第1話:祝われることのない誕生日

 3月15日。その日は国木乙女くぬぎおとめの19歳の誕生日だった。


「お誕生日おめでとう、乙女さん」


 広く優雅な本邸のリビングルームに、義姉である国木かがりの鼻にかかった声が響く。

 一見優しげに聞こえる声音とは裏腹に、かがりの言葉の真意はいつも乙女を窮地へと追いつめる内容のものばかりだった。


「お誕生日ケーキは、確かいらないって言ってたわよね。乙女さん、いつも食が細くて食べられるものが少ないから……」


「……はい。お気遣いありがとうございます、かがりさん」


 本当は食べられないわけではない。ただここで少しでも意見すると、陰湿な仕打ちに遭うのは目に見えているため乙女は礼を言って静かに目を伏せた。


「その代わり私、とっておきのお誕生日プレゼントを考えたの」


 そこでかがりの目が燦々と輝きだす。それは、いつも乙女を追いつめる時のかがりの目の色だ。


「あと1年でこの世を去るあなたが快適に過ごせるように、雅鷹さんにここから遠く離れた別荘を用意してもらったらどうかしら!」


「かがり、前置きはそのぐらいでいいだろう」


 かがりの隣に座っていたダークスーツの男がそこで初めて口を開く。乙女の兄、国木雅鷹くぬぎまさたかだ。


「乙女。今日お前を呼び出したのは確認しておきたいことがあるからだ」


 ふわりとしたカールヘアと明るめの化粧が特徴的な妻とは対照的に、冷徹で表情の乏しい黒髪の男が、実の妹に接するとは思えない事務的な口調で話を続ける。


「お前は国木家の人間として俺に異能を与え、その代償として20歳で死ぬことが決まっている。これは避けられない事実だ」


 限られた人間だけが持つことのできる特殊能力─それは「異能」と呼ばれている。

 代々異能者を輩出する国木家の血族に生まれた女は、男に生命エネルギーを与えることで異能に目覚めさせ、継承のための犠牲者として20年も生きられずに死ぬことを義務付けられている。

 乙女が肉体的にも精神的にも成長の機会を与えられず、19歳であるにも関わらず15歳程度にしか見えない容姿をしているのはそのためだ。


「雅鷹さんの素晴らしい采配と乙女さんの尊い犠牲によって、この家は成り立っているの。

せめて最後の1年は悔いなく過ごせるように、どこか静かな場所で静養するのがいいと思うわ」


 かがりの提案の真意は、乙女にもなんとなく理解できた。

 あと1年しか生きられない役立たずはこの家から出ていけ、ということだろう。

 元よりかがりは雅鷹と結婚した当初から乙女を疎ましく思い、これまでも善意に見せかけた数多くの嫌がらせをしてきた。

 療養のためだと言って乙女を薄暗い別邸に住まわせ、義妹は対人恐怖症だと嘘をついて使用人の数を極端に減らし、日々の食事も最低限しか与えない。

 その総仕上げとして、この家から追い出したいという意志がその瞳の奥に宿っていた。


「……かがりの提案には同意している」と、無感情な雅鷹の声が乙女に残酷な事実を突きつける。


「俺には次期当主としての仕事がある。この家でお前の面倒を見るのもそろそろ限界だと思っていたところだ」


「…………兄さん」


「場所はどこでもかまわん。好きな場所で暮らすといい。そのための金はすべてこちらで出してやる」


 ろくに視線も合わさず、機械的に告げる兄の姿に乙女は返す言葉を失った。

 こうなることは予想できた。だが……あまりに残酷すぎた。


 父も継母も義姉も、乙女のことは最初から冷遇してきた。

 だが、子供の頃……まだ母が生きていた頃自分に優しさを見せてくれた雅鷹だけは、味方してくれるんじゃないかと心のどこかで期待していた。

 その淡い期待が今、目の前ですべて打ち砕かれてしまった。

 雅鷹はいつまで経っても自らに異能が発現しない責任を妹である乙女に押しつけ、ついには疎ましく思うようになったのだろう。


「…………わかり、ました」


 もはや自分の味方は、この家の中には1人もいない。

 嗚咽を必死で堪えながら、乙女は掠れそうになる声で言葉を紡ぐ。


「兄さん、かがりさん……今まで面倒を見ていただいて、本当にありがとうございました」


「私は、4月から生科研の付属大学へ行きます」


「えっ……!?」


「生科研……?」


 かがりと雅鷹の声がほぼ同時に響き渡る。

 先ほどまで人形のように無表情だった兄がわずかに眉根を寄せる姿を、乙女は少し意外に思いながらも用意した書類を机の上に置いた。

 その書類は、乙女が神奈川県川崎市にある国立生物科学研究所付属大学こくりつせいぶつかがくけんきゅうじょふぞくだいがく……通称『生科研せいかけん』と呼ばれる有名大学の試験に合格したことを証明する通知書だった。


「特別奨学生って……! どうして乙女さんがそんなところに合格できたの?」


 驚きのあまり気が動転しているのか、かがりの声色には先ほどまでとは打って変わってどこか忌々しげな響きが漂っている。


「清林女学院の校長先生が、私が生物の授業で書いたレポートを生科研に提出してくださったみたいで……それがきっかけで、月本先生という方の研究室から推薦入試のお話が来たんです」


「そんなきっかけで? ……雅鷹さん、あなたが手を回したの?」


「いや、俺は何もしていない」


 戸惑う雅鷹の声を聞きながら、乙女もまた困ったように眦を下げる。


 推薦入試の話が来てから猛勉強はしたものの、なぜ1枚のレポートがきっかけで生科研の特別奨学生になれたのか、乙女自身も理解はできていない。

 しかし奨学生になることができれば学費はもちろん、下宿費用や最低限の生活費まで支給されるという好待遇は今の乙女にとって必要不可欠なものだった。


「その……学費や生活費でご迷惑をかけることはないと思うので、私は生科研に行きたいと思っています。兄さん、許可していただけますよね?」


「生科研はハイレベルな研究機関だ。体調不良で高校にもろくに通えていなかったお前に、大学での研究などつとまるわけが……」


「でも……!」


「行かせてあげたら? 雅鷹さん」


 渋面を浮かべる雅鷹を宥めたのは、意外にもかがりだった。


「心配する気持ちもわかるけど、乙女さんが必死で勝ち取った合格なのよ。祝福してあげるべきだわ」


「かがりさん……!」


「でも生科研だと、この家からじゃ少し遠いわね。雅鷹さんはお仕事で忙しいでしょうから、私があなたの下宿先を探してあげるわ」


「下宿先は自分で探すので、大丈夫です……」


「お誕生日プレゼントだと思って、このくらいは甘えてちょうだい。ね?」


 そこで再び雅鷹に向き直ったかがりが、念押しをするように言う。


「雅鷹さんも、それでいいでしょう?」


「……後で後悔しても、俺は助けてやれんぞ。それでもいいなら構わない」


「……! ありがとうございます」


 なぜか自分を庇ったかがりの態度に疑問を覚えながらも、乙女はほっとしたように息をついた。

 これで、4月から大学生になれる。

 かがりが密かに邪悪な笑みを浮かべていることに気づくことなく、乙女は安堵しながら別邸にある自室へと戻ったのだった。

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