第12話


■12月25日 昼過ぎ、六日町の高校、1年A組の教室


 暖房の温かい風が漂う教室に、起立、礼の声が響く。今日で二学期は終わり。明日から冬休み。学校は午前中で終わる。教室には「どこ行く?」、「このあとどうする?」と弾む話で満ちている。みんなどこか華やいだ気持ちになっている。

 僕も同じ気持ちだった。このあと拓真とどこかに遊びに行こうと考えていた。リュックにノートを詰めて帰り支度を終えると、拓真が僕のそばにやってきた。


 「悪い。ちょっとスキー部の部室に顔出してくる。すぐ戻るから待っててくれ」

 「うん、いいけど……。輝帆さんは?」

 「まあ、そのことで話したいんだ」


 昨日、僕と別れたあとで、何かあったのかもしれない。僕は「うん、わかった」とだけ言う。そのとき拓真が少し白い顔をしていることに気付く。

 拓真は急いでる様子で、教室から出ていく。それと入れ替わりに、保健の浅萩先生が入ってきた。


 「君島君、ちょっといい?」


 手招きする先生に、僕はうなずく。なんだろ。浅萩先生のところに行くと、辺りを見回したあとで僕に言う。


 「ちょっといまから保健室に来てくれる?」


 僕は「はい」とだけ言い、歩き出した浅萩先生のあとをついていく。


 廊下の窓から、灰色の雲の向こうにわずかな青空が見えていた。雲の隙間から陽射しがきらめて、白い野原をまぶしく照らしている。


 保健室に入ると、浅萩先生は自分の少しくたびれた椅子に座った。破れた跡がある黒い丸椅子を自分のほうに引き寄せると、「ここに座ってね」と僕に言う。僕はその椅子に座る。浅萩先生は僕に向き直ると、ひどく申し訳なさそうに話し始めた。


 「ごめんなさいね。お母さんから連絡あったものだから」

 「それは……僕の体のことですか?」

 「そうなの。先生はね、そろそろ周囲に話さないとダメだと思うの。胸の形が……、そのね。わかるようになったし。冬休みが明けたらもう隠せないかもしない」

 「でも、僕はまだ……」


 まだ、拓真に言ってない。うつむいた僕に、浅萩先生は説得を続ける。


 「希望すれば制服も女子のに変えられるし、新学期からだとちょうどいいと思う。どうかな?」

 「まだ……考えていたいです」

 「うん、君島君は考えて欲しいんだけど、ほらね。男子の中にはもう混ざれないの」


 僕は顔を上げて、浅萩先生を見つめる。とても深刻そうな顔をして、僕を憐れんでいた。


 「事故防止の意味もあるから。どうしても目が届かないところもあるし。よく考えてみてね」

 「それは……どういうことですか?」

 「体が変わるということはそういうことなの。いたずらされるかもしれないし、もっとひどいことが起きるかもしれない」


 遠くで部活の音が聞こえていた。男の子が掛け声をあげていた。


 そんな……。

 浅萩先生の言うことがひどく遠くに感じる。


 僕は手をぎゅっと握り締める。


 「みんないい人たちばっかりです。それに僕が男だと知ってます」

 「でもね……」


 差し出そうとした手を浅萩先生は途中で下ろす。言いかけた言葉を飲み込む。それから怯えている猫をなだめるように、ゆっくりと僕へ微笑む。


 「君島君は冬休みをどう過ごすの?」


 僕は気を遣われている。それに気付かないふりをして、僕は先生に言う。


 「……お正月は父方の実家のほうにあいさつに行ってます」

 「もしかして十日町の近く?」

 「はい」

 「君島さんといったらあっちだものね。結構大きい家なんでしょ?」

 「はい……。遠くからも親戚が来て、僕は子守役をよくさせられています」

 「にぎやかそうね。良かった。お母さんも行くの?」

 「いつもはひとりで行ってました。今年はいっしょに行きます」

 「そう、なら安心ね」


 安心……。

 安心ってなんだろう……。

 先生は心配して言ってくれる。わかってる。でも、安心をさせて欲しいと思われている。


 僕はそばにいたら人を怖がらせる化け物になってしまったのかもしれない。

 そのことに申し訳なく思う。病気でごめんなさいと思う。

 だから、わかりたくなかった。舞子先輩が言ってた世界を壊したくなる気持ちが……。


 そう思ってしまった自分に何度も言い聞かせる。そんなふうに思わなくていい。そんなことを思われていない。大丈夫。大丈夫だから……。


 それから浅萩先生はメモ帳の紙を一枚取り、緊急連絡先を書いて「何かあったら連絡してね」と渡してくれた。僕は立ってお礼をし、それから「よいお年を」と言って足早に教室に戻る。

 拓真が待ってる。いますぐ逢いたい。

 ここにはいたくなかった。

 はやる気持ちを抑える。教室の扉を開ける。あれ、拓真の姿がない。がっかりする。スマホで連絡する。返事がない。最後のクラスメイトが教室から出て行っても、拓真からの返事がなかった。まだスキー部の部室にいるのかもしれない。迎えに行こう。僕はリュックを手にして席から立ち上がる。


 校舎とは別棟に続く二階の渡り廊下を歩いていく。広い窓の向こうでは、雪が積もった真っ白なグラウンドが、雲の合間から漏れる光を跳ね返していた。

 スキー部の部室の前まで来ると、扉の向こうからにぎやかな笑い声が聞こえていた。多くの人がいるようだった。邪魔すると悪いかもしれない。どうしようかと思っていたら、扉のほうが開いた。


 「あれ、拓真の本妻がいる」


 拓真より体が大きいジャージを着た丸刈りの男子が、僕を見下ろしてそう言う。部室の中にいた部員たちが僕を一斉に見る。スキーウェアの上だけ脱いで、Tシャツから湯気を出している。あ、拓真がいた。拓真だけ制服を着たままだった。詰襟を緩めながら嫌そうに言う。


 「先輩、そういう言い方は良くないですよ」

 「少しうらやましいと思っただけだよ」


 部員達が笑う。「失恋した先輩に配慮してやれよ」とか「うらやましいぞ」とか言い合う。拓真は苦笑いしながら、その中を掻き分け、僕のそばまでやって来る。


 「悪い、奏太。話が長引いた」


 僕は拓真の袖を指先でつまんで引っぱる。「どうする?」とたずねる。その仕草が良くなかったみたいだった。「かわいいかよ」と部員の人たちをざわつかせる。

 先輩と言われた人が僕を見てから拓真に言う。


 「カラオケにいっしょに来いよ。本妻といっしょでいいから。たまには石打も部員たちと親睦を深めないと」

 「今日は帰ります。こいつ体が良くないんで」


 部員たちから一斉にブーイングが起きる。それを無視して、拓真は僕を部室から連れ出した。

 校舎へ戻る通路を通りながら、僕は心配して拓真にたずねる。


 「良かったの?」

 「いいさ」

 「でも、スキー部の人達、みんないい人達に見えたよ?」

 「まあな」


 二階の渡り廊下に差し掛かる。外から差し込む白い光はまぶしくて、僕は手で目を覆う。

 前を行く拓真が立ち止まった。振り返らずに僕へ静かに言う。


 「少しわかったんだよ、奏太の気持ちが」

 「え?」

 「親友に恋人ができると寂しいもんだな」

 「えと……。たぶん拓真、勘違いしてる。舞子先輩とはそういうんじゃなくて……」

 「勘違いだと、いいな」


 白い光に照らされていた拓真の後ろ姿は、冷たい雪が降り積もっているように見えた。


 「行こうか」


 拓真が歩き出す。拓真が離れていく。僕を置いて遠くへ行ってしまう。


 嫌だ……。

 嫌だよ!


 手をとっさに伸ばした。

 追いかけた。

 離れていく拓真に抱き付いた。


 広い背中を感じる。それはずっと見ていた背中だった。子供のころから。あの日から。ずっと……、僕は……。


 名前を付けたくない感情が吹きあがる。止めようとしたけれど、気づいたらあふれていた。


 「なら、僕が女の子になったらいいの? 僕が拓真と付き合えばいいの?」


 言ったら後悔するのはわかっていた。それでも言ってしまった。

 拓真は、僕が吐露してしまった感情に、ゆっくりとうなづいた。


 「そうだな。そうだったら良かったな」


 何を言って……。


 拓真を体で感じたまま、僕はとまどう。広い背中を見つめ続ける。

 窓から差し込む白い光が、ゆっくりと動いていく。影の中に僕達は飲み込まれていく。

 拓真は僕につぶやく。


 「昨日、輝帆に責められたんだ。私の居場所がないって」

 「それは……」

 「俺はおまえといたいんだ。それはそんなにいけないことなのか?」

 「違う。けど……」


 輝帆さんの拓真を想う女の子している顔が思い浮かんだ。


 僕は違う。

 僕は男だから。

 だから……。


 僕はゆっくりと拓真を抱き締めていた手を緩める。離れていく。

 拓真は寂しそうな声で僕に言葉を投げつける。


 「行こう。ここは冷える」


 拓真が歩き出す。僕はその背中が小さくならないように、速足で追いかけた。

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