第11話


■12月24日 夜、湯沢高原ロープウェイステーション


 最終のロープウェイを見送った後、僕と輝帆さんは店を閉める準備を始める。輝帆さんがレジのお金を数え、ロープウェイの事務所へ持っていく。品出しと掃除をし、明日の営業に向けて準備しとく。明かりを消し、シャッターを下ろす。輝帆さんがしゃがんで鍵をかけたときに、着替えてきた拓真がやってきた。


 「なんか飯でも食うか? ラーメンとか、なんかあったかいもの食いたい気分なんだが……」


 スノーブーツをつま先でトントンとさせながら、僕は言う。


 「今日はクリスマスだよ。どこも人でいっぱいかも」

 「そうだよな……」


 考え出す拓真に、白いニット帽をかぶっていた輝帆さんが言う。


 「なんかコンビニで買って、みんなで拓真の家にでも行く? ここから近いんでしょ?」

 「そりゃいいが……」


 輝帆さんが拓真の家へ行ったことないって言ってたからだろう。少しうれしそうにしている輝帆さんが、これが正解という顔をしていた。


 僕達は悩みながら階段を降り、自動扉の前に出る。動くガラスの向こうで、人が立っていた。え、舞子先輩? 白いもこもこのダウンジャケットを来た舞子先輩が、ばーんという感じで仁王立ちしていた。そばで輝帆さんが「え、なんで?」とびっくりしているけれど、それは僕もその通りだった。


 舞子先輩がつかつかと歩いて近づくと、僕の腕をつかんで引っ張った。


 「これ、借りていい?」


 たずねられた拓真さんが、その勢いに圧されて「あ、はい……」と反射的につぶやく。


 「よし。じゃあ奏太君はいまから私とデートだ」

 「え、あ? なんでですか?」

 「クリスマスだから」


 意味がわからない。拓真に助けを求めようとしたら、舞子先輩がその間に入る。それから輝帆さんに向けて「そっちはそっちでしなよ」と言い放つ。拓真と輝帆さんが顔を見合わせて、「えーと……」と悩んでる隙に、僕は舞子先輩に連れ去られた。


 外は雪がほんのりと降っていた。車の明かりにふわりと浮いて流れていく。ぼんやりとした色の冬空に、宿と土産物屋の光がほんのり光る。

 僕達は白い息を吐きながら、汚れた雪を踏み締める。僕の腕を引き、雪の中の道を進む舞子先輩に、僕はとまどう。


 「ま、待ってください、舞子先輩」

 「駅のほうへ行くぞ」

 「なんでですか?」

 「なんでもだ」

 「理由ぐらい教えてください」


 舞子先輩が叫んだ。


 「バカだろ、おまえは! 自分から傷つこうとして!」


 癇癪を起こした子供のように、舞子先輩が僕の腕を強く引く。


 「ち、ちがいます……」

 「じゃあ、なんで輝帆といっしょのバイトに来た?」

 「それは……、母に言われたから……」

 「それこそ違うだろ。輝帆はいい奴だけど、いまの奏太君にはつらいはずだろ?」


 わからないふりができない。僕は正直に言うしかなかった。それが怖くて、声が震える。


 「僕は……。輝帆さんみたいな女の人になれるのか……わからないから……。女の子を知りたくて……。だから、知りたくて輝帆さんと……」

 「答えは?」

 「なれない……と思いました……。僕は女の子になんか……なれない……です」

 「バカな奴」


 舞子先輩が立ち止まる。


 「奏太君は、体が女の子に変わる。なれる、なれないじゃないの。なっちゃうの」

 「でも……」

 「そうやってぐたぐだしてるのは、奏太君が石打拓真のことを好きだからだろ?」


 僕はそれに答えられなかった。好きという一言で、この感情を言えなかったから。

 黙ったままの僕に、舞子先輩が「はああ」と大きなため息をつく。吐いた白い想いが夜ににじんでいく。


 僕の腕を引きながら、舞子先輩が有無を言わせない口調できっぱりと言う。


 「ちょっと寄ってくよ」


 曲がった角にある、屋根にたくさんの雪を乗せている家と小さなビルの間のほうに、舞子先輩は顔を向ける。その先には『一本杉スキー場入口』と書かれた看板が薄暗く見えていた。


 圧雪されて凍っている坂道を、ふたりで苦労して登る。何回か滑りそうになりながら、僕達はスキー場のゲレンデに出た。ホテルの大きな建物や一軒家のような小さな食堂に囲まれた小さな斜面が、ぼんやりとした街の灯りに照らされていた。


 すぐそばにある錆の浮いた古いリフトが見えると、舞子先輩は歩くのを止める。目の前には一本杉食堂と書かれた、どこかがほころんでいるような古い食堂があった。シャッターは閉まってて、わずかな街灯の明かりに寂しそうに佇んでいる。その前に錆だらけの細いパイプと薄い板でできたベンチがあった。舞子先輩がそこまで歩くと、袖でベンチに積もった雪を払う。


 「ほら、座りなよ」

 「ありがとう……ございます」


 僕が静かに端へ座ると、舞子先輩はその隣にぼすんと座った。それから舞子先輩はダウンジャケットのポケットに手を入れ、そこから缶コーヒーを取り出した。僕に「ほら」と差し出す。それを素直に受け取る。温かい。パチンと音を立てて飲み口を開ける。少し口をつけると、甘い苦みが僕の口の中を通っていった。温かさにほっとする。父がゲレンデでよくそうしていたことを、ふと思い出す。


 舞子先輩は、僕が飲んでいた缶コーヒーを手に取り、口をつける。「あちっ」と言って、照れたように笑う。


 「私、ここ好きなんだ。雪だけの静かな世界で、ぼんやりとするの。なんか寂しさが気持ちいいんだ」


 街灯の薄い光に舞子先輩の姿が照らされている。

 その姿はとてもかわいい。女の子にしか見えない。それもとてもかわいい女の子。


 なのに、どうして僕を……。


 舞子先輩が缶コーヒーを両手で包みながら、ゆっくりと答えを話し出す。


 「輝帆から連絡貰ってた。バイトしてるから手伝わないかって。あとで奏太君が行くからいいって断られた。あとは想像できた。だから、来たんだよ」

 「僕はバカ、なんでしょうか……」

 「バカだよ。そうやって、膿んでる傷口に自分の指を入れてぐちゃぐちゃにしてる感じ。だってさ、そんなの私もしてたから」


 僕は舞子先輩を見つめる。舞子先輩は缶コーヒーをベンチの上にことりと置くと、ダウンジャケットのポケットに両手を入れる。それから静かに雪が降るゲレンデを見つめていた。


 「結局どこまで行っても私は男なんだと思うとさ。こんな世界壊れちゃえばいいのにと思った。でも、世界はいくら願っても壊れないんだ。だから自分が壊れたらいいと思ってた」


 舞子先輩がつま先で雪を蹴る。新しい雪が散らばる。わずかな光にきらめいて風に流れていく。


 「どうせ、輝帆と石打拓真がいちゃいちゃしてて、そばにいられないとか、いろいろ思ったんでしょ?」

 「えと……、そうですけど……」

 「奏太君、自分から傷つくことはないよ。自分は自分だし、体が変わってもそれは変わらないから」


 僕は両手を祈るように組み合わせて握り締める。


 「それでも、つらい……です……」


 心の奥底から作られた言葉が雪に混ざり風に流れていく。それがすっかりわかっているように、舞子先輩は僕へつぶやくように言う。


 「私にも好きな人がいたよ」


 え……?

 とまどう僕をそのままに舞子先輩は話し続ける。


 「明るくていい奴だった。でも、体が変わって、どうにもならなくなった。想いを伝えることすら迷惑に思えた。それでも、あいつは私のことをかばってくれた」


 それって……。

 かばってくれたのって……。

 六日町のショッピングモールで、輝帆さんに向けていた舞子先輩のあいまいな表情を思い出す。

 舞子先輩の好きな人って輝帆さんのことじゃ……。


 視線を合わさず、自分へ言い聞かせているように舞子先輩が言葉をつむぐ。


 「奏太君。好きになった感情ってさ、忘れられないんだよ。ずっと心の中に残るんだ。一生懸命隠しても、それがふとしたときに思い出す。どうにもならない想いといっしょにね。でも、私はがんばって忘れるようにしている。そうしないと自分が女でいられないから」

 「それは……寂しすぎます」


 舞子先輩がその言葉を聞いて僕を見つめる。それからおかしいものを見たようにぷふと笑う。


 「ありがとう。そんなふうに言ってくれたのは奏太君が初めてだよ」


 舞子先輩がベンチから立ち上がる。雪をはたくと、そのままゲレンデの向こうにある、暗い外の世界を見つめる。


 「そうだね。寂しいよ。でも、追いかけたら逃げてしまう。そばで見守ることしかできないんだ。だからね、奏太君。私は君のことがわかるよ」


 舞子先輩が歩いてくる。僕の前に立つと、手を伸ばす。僕の頭に積もった雪をやさしく払ってくれる。


 「奏太君。今日は奇跡が起きる日だよ。何億人もいる人間で、同じ病気にかかって、こうしてそばにいて、似たもの同士なんて。これこそ奇跡じゃないかな。そう思わない?」

 「そう……ですね。僕もそう思います」


 白い息が暗い空に立ち上る。ふたりの息が交じり合い、雪降る夜空に消えていく。

 いつのまにか僕は微笑んでいた。舞子先輩と同じように笑っていた。どうしてかはわからなかった。でも、誰とも感じたことがない、不思議な安心感を感じていた。


 ふわりと僕の前で雪が舞う。それはなぜだか少し温かく感じられた。


 ふいに舞子先輩のほうから電子音が鳴り響いた。


 「あ、電話来た。ちょっと待ってね」


 舞子先輩がポケットからスマホを取り出し、耳に当てる。何か怒られているようにも聞こえた。スマホを耳から離すと、舞子先輩は「はああ」と大げさに嘆いた。


 「サンタさんに頼んでもだめだったみたい。迎えが来ちゃった」

 「家の人、ですか?」

 「議員の子供だから、いろいろめんどくさいんだ。もう少しいっしょにいたかったのに」

 「また……。また、話せますよ」


 僕は心からそう言ってみた。それを聞いた舞子先輩はうれしそうに「うん、そうしよ」と言う。ベンチの上に置いといた、すっかり冷えた缶コーヒーを手に取ると、一気に飲み干す。


 「帰ろっか」


 差し出された舞子先輩の手を僕はつかむ。ベンチから立ち上がる。それから僕達は坂道を慎重に下りながら、道に出る。そこには黒塗りの大きな車が止まっていた。偉い人が乗っているような車だった。

 僕達が車に近づくと、車の中からスーツを着た白髪交じりの男の人が現れた。車のドアをすばやく開けてくれる。舞子先輩がそれが当たり前のように車へ乗り込んだ。それから席に座ったまま、ドアを押さえている男の人へ声をかける。


 「長谷川さん、悪いけど、この子、家まで送ってくから」

 「めずらしいですね。お友達を乗せるなんて」

 「そういうこと言わない」


 舞子先輩がむっとしながら言う。それを見て、長谷川さんはうれしそうにしている。舞子先輩が車に乗り込むと、僕を見上げて言う。


 「ほら。奏太君も乗って」


 僕は汚さないように自分の雪を強めにはたき、奥へずれる舞子先輩の後に続く。革張りのシートに身が沈む。シートベルトをしていると、舞子先輩が訪ねてきた。


 「奏太君の家はどこらへん?」

 「NASPAのほうです」

 「ああ、あのあたりのマンションか」


 ドアを閉めて、運転席に戻った長谷川さんが僕達に言う。


 「ここからだとUターンしないとだめですね。少し遠回りしますから、史音様はお友達とお話ししていてください」


 舞子先輩は前の席に向かって文句を言う。


 「長谷川さんは気を使いすぎ」

 「今日はクリスマスなんですよ。私にもサンタクロースをやらせてください」


 後ろから見ていても、長谷川さんが笑ってるのがわかる。

 ふくれている舞子先輩を横顔を見る。


 舞子先輩も輝帆さんと同じ女の子なんだ。

 それが男の子でいることをあきらめた人だとしても。


 そして、僕は気付く。

 缶コーヒー越しにキスをした唇が、熱く感じている。

 その唇を確かめるように、僕は指でそっとそこへ触れた。


 車はゆっくりと動きだした。ヘッドライトに照らされた暗闇は、これからトンネルへ入ろうとしている僕の気持ちのようだった。

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