生。そろそろ本題に入られては」


 それまで黙って話を聞いていた青年が、若干苛立った様子で口を挟んだ。


「つまらない反応だねぇ。もう少し自己紹介させてくれたっていいだろう?」


「目を覚ましたばかりの学生にすることではないと思います」


「ははっ、それもそうか。では、手短に伝えるとしよう」



 月本は快活に笑いながらも、どこか鋭い色の瞳で乙女を見据えた。


「生科研へようこそ、国木くん。選抜試験に合格した君には、今日から私のゼミに所属してもらうよ」


「……はい」


 月本の言葉により、ゼミというのは研究室の呼び名であると乙女は理解する。


「一応言っておくと、うちの大学は所属する研究室によって生徒の扱いが違っていてね。

うちのゼミ生には皆、実質的には学生ではなく特別研究員という扱いで毎月給料が支給されるから、学業の傍ら私の研究助手をやってもらうことになる」


「え……?」


 それは、学生でありながらも月本の研究助手として働くということだろうか。

 事前に提示された好待遇の裏に隠されていた事実を知り、乙女は返す言葉を失った。


「ちなみに、ゼミには君とそこにいる断花くんを合わせて5人の生徒がいる。明日顔合わせがあるから、詳しいことは断花くんに聞いてくれたまえ」


「……肝心なところは俺に投げるんですね」


「では、頼んだよ」


 軽い口調で締めくくると、月本はハイヒールのパンプスをカツンと鳴らしながら退室していった。




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