第9話 図書館見学
「クロ!ごめん、「識字」を取ってくれないか?」
ギルティがクロに声をかける。「識字」とはなんのことだろうか、とホタルは思った。
「りょーかい!」
すでに2階に上がって羽つきのはたきで本棚の埃を払っていたクロが元気に返事をし、とてとてと歩いていく。一番端の棚に着くと、上から2番目の段から迷いなく深青色の本を手に取った。
対してギルティのほうがカウンターのそばまで歩いていくので、ホタルも歩く速さは劣りつつ、その後ろに続く。
ギルティはカウンターのすぐ脇にある本棚の前で立ち止まった。本棚に並んだ本をじっと見たあと、茶色の皮表紙の一冊を引き出す。
そのうちにクロが梯子を使って素早く一階におり、歩いてきて深青色の表紙の本をギルティに手渡した。
「ありがとう」
「どういたしましてー」
ギルティが2冊の本を持ち上げてホタルに見せてくれる。
「一旦座ろう」
そう言うので、2人はオブジェのそばにあるソファに並んで腰掛けた。
足元にはいつのまにかワスレナがいる。
「話を戻すぞ。この青いのは『読書家パトリック』という魔法書。通称「識字の本」だ」
「識字?」
「この物語を読んだ人は、文字が読めるようになるってことだ」
ホタルは首を傾げる。
「文字が読めないのに、物語を読むの?」
「ああ、確かに」とギルティが笑った。
「読み聞かせることでも効果は得られるんだ。だからこれから俺がホタルにこの物語を読み聞かせる。そうすると、ホタルは書庫にある本をみんな読めるようになるだろう」
ギルティが『読書家パトリック』を開くと、ここにも、最初に見た本と同じような白い栞が挟まれていた。中心に文字があるのも同じだ。
「ここには「字が読みたい」って書いてある」
なるほど、とホタルは思った。
「そっちの茶色の本は?」
「これは『森の乙女』……動物と会話ができるようになる本だ」
動物と会話ができるようになる本。
「まさか」
ホタルはワスレナを見る。部屋を出る前のギルティの謎めいた言葉の意味を、ようやく理解した。
「ああ。俺がワスレナと会話できるのは、この本を読んだからだ。司書はここにある本、読み放題だからな」
ギルティがホタルの思ったことを察して頷いた。
「ホタルもワスレナと会話できた方が便利かと思ってな。だからホタルには『識字の本』を読み聞かせたあと、これを読んでもらおうと思ってるんだ」
「慣れないと大変?本、読んだことあまりなくて」
「そうかもしれないな。でも焦ることはないと思うぞ。本が読めなくたって司書の仕事自体はできるし」
ギルティがホタルに2冊を手渡す。
重さはそれほどないが、「難しい童話」だとギルティが言ったとおり多少厚みがあった。
ページをめくると文字がびっしりと並んでいる。いくつか、美しい挿し絵がのっているページもあった。
ホタルが本を見ているうちにギルティが立ち上がり、階段の下に放置していた車椅子を押してくる。
「ほら座れ」
「あ、忘れてた」
促されて、ホタルは車椅子に座った。
「全く」ギルティが呆れたようにため息をつく。
再びギルティがホタルの乗った車椅子を押し始めると、ワスレナもちゃんとついてきた。
「じゃ、とりあえずその2冊の貸出手続きをしようか」
「あれ?ホタル、本借りるのー?」
カウンターに行くと、そこで頬杖をついていたクロクロがのんびりと言った。
「客ににその態度はやめたほうがいいぞ』
ギルティが注意すると彼女は「はーい」と覇気のない返事をした。
「そもそもあんまりお客さん来ないけどねー」
「それを言うんじゃない……まあいい、バインダーをくれ」
ギルティが手を出すと「どうぞー」とクロクロが木でできた木の板をそこにのせた。上に紙が挟まれている。それが、「バインダー」というものらしい。
「じゃあ、ホタルの名前を書いておく」
ギルティが紙に書き付けながら言った。
「ああ、言っておくが、識字の本を読んでも字は書けるようにならないぞ。また別の本を読まないと」
ホタルは頷いた。
「よし、次は書庫の裏を案内しよう」
ギルティが車椅子をまた押し始める。
車椅子の行く先は、カウンターの脇についている重そうなドアだった。
ギルティが扉を開いてくれたので、ワスレナ、ホタル、ギルティの順で先に進む。
そこは書庫の2倍ほどの大きさの部屋になっていた。壁紙は廊下と同じ色で、広い窓から多少の光が入ってくるので書庫に比べるとかなり明るい。
壁際には大量の書類が積まれた棚が置かれている。
中央にはテーブル、ソファが置かれ、脇には小さなキッチンがあった。
ソファにはマックロらしき女の子が腰掛け、テーブルについて何やら真剣な表情で書類仕事をしている。
家具ひとつひとつはホタルの部屋や廊下にあるものと変わらないデザインだが、受ける印象はかなり違った。
「ここが事務作業場所兼、応接室」
そう説明したギルティの声にマックロがびくりと反応し、初めてホタルたちの存在に気づく。
「ああ、ホタル。部屋出れたの。良かったね」
そう言って控えめに微笑んでくれた。
マックロは他の魔動人形たちといる時は騒がしくはしゃいでいるが、ギルティやホタルと一対一の会話になると途端に少し大人しくなる子なのだ。
「ありがとう」
ホタルは頷いてみせる。
顔をテーブルに戻したマックロが再び書類と睨み合いを始めたので、ホタルたちも部屋の奥まで進んだ。
キッチンの脇には2枚のドアがある。
「右はトイレだ。2階にあったものと同じ」
ギルティがドアを両方とも大きく開き、ホタルに室内を見せた。
「そして左は入浴場。人形たちやワスレナは入らないし、ホタルは怪我があるからしばらくは使えないだろうが」
ギルティが扉を閉める。
ホタルが乗っている車椅子を再び押して向きを変え、応接室を横切った。
「この奥にあるのが最後の部屋だ」
そう言ってキッチンに入る。
キッチンの隅に、その部屋への入り口があった。
他の部屋と違い、扉はついていない。茶色の分厚いカーテンでキッチンと仕切られているのみだ。
入り口の端には透明な筒状の道具が置いてある。透明といっても濁った色をしており、上下についた金属の蓋に細かい細工がしてあった。ギルティはそれを拾いあげてから、カーテンをめくる。
その途端、さっき書庫に入った時に感じたものと同じ匂いがホタルの鼻に届いた。本がある部屋だとすぐに分かる。
ただ、周りが真っ暗で何も見えない。
ギルティが「ちょっと待ってろ」と言って部屋を出ていった。
戻ってくると、先程彼が手に持っていた道具が橙色に発光していた。いや、正確には筒ではなく、その中に入っている萎んだ花のようなものが光っているのだ。
どうやら筒はランタンだったらしい。
ギルティが部屋に入ってランタンを持ち上げると、部屋全体がじんわりと優しく照らされる。
ホタルの予想通り、そこは本が置いてある部屋だった。
細長い部屋で、入り口の左奥に向かって長く続いている。暗いせいで奥がどうなっているのかはよく見えない。
幅は2階にあった廊下と同じくらいで、両脇には本棚が設置されているが、車椅子にのったホタルでもかなり楽に通ることができる。
床や壁は石が剥き出しだ。手を伸ばして触れてみると冷たかった。
ホタルが本棚を眺めると、そこには本が車庫と同じようにきちんと収まっている。だがそれだけでは場所が足りないのか、その部屋のあちらこちらには大量に本が積み上げられ、さながら本の森のようになっていた。
本だけではなくあちこちにちょっとした雑貨や、異国のものらしい巻かれた絨毯が置いてある。
「ここは、裏書庫」
ギルティが言った。
「魔法書ではない本や、破損してしまった魔法書の保管場所としても使われている。応接室に置いておくと日光が当たってしまうから、本に悪いんだ」
ホタルが部屋中を眺めていると、ギルティが「気に入ったのか」と言った。
ホタルは頷く。
「それは良かった。ただ、足元がでこぼこしているから車椅子には向いていないな。走ることができるくらいになったらまた来るといい」
ワスレナも同調するようにぶうぶうと鳴いた。
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「実は、この図書館についてホタルにまだ言っていないことがある」
裏書庫を出たのち。ギルティがホタルに話があると言うので、2人は応接室のソファに向かい合って腰掛けていた。ギルティの脇にはワスレナが座っている。
2人と1匹が裏書庫を見ている間にマックロは別の仕事に移ったらしい、戻ってくると書類とともにいなくなっていた。そこで、ギルティの提案で場所を少し借りることにしたのだ。
ギルティは気まずそうに口を開いた。
「司書の仕事は魔法書の整理や書庫の掃除だけではないんだ」
ホタルはギルティの言葉にそれほど驚きを感じない。
教育を受けなかったので教養があるとはいえないホタルではあるが、生きるためのずる賢さは多少なりとも身につけていた。だから自分が急に司書となったことに何か裏がある、ということに薄々勘づいてはいた。
「うん」
「魔法書は特別だと言っただろ?この図書館ではそれを国民に無償で貸している。代わりに、魔法書を延滞……つまり期限通りに返さないと」
ギルティが目を伏せた。
「死刑になる」
「死刑……」
「そしてその執行を行うのが、ここの司書の仕事なんだ」
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