産婦人科の受診方法と愛情の伝え方について

 猫の死体を見かけた。

 はあ、ナルホド? だからどうした。あたし、立花絵梨花は焦っている。あの暇つぶしで付き合ったクズの子供を孕んでしまったかもしれねえと戦々恐々としている。猫の死体にかまっている暇は、あたしにはない。ささっと産婦人科に行って色々検査してもらいたいのだ。だから夏の暑い町を制服で一人歩いているワケで。できるならもっと涼しいとこ(教室とか)にいたかったけど歩くしかないから。

 制服は汗でベタつく。日焼け止め全部落ちた気がする。夏は嫌いだ。クソッタレ。暑苦しい排気ガスとか、見た目だけ清々しい青空とか、ギラギラとあたしを焼く殺人的な日差しとか。全部嫌いだ。夏という季節が、あたしは心の底から気に入らない。

 そんな夏の炎天下に放置された猫の死体は車に轢き潰されてぐちゃぐちゃになっていく。気にかける余裕はない。あたしはあたしのことで精一杯だった。

 ……あたしが優しかったら。

 あたしがもっと優しかったら、猫を気にかけてやれるんだろうかと、そう思った。



 ……



 あたしには好きな人がいる。

 そう、マジでラブリーキュートな女の人。あたしだけの片想い。あたしだけが魅力を知っている……なんて傲慢なことは思っていないけど、そうだったらいいなとは少しだけ考えてしまう。

 その名も、山田和美。あたしの担任のセンセー。

 大人の人で、しかも教師と教え子という関係のあたし達は結ばれるハズがなかった。しかし恋してしまったからなあ……。カズミちゃんは可愛いのだ。おかっぱにしてある綺麗な黒髪も銀縁のシックな眼鏡も女神かってぐらい似合う。カズミちゃんと呼ばれるたびに照れつつ先生だと訂正する姿が愛らしい。可愛い。大人の女の人。落ち着いていて、かっこいい。スーツがよく似合う。教職嫌いのあたしが唯一大好きで言うことを聞く、最高の大人。

 さて、何故あたしが唐突に赤裸々な告白をしたかというと、それはズバリ現実逃避だった。

 結論を言ってしまえば、あたしは妊娠していた。もう堕ろせないほどに時間が経っていた。後回しにするクセはやめた方がいい。マジで。真っ暗闇になった外を眺めながら、帰りの電車に揺られながら、あたしは放心し現実逃避をする。

 帰りたくない。

 ママはなんて言うだろう。あの世間体だけ異様に気にするクソババアはあたしをどうするだろう。もう勘当でも縁切りでもなんでもいいけど、あたしはどう生きるべきなんだろう。クソ野郎にも報告しなきゃかな。

 一夜の寂しさを紛らわすための、ほんのちょっとの暇つぶし。添加物と下心山盛りの、ベタついた愛情を摂取するためだけのお遊戯会。その副産物に悩まされている。サイテーな気分だ。ああ、帰りたくない。もう嫌になる。未来が真っ暗で怖い。踏み出したくないのに決断を迫られて、息苦しい。もう投げ出してしまいたかった。

 そうだ、明日は補習じゃん。

 カズミちゃんに会える。まだ希望を持てる。そうやってちょっとした幸福を消費して前を向くしかない。少なくとも、今は。



 ……



 カズミちゃんに猫の死体の話をした。

 よくわかってなさそうだった。優しいの定義も、何もかも。結局カズミちゃんの困ったような顔を眺めるだけの時間となった。うーん、可愛い。


「カズミちゃんは優しいね」


 そう言ったらカズミちゃんはチョークを落としてしまった。エ、そんな動揺する? 可愛いな……。サンリオぐらい可愛い。超絶キュート。


「な、何を」


「だから、優しいねって」


 慌てて散らかったチョークを拾うカズミちゃんに再度復唱した。照れているカズミちゃんはやっぱり可愛い。口には出さないけど。


「……優しくなんて、ないですよ」


「そうかな?」


 だって、あたしが好きって言ったら受け入れてくれるでしょう?

 カズミちゃんは優しいから、あたしの告白を形だけでも受け入れてくれる。しょうがないなあなんて顔をして、抱きしめてくれる。どこまでも救われないあたしを受け入れてくれる。取り返しがつかないあたしを愛してくれる。ママや一夜限りの彼氏とは違う。カズミちゃんだけは本当のあたしを好きだって言ってくれる。


「優しいじゃん。あたしのためにワザワザ補習なんてしてくれて」


「……これやらないとあなた留年になっちゃうんですよ。わかってます?」


「そこが優しい。気にかけてくれてるじゃんね」


「そういう仕事ですから」


 あら、淡白なお返事。ツンデレだなあ。


「ね、カズミちゃん。好きな人っている?」


「……また唐突な。ほら再開しますよ。ほんとにやばいんですから」


「えー、いいじゃん。恋バナしよーよ。ほら好きな人いる? 誰? 芸能人で言うと誰似?」


「……いますよ」


「マジで?! 意外!」


「あんなに質問ぜめにしてたクセに……」


 いるんだ、好きな人。

 絶対あたしじゃないだろうな。どんな人なんだろう。かっこいいかな。カズミちゃんならウエディングドレスも似合うよね。いや、白無垢かな? どっちも見てみたいなあ。できるなら、純粋な気持ちで応援したかったかも。

 あたしと形だけ結ばれても幸せにならないもの。

 カズミちゃんの人生を食い潰してしまう。じゃあカズミちゃんが選んだ人と結ばれた方がいいに決まってる。どうか幸せになって。あたしを忘れて。どうか、幻想だけ見させて。幼稚な、幻のような愛情を摂取して初めてあたしは生きられるの。どうかどうか、カズミちゃんだけは幸せになって。あたしのことなんて忘れていいから。

 どうか、あたしのこと、嘘でもいいから好きだって言って。


「……あ、あたしのこと、好き?」


 聞くつもりじゃなかった。

 聞いたら幻想が壊れてしまう。愛情の再確認は危険だ。理想のカズミちゃんが壊れるかもしれない。なら危険な橋は渡らないほうがいい。そうだ、そうに決まっている。いるのに、あたしは聞いてしまった。

 カズミちゃんは考えている。空に止まったチョークを置く。心臓が止まりそうになる。


「……好きですよ」


「カズミちゃ」


「導くべき生徒として」


 聞かなきゃよかったのにね。



 ……



 たとえばの話。

 道路の真ん中に放っておかれた猫の死体を気にかけることもできないような優しくない人が、望んだワケじゃない子供を愛することができるのだろうか。

 紛い物のような愛情ばかり摂取した不健康な子供は、自身の子供を本心から愛することができるのだろうか。

 結局のところ立花絵梨花は誰にも愛されない不幸な子供だったってこと。それだけの話。不幸にしかならない話。もう終わった話。唯一愛した人からも愛されなかった可哀想な子供。めでたしめでたし。おしまいおしまい。

 カズミちゃんは愛してくれなかった。

 だから終わらせることにした。

 カズミちゃんの通学ルートは把握していたから、なるべくカズミちゃんだけが見つけられるような場所を選ぶことにした。町外れの倉庫。カズミちゃんはよくショートカットにそこを使う。人通りは少ないから、これならカズミちゃんだけが見つけてくれるだろうと思って、そこで終わらせることにした。

 包丁はどこでも買える。

 見つかるのは多分夏休みが終わったあと。カズミちゃんが学校に向かう途中。可愛いと褒めてくれたスクールバックを目印に、あたしは倉庫内へ不法侵入する。

 暑かった。

 やっぱり、夏は嫌いだ。熱された埃っぽい空気も、熱くなった床も、蒸し暑い空間も、制服に染みた冷や汗も、全部気に入らない。癪に触る。クソッタレ。

 包丁を構える。首筋に当てる。こぼれ出た血液の温度が気持ち悪く、早く取り出さないとと、暑さでマトモに回らない頭で考える。

 あたしは首を切った。


 あたしが腐った死体になっても、どうかあなたが抱きしめてくれますように。

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それ故にどうしようもなく 佐藤風助 @fuusukesatou

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