私に濡れ衣を着せるなら、相応の覚悟はお持ちですわよね?

新 星緒

一台の馬車が王宮に着き……

 馬車の扉が開くと、聖騎士団の団長が恭しく頭を下げている姿が見えた。


「また殿下はエスコートをしてくださらないのね?」

 そう尋ねると団長のオドネル様は、

「申し訳ございません、アメリア様」

 と、さらに頭を下げた。彼は国王陛下の末の弟で、現在はカッシーニ公爵だ。


 だというのに、いつも私に丁寧に接してくれる。

「あなたが謝ることではありませんわ」


 オドネル様はより深く頭を下げてから姿勢をただし、私に手を向けた。

 大勢の聖騎士が見守る中、彼の手を借りてステップを降りる。

 このやり取りには、もう、すっかり慣れてしまった。


 私の婚約者である王太子ダミアーノは、随分前からその役目を放棄している。代わりに、お気に入りの娘を、まるで妃であるかのように大切にしている。


 かつては彼に親愛の情があった。だけど今は、すべて消え去った。

 当然よね?


 いくら私が聖女でも、忍耐には限りがあるの。

 あんな男の妃になんてなりたくない。

 でも陛下がお決めになった王家と我がマリノーニ公爵家との契約だから、簡単に婚約解消はできないのよね。困ったものだわ。


 あんなアホな王太子に比べて――


 私の一歩前を、守るように歩くオドネル様の横顔をそっとみつめる。今日も白い制服がよく似合っている。

 聖騎士団の仕事のひとつは、聖女の護衛。そのせいかオドネル様はダミアーノがいないときはいつも、こうやってエスコート代わりをしてくれる。


 とても頼りになり、信頼できるひと。

 そんな彼は非常に美しい。

 月の光を集めたような銀色の髪に彩られた白皙の頬に、すっと通った鼻梁、完璧な角度を描く眉に、エメラルドのような瞳。


 騎士であらせられるから、常に眼光は鋭いし、口も強く引き結ばれていて険しい表情をしている。

 

 なにしろ、とても責任感の強い人だから。たとえ王宮の中といえども、警戒は怠らない。

 オドネル様は王弟でありながら、聖騎士という責任が重く、実労働の多い職についた。

 そして実力でわずか二十三歳にして、団長の地位についた努力の人でもある。


 こんな傑出したひととダミアーノが血がつながっているなんて、とても信じられないわ。


 オドネル様と私、それから護衛の聖騎士たちは、大広間に入った。今日は隣国の大使の着任式があり、ダミアーノが病床にある陛下の名代を務める。本来は私も次期王妃として、彼とともに公務を行うはずだった。


 だけどダミアーノから、『やらなくていい』と言われたのだ。

 そして私は『王太子の婚約者』としてではなく、『国唯一の聖女』として関係者席で参加する。


 隣国の大使の前で、この扱い。

 なかなかに酷いわよね? 


 これが陛下のお耳に入ったら、さすがに婚約解消を認めてくれると思う。でも、まだそのご連絡がないということは、お耳に届いていないのだろう。

 ――でなければ、公表されているよりもずっと、お具合が悪いか。


 王弟であるオドネル様も、しばらく会えていないと言っている。母親が異なり、歳が二十以上離れているふたりは、親子のように仲がよい。それなのに面会不可というのは、どう考えてもおかしい。


 居並ぶ参列者たちに挨拶をしながら、所定の位置に向かう。

 聖女である私の場所は、大司教様のとなり。護衛でもある聖騎士団長のオドネル様も、並び立つ。

 あとは開式をまつばかり。と――

 

「アメリア・マリノーニ!」と私の名前を呼ぶ声が、大広間に響き渡った。

 それと同時に近衛兵たちが駆け寄って来て、私とオドネル様を包囲する。


「何事だ!」と、剣の柄に手をかけるオドネル様。

「叔父上、退いてくれ」

 と、ダミアーノの声がして、彼が姿を現した。その腕には令嬢がひとり、しがみついている。

 派手な格好をし、不行儀な彼女は私の義妹エリーだ。


 三年前に両親が他界したとき、母の弟パウルがもっともらしい理由を並べ立ててマリノーニ家の爵位を継いだ。代々女性が当主の家柄なのにも関わらず。


 その際に私と妹リリアは彼と養子縁組をした。

 パウル叔父の本意ではなかっただろう。彼の計画にはなかったものの、私に聖女の印が現れたからそうせざるをえなかったのだと思う。


 叔父は、マリノーニ家を奪えば娘のエリーが聖女になる、と考えていたはずだ。我が家は代々の聖女を輩出する家柄で、選ぶのは女神さまのご神託。選択基準は、マリノーニ本家の女性というものだけ。

 叔父は速攻で当主の座についたけれど、タッチの差で私が聖女に選ばれたのだ。


 ダミアーノが憤怒の形相で、私を指さした。

「アメリア、聖女でありながらこのようなことを企むとは、言語道断。覚悟はできているのだろうな!」

「……いったいなんのお話でしょう」

「よくもぬけぬけと! お前は奸計を巡らせエリーを殺害しようとしたではないか! すべての証拠は揃っている!」

 まあ。奸計ですって。


「では、その証拠を見せろ」と、オドネル様が迫った。

「叔父上。あなたには、アメリアに手を貸した嫌疑がかかっている」

「……ダミアーノ。本気で言っているの?」


 私の問いに、彼は返事をする代わりに片手を上げた。

「あの奸婦かんぷを捕えろ!」

 オドネル様がすかさず剣を抜こうとしたので、手で押しとどめる。

 私たちはあっという間に近衛兵に捕らわれて、縄でぐるぐる巻きに縛られた。


「落ち着いてください、殿下」と大司教様がダミアーノの前に進み出た。「聖女の祈りなくしては――」

「問題ない。聖女は死ねば、近日中に新しい聖女が選定される」

「確かに今までの歴史ではそうでしたが――。まさか、アメリア様を!?」

「ああ。これからは大切な式があるからな。午後一番、王宮前の広場で公開処刑にする」

「なっ!」


 広間中がざわめきたつ。

 オドネル様も縄から逃れようと、動き出した。


「ダミアーノ殿下」と私は声を張り上げた。

 あっという間に、ざわめきが消える。

「私に濡れ衣を着せるなら、相応の覚悟はお持ちですわよね?」

「……濡れ衣ではなく、事実だからな。残念だよ、アメリア。君が私の寵愛を得られなかったくらいで、殺人を犯すような人間だとは思わなかった」


 ダミアーノは、底意地の悪そうな笑みを浮かべた。その腕にエリーが、いっそうしがみつく。


「お義姉さまが怖いですわ……」

「よしよし。その恐怖もあと少しで消え去る。喜ぶがいい」

 王太子とその愛人は寄り添って、自分たちだけの世界に浸っている。


 ちょうどいいわ。

 私とオドネル様が視線を交わしているのにも、気づかないのだから。


◇◇


 私は縄で縛られたまま、城の地下にある牢に入れられた。灯りすらもらえず、真っ暗闇で寒い。

 どう動いていいのかわからないので、立ったまま兵士が遠ざかる足音を聞いていた。

 やがて、物音ひとつしなくなった。


「思った以上にひどいわ」

 ひとりごちる。

「ごめん。それはぼくも」


 そう声がして、目の前に小さい狼が現れた。羽根もないのに、空中に浮かぶ。毛並みは白銀で瞳はアイスブルー。この世に存在しない姿。彼は神獣のヴォルフだ。とても素敵なのに、私にしか見えないのが玉に瑕なのよね。


「はい、アメリア!」と、彼が言うのと同時に、私をぐるぐる巻きにしていた縄が消えた。更に牢が明るくなる。


「女神さまは千里眼持ちではあるけれど、細かいことまでは見えないんだ」とヴォルフ。「人間と神とでは、流れる時間が違うからね」

「ええ。仕方ないわ。ダミアーノに処刑される未来を教えていただけただけで、十分助かっているわ」


 私はそう答えると、床に横座りした。すぐにヴォルフが膝の上に乗ってくる。彼は女神様のお使いなのだけど、とても甘えん坊なのだ。

 背中をそっと撫でると、満足そうに目を細める。


 一週間ほど前のこと。彼は私に女神さまのお言葉を伝えてくれた。それは、ダミアーノが私に冤罪を着せて処刑しようとする、ということだった。だけど正確な日にちや、細かい状況は不明。だから私にできることは、ヴォルフのアドバイスに従って、その時に備えた行動をとっておくことだけだった。


 少しばかり過激な対応だけど、仕方ない。ほかに対策のしようがなかったのだもの。


「女神さまはさ」とヴォルフが言う。「アメリアのお母さんを救えなかったことを後悔しているんだよね」

「まあ。そうなの?」

「それで僕を君との連絡係にしたのだけど。こうなってくると大正解だったよ」


 初めてヴォルフに会ったとき、聖女に神獣がつくのは初めてだと教えてもらった。そのときは自分が幼いせいだと解釈したのだけど、実際はお母様の死が理由だったのね。


「女神さまにもヴォルフにも感謝しかないわ」

 お礼の気持ちをこめて、耳の後ろを丁寧になでる。

「ところでオドネル様は大丈夫かしら」

 彼にはすべて話してある。その上で、私に危機が迫ったときは、かばう素振り・・・・・・以上のことは絶対にしないでほしいとお願いした。


「問題ないさ。いくら愚かなダミアーノでも、父親のお気に入りの王族を冤罪で殺すのはまずいとわかっている」

「それならいいわ。まさか彼まで捕縛されるとは思わなかったから」

「まあ、予想外だったよね。たぶん、君を捕える邪魔をされたくなかっただけじゃないかな? 彼は最強だから」


 そうね、と答えて目をつぶる。

 いくらあらかじめ知っていたとはいえ、ショックがないわけではないのだ。


 正直に言えば、ダミアーノがあんなろくでなしな青年になったのも、予想外だった。子供のころの彼はとても可愛かった。


 私たちは七歳で出会い、彼の猛烈なアピールにより婚約した。ダミアーノは私に一目惚れだったらしい。


 だけど私はマリノーニ家の次期当主だった。だから周りはなんとかダミアーノを諦めさせようとしたのだ。けれど結局根負けして、私は王家に嫁ぎ、まだゼロ歳だった妹リリアが次期当主になることに決まったのだ。


 だけど義妹のエリーが昨年社交界デビューをしてから、ダミアーノは変わってしまった。彼女を気に入ったようで、私よりもエリーを優先することが多くなった。そして陛下が病に倒れると、あからさまに私を邪険にするようになったのだ。


 婚約解消してくれればいいものを。そうはしてくれなかった。

 たぶんダミアーノは、私を嫌な気持ちにさせたかったのだと思う。私が彼の望みを叶えなかったから。


「気にする必要はないよ、アメリア。聖女は女神の規則を守らなければならない。婚前交渉なんてもってのほかだよ」

 私の頭の中を覗いたかのようなヴォルフの言葉に、苦笑する。


「気にしてなんていないわ。ダミアーノがどうしてあんな残念な人になってしまったのかを、考えていただけよ」

「ならいいけど」

「さ、大仕事が待っている。ゆっくり休んでおこう」


 ヴォルフが膝から飛び降りる。次の瞬間、私よりもずっと大きな姿に変化した。そして私を挟み込むように丸くなると、

「石の冷たい床に座らせてごめんよ。あとは僕の毛にくるまっていて」と言った。

「いつもありがとう。最高の安心感――と、もふもふだわ!」


 ヴォルフの見た目とは違って柔らかな毛を触りながら、私も丸くなり目をつむった。


◇◇


 再びぐるぐる巻きに縛られて連れていかれた広場には、断頭台が用意されていた。ご丁寧に小さな演壇のようなものが組まれて、その上に乗っている。聖女の断頭を一大ショーにするつもりなのだろう。


 これはちょっと、いただけない。

 一般市民が大勢集まってしまっている。この騒動に巻き込みたくはないのよね。


「聖女様!」と、声が上がった。

 目をやると、一ヶ所に固まった聖騎士団が泣きそうな顔で私を見ている。その中にはオドネル様の姿もある。どうやら解放されたらしい。

 私は「大丈夫よ」との気持ちを込めて、彼らに向けて微笑んだ。


 みんな悔しそうな顔をしているけれど、口を硬く引き結んだまま黙っている。きっとオドネル様が、うまく指示を出してくれたのだ。


 近衛兵に促されて、台の階段をのぼる。するとすぐ正面にダミアーノとエリーがいた。大司教様が必死に「おやめください」と懇願しているけれど、まったく相手にしていない。


「さあ、悪女を断頭台に!」と、嬉しそうに叫ぶダミアーノ。

 私は近衛兵から離れ台の端まで歩いていき、愚かな王太子を見下ろした。

「殿下。聖女がなんのために存在するか、覚えていらっしゃいますか?」

「時間稼ぎはいい! さっさと――」

「魔王は復活しますわよ!」


 一声叫ぶと、広場の中央に立つ魔王像を見た。人の背丈の倍ほどある巨像だ。

 『像』と呼んでいるけれど、あれは一千年前に勇者たちの手によって石化された、本物の魔王だ。

 聖女の仕事は日々、祈りによってあの像を浄化すること。


 石化していてもなお魔王の力は強く、邪悪な力を放っている。それを浄化して消さないと、いずれ魔王は力を溜めて復活すると言われている。


 代々の聖女がなぜマリノーニ家から排出されるかといえば、かつて討伐隊に加わっていた聖女の子孫だからだ。そして王家は勇者の末裔。


「殿下は私に興味がないからご存じないようですが」と言って、再びダミアーノを見る。「私、一週間ほど風邪で伏せっていましたのよ」

 断頭台まわりに集まっている貴族や高官たちが、息をのんだ。


「今日も着任式を優先したため、まだお祈りをしていませんの。私を殺して次の聖女が選定されるまで、少なくとも数日はかかります。果たして魔王像は持ちますかしら?」


 ダミアーノの顔が強張った。

 祈りをしないで問題ない日数がどれだけなのか、正確なところは誰も知らない。


「ですから、考え直してください」と大司教様が王太子にすがる。「その間に、その暗殺未遂事件のこともきちんと再調査いたしましょう。聖女アメリア様がそんなことをするとは到底思えません」


 ああ、大司教様。彼はとても清らかな方だからこそ、世事に疎い。

 自分が今、愚かな王太子に最悪の決意をさせてしまったとは、微塵も思わないだろう。


 まなじりを決したダミアーノが、右手を地面と水平に振った。

「やれ!」

 次の瞬間、私の体に何重にも巻きつけられていた縄が消えた。


「え? なに? 縄はどうしたの?」とポカンとするエリー。

「神獣様が解いてくださったわ」と、私は斜め上を見上げる。

 小さな姿で空中に浮かんでいるヴォルフは、私にだけ聞こえる声で「裁きの時間だね」と言った。


「なにが神獣だ。なにもいないじゃないか」と醜悪な顔で叫ぶダミアーノ。

「私にしか見えないのよ」

「いや。女神さまがお力を貸してくださるらしい」ヴォルフがそう言うと。居並ぶ人たちがきょろきょろし始めた。


「もしかして、あなたの声が聞こえたの?」

「そうだよ。姿もね。一時的にだけど」と答えたヴォルフ。

 ダミアーノたちがヴォルフを指さしわめき始めた。どうやら視認できるようになったらしい。 


「アメリア。それよりも、真剣にまずそう」とヴォルフが言った。


 ぴしり、と亀裂が入るような音がした。

 魔王像を見る。

 その頭部に大きなひびが入っている。

 あちこちで悲鳴が上がった。


「アメリア様!!」

 聞きなれた声がして、台の上にひらりと白い天使が舞い降りた。

 オドネル様だ。

「退避を! 我々がお守りします」

「でもまだ――」

「そんなことはどうでもいい!」腕をオドネル様がそっと掴む。「行きますよ!」


「待て、アメリア! 早く祈れ!」とダミアーノが叫んだ。

「もう手遅れだよ」とヴォルフが答える。


 魔王像に数えきれないほどの亀裂が入る。

 逃げ惑う群衆。その中で聖騎士団だけが、断頭台の周りに立ち並ぶ。


「はやくやってよ、お義姉さま!」とエリーも叫ぶ。

 王太子と愛人はふたりで抱き合いながら、ガタガタと震えている。

 大司教様は聖騎士団員が肩に担ぎ上げて、強制的に退避させている。


 魔王像が揺れた。

 次の瞬間、轟音を立てて粉々に崩れ落ちた。

 広場が静寂につつまれる。


「――魔王は?」とダミアーノ。「いないじゃないか」

「なんだ、びっくしりた」

 愚かなふたりが笑いあう。

 だけどすぐにダミアーノは苦悶の叫び声をあげ、身をよじらせた。


「ダミアーノ!? どうしたの!?」と、エリーが彼を支えようとする。

 私は、

「エリー、逃げなさい」と伝えてあげた。

「なぜよ!?」私をにらみつけるエリー。「お義姉さまがなにかしたの?」

「いいえ。魔王が復活するのよ。ダミアーノの体を借りて」


「そのとおり」とヴォルフがうなずく。「君たちはきちんと歴史を勉強していないね? 魔王は最期のとき、体が爆発四散するはずだった。それによる死を回避するために、勇者の体を乗っ取ろうとしたんだ」

「それを制止するために、魔法使いたちが魔王を石化したのよ」と言い次ぐ。


 エリーはダミアーノを見ると、そろそろと後ずさりはじめた。


「やめろ! 頼む!」

 頭を抱えたダミアーノが叫ぶ。

 かと思えば私を見上げて、

「助けてくれ! 私の中になにかいる!」と懇願した。

「もう、無理よ。だから言ったでしょう?『私に濡れ衣を着せるなら、相応の覚悟はお持ちですわよね?』って」

「可哀想だがダミアーノ。魔王を復活させるわけにはいかない」とオドネル様が告げ、剣を抜く。

 それに合わせて、聖騎士たちが剣を構えてダミアーノを囲んだ。


「やめてくれ!」


 全聖騎士の剣が輝き始める。彼らもまた、当時魔王と戦った勇者や魔法使いの子孫で、普通のひとにはない力を持っているのだ。


 ダミアーノの表情が、苦悶のものから憤怒のものに一変した。

「小癪な虫どもめ!」

 ひび割れた、恐ろしい声。彼の側頭部が盛り上がり、ヤギのような角が現れた。


「まずい!」

 オドネル様が叫んで台から飛び降りる。

 私は目をつむると、手を組み祈りを捧げた。


 断末魔の叫び声が上がる。


 目を開くとダミアーノだったひとが体中を剣で突かれ、全身緑色の血にまみれて息絶えていた。


◇◇


「私がこんなことになったばかりに。すまな……ゲホゲホッ」

 激しく咳き込みはじめた陛下の背中をさする。


 国王陛下の寝室。面会が可能になったと聞いてオドネル様と訪れてみたら、陛下は想像以上にお弱りになっていた。


 それでもベッドに半身を起こして会話はできる。でも、少し前までは意識が混濁してかなり危ない状態だったらしい。


「いえ、私がもっと叔父としてダミアーノに意見をしていれば、こんなことにはならなかったでしょう」

 オドネル様が頭を下げる。


「違います。悪いのは叔父です。公爵位だけでは飽き足らず、エリーを王妃にしようと企むから」

 そう。すべては彼の計画だった。ダミアーノは自分の意思で行動しているつもりだったみたいだけど。うまくエリーに操られていたのだ。色仕掛けに陥落して。

 そんな叔父とエリーには、内乱罪が適用されるときいている。


「そうだ、悪いのは私じゃない!」

 陛下の足の上で丸くなっていた犬が叫ぶ。

「このバカ息子が!」と陛下は叫んで、犬のおしりをはたいた。

 きゃうん、と犬。


 でも中身はダミアーノだ。

 体を魔王に乗っ取られた彼は弾き飛ばされ、広場の隅にいた野良犬の体に入ったらしい。


 本人はいずれ人間の体に戻るつもりでいるみたいだけど、無理な話だ。ダミアーノの体はすでに魔王と共に死んでいる。たとえ死んでいなくとも、そのようなことができる者は、ヴォルフを含めて誰もいない。


 死ななかっただけマシと思ってもらうほかは、ないわよね。

 あれだけのことをしたのに、命があるのだし。陛下が飼うことになったし。それに、犬の体に早くも順応しているみたい。

 陛下になでられているときは、幸せそうな顔をしているから。


「お前はアメリアの寛容さに感謝するのだ」と陛下が犬のダミアーノを叱る。「感謝できないのなら、処分するしかないのだからな!」


 ダミアーノは耳を伏せ、しっぽを後ろ足の間に隠した。

 でも、なにも言わない。


「まったく卑怯な。こういうときばかり犬ぶって」

 と、嘆息するオドネル様。それから彼は私に笑顔を向けた。

「さあ、アメリア様。行きましょう。駄犬のもとに長居は不要です」

「オドネル様。いい加減、敬語はやめてください。私はもう聖女ではないのですから」


 魔王像はなくなった。ということは、聖女の仕事もなくなる。

 つまり、私は聖女卒業。


 聖騎士団は様々なお役目があるから存続を続けるけれど、聖女の護衛任務はなくなった。

 王族であり公爵であり、聖騎士団の団長であるオドネル様に敬語で話される理由はない。


「ううん。では」とオドネル様が笑みを深くして、手を差し出した。「アメリア、行こう」

 や、やっぱり敬語ありのほうがよかったかもしれない!

 慣れない言葉遣いに、緊張して胸がドキドキしている。

 震えそうになりながら、なんとか彼の手を取った。


 陛下にご挨拶をして、寝室を出て、長い廊下を、ふたりで並んで歩く。

 こんなことも、これで最後かもしれない。もう彼と私を繋ぐ関係はなにもないのだから。


「だけどアメリア」とオドネル様が私を見た。「ダミアーノを許して、本当によかったのか?」

「殿下はお亡くなりになりましたわ」


 公式発表では、そうなっている。


「陛下のもとにいるのは、ただの犬です。生涯を犬として生き、犬として死ぬ」

「そうだな。兄上がご存命の間は可愛がってもらえるだろうが、そのあとは……」

 私は無言でうなずいた。

 しゃべる犬なんて、たいていの人は気持ち悪がるだろう。


「そんなことよりも、オドネル様。私の話を信じて対応してくださり、ありがとうございました」

 ヴォルフの姿も声も、私しかわからない。それなのに彼は、『女神様から、ダミアーノ王太子が私を処刑する計画をしていると聞いた』なんて突拍子もない話を、信じてくれたのだ。


 私が『風邪』で一週間も寝込みお祈りできないことを許容し、魔王復活の際はダミアーノに剣を向ける決意もしてくれた。オドネル様には感謝しかない。


「当然だろ。五年もアメリアを守ってきたんだ。嘘か真かぐらいわかる。もっとも君は、嘘をつかないけれど」と微笑むオドネル様。

「信用していただけて、嬉しいです」

 頬が熱い。鼓動もさっきより早くなった気がする。


「今回のことはうまく女神に利用された気もするけど、まあ俺も利用し返したからな」

「どういうことですか?」

 尋ねるとオドネル様は笑顔だけを返し、私をバルコニーに誘った。


 王宮の美しい庭園が一望できる。

「アメリア。君はこれからどうするつもりだ?」

「大司教様のもとで助手として働かせていただきたいと考えています。こんなことになって私と結婚してくれる人は現れないでしょうし、いずれ聖職者になろうかと」

「なるほど」とオドネル様はうなずくと、私の手を離して床に片膝をついた。


 まるで私が聖女になり、彼が聖女の騎士として誓いを立ててくれた日のことのようだ。


 あのときの彼はまだ、平騎士にすぎなかった。けれど誰よりも強かったから、私の専属に選ばれたと聞いている。

 王族なのに小娘にかしずかなくてはならないなんて、と気の毒に思った。


 だけど、今はなに?


「アメリア嬢」とオドネル様が真剣な表情で私を見上げる。「君を守っているうちに、好きになってしまった。結婚してほしい」

「っ!」

「わかっている、君は俺をそのような相手だと認識していない。でも必ず幸せにする」


 突然足の力が抜け、床にへたりこむ。


「アメリア!?」

「なんだか急に……」

 今度は涙がぽろぽろこぼれ始めた。

「……私、どうして……」

「そうか」と言ってオドネル様はにっこりとした。

 そして私を抱き上げる。


「アメリア、結婚しよう。そうすれば涙の理由がわかる」

 いいえ。今でもわかるような気がするわ。だけど口にする必要はないわ。


 オドネル様の顔を見上げ、

「はい」と答える。

「やあやあ、よかったおめでとう!」

 そんな声とともに私のお腹の上に、ヴォルフが現れた。


「あら、ヴォルフ。もうお役目は終わったから、こちらには来ないのではなかった?」

「ん? 神獣がいるのか?」とオドネル様が眉をひそめる。

「ええ。私のお腹の上に」

「うん。でも、もう帰るよ。女神さまのお言葉を伝えにきただけだから。『オドネル・カッシーニに求婚されたら、承諾しなさい』だって」

「今、そうしたわ」

 ヴォルフは伸びあがると、嬉しそうに私の頬をなめた。

「これはお祝い。加護が強くなって、より幸運が舞い込むよ。じゃ、お幸せに!」


 ヴォルフの姿が消える。

「行ってしまったわ。オドネル様、私たちの結婚を祝福してもらいました」

「そうか」とオドネル様は相好を崩す。「俺は生涯女神を称えよう」


 それから彼の顔が近づいてきて、額にキスを落とされた。


 触れ合ったところが、熱い。

 胸がドキドキしすぎて、爆発してしまいそう。

 どうやら私、オドネル様のことが好きだったみたい。


 彼に向かって微笑むと、甘くとろけるような笑顔を返してくれたのだった。



《おしまい》

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