その白い髪には死神が取り憑いている

 海を前にカナデの白い髪がきらめいた。その美しい顔は美しすぎるが故に生きていることをやめている。そもそも、生まれてすらいないのかもしれない。肌には皺、傷、汚れの類はなく、ただ艶やかな光沢を乗せて輝いている。


 カナデは里奈の視線に気がついて微笑んだ。潮風が彼女の髪をかき乱す。里奈は手を空に向かって伸ばし風を捉えようとした。指の一つひとつが風を切った。


「里菜、あなたが来た時のこと、今でも覚えているよ」


 カナデはそう言って、乱れた髪に指を滑らせる。カモメが鳴いている。カナデと砂浜をこうして歩くのは久しぶりだった。靴を脱ぎ捨ててカナデは海に足をつけた。彼女は里奈を誘うように波を蹴った。散った飛沫がまたたいた。


「あんたさ、あたしのこと追ってきたんだ。そりゃ、あんたの『時間』を奪ったのはあたしだし」

 

 そう言って、里奈はカナデを睨みつける。そう、彼女が来た目的は明確だった。カナデは紫色の瞳に里奈の姿を映す。辺りが静まり返った。波も、風も音を立てずに流れていく。


「殺したいんでしょ、あたしのこと」

「そうだよ」


 カナデは笑う。そして、静かに目を閉じた。カナデはあの時のままだ。その笑顔も、仕草も、何も変わらない。彼女と出会ってから、もう出会ってから二年は経っている。多分、カナデが見つめているのは、あの頃の面影を失ってしまった里奈の姿なのだろう。もう、自分の肌は傷つき、薄汚れているのだろうと。里奈はそう思った。


 カナデはどこにでもあるような制服を着ている。首には水色のスカーフが巻かれていて、たなびいている。初めはその下には傷が隠されていると思っていた。実は傷があることを装い、痛みがあったと自分に言い聞かせたいのかもしれない。だが時が流れても、それが明確になることはなかった。


 沈黙に耐えられなくなって、里奈は言った。


「なんで、海に行こうって、言ったの?」

「あなたが住んでる街に海があるって言っていたから。興味があった、かな」


 カナデはそう言って海の向こうに、水平線に目をやった。


「海なんてどこにでもある。この街が特別なわけじゃない」


 里奈の言葉を飲み込むように、大きな波が砕け散って、泡立った。波が打ち寄せて、そして引いていく。その果てのない繰り返しがつまらなくなって、彼女は眠気を覚えた。あくびをして空を見上げる。夕陽が満ちて青空は霞んでいた。


「私にとっては特別だよ。だってあなたの街だもん」

「カナデ、あたしみたいなやつはどこにでもいる。何も特別じゃない。海も、あたしも、この街も」


 里奈は心に何度もその言葉を念じた。何もかも特別じゃない。それは彼女にとって優しい愛の言葉でもあった。自分がいなくても、その愛を、その友情を誰かが代わってくれる。そう思うから里奈は生き続けることができたのだ。もしも自分が特別なら、その重みに恐怖してしまう。だから自分である必要はないのだ。生きることも、死ぬことも、たとえ誰かを愛したとしても。


 だがカナデの眼差しは何かを里奈に訴えてくる。何かを里奈だけに求めてくる。だから見つめられると底知れぬ恐怖を抱いてしまう。その時、自分はまだ生きていることに気がついてしまう。その時、ふと思った。カナデは果たして生きているのだろうかと。汚れもなくただ美しいだけの少女は、キョトンと里奈のことを見つめていた。


「ねぇ、カナデ。あなたの物語を聞かせてよ。あたしと出会う前、そしてあたしと出会った後、あなたは何を失ったのか? どうせあたしを殺すんでしょ。死者には花束を添えるもの。それが出来ないのなら、せめて最後にあんたのことを知りたい」

「そうだね。聞きたいよね、私の話……」


 カナデは微笑みを浮かべ砂浜に上がった。彼女は里奈に歩み寄るとその手を握る。カナデの肌はまるで死体のように冷たかった。彼女は言った。


「あの時、いつものように空は青かったの。でも、一点の曇りがあった。その時、一つの事実が消されようとしていた。私はね、人を殺そうとしていたの。そしたら、また、空が青ざめると信じていたから……」

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ウィトゲンシュタインの幻想 時川雪絵 @MakaN7

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