第10話


■12月24日 夕方、湯沢高原ロープウェイステーション、LB階ショップ


 冬の越後湯沢は忙しい。特にクリスマスから年始にかけては、雪を求めて大勢の観光客が押し寄せる。そのせいで、どこも忙しくしている。地元で暮らす多くの若者は、貴重な労働力として、バイトやイベント、家の仕事に駆り出される。僕もそんなひとりだった。

 いま僕は、温泉街から湯沢高原スキー場へ向かうロープウェイの乗り場にある、土産物屋のレジのカウンターにいた。

 そして隣には輝帆さんがいる。


 波のように押し寄せるお客さん達に、僕達は必死に応対していた。小分けの袋は付けますか? 3021円です。おつりです。宅配便の送り状はこちらで書いてください。僕らはそうやってやってきたお客さんに話しかけ、手を動かしていた。


 外国から来たお客さんが来た。白いあごひげを伸ばしたおじいさんが、レジの表示を見て財布からお金を探す。トレイに出たお札を数える。あれ、2000円足らない。英語でどう言えばいいのか、わからなくなる。僕がまごついていたら、輝帆さんの手が伸びる。包装紙をぴしっと品物にくるむ。その所作がきれいで、つい見惚れてしまった。そんな僕へ、輝帆さんの肘鉄が直撃する。


 「痛っ」

 「ほら」

 「あ、ごめん。ええと。その……」

 「後ろ、つかえてるから」

 「あ。そーりー。いっつ 、つーさうざうんど、えん、もあー」


 今度は輝帆さんが僕を見つめる。それから「やれば出来んじゃん」と少し笑った。

 おじいさんは足らないお金を僕へ差し出すと「ゆーるっくぐっどとぅぎゃざー」と言ってウィンクしてくれた。え、どうして? とまどってる僕を置いて、おじいさんはうれしそうに去って行った。


 そのあともいろいろなお客さん達がやってきた。ぐずる子供をなだめながらジュースを買っていくお母さん。雪焼けしている男の人達が地元のビールを箱買いしていく。仲良さそうな女の子ふたりが「かわいい」を何度も言いながら笹団子のぬいぐるみを買っていった。


 途切れることのないお客さんに、僕達ふたりにかぶせられたサンタの赤い帽子は、ずっとふわふわと揺れていた。


 ゲレンデの終了時間が近づいてきた。ここからわずかに見える外の明かりが暗くなっている。このスキー場にはナイター運営はないから、日が暮れたら帰る合図になる。少しずつ人の波が小さくなっていく。店先に置かれているクリスマスツリーの点滅する光が、人に遮られることなくレジから見えていた。売り場の品物がだいぶぐちゃっと置かれてるのも、ここから見える。


 「輝帆さん、品出ししてくるよ」

 「いいよ。もうすぐ店閉めるから。そのあとでふたりでやっちゃおう。そのほうが早いし」

 「わかった」


 それから輝帆さんは右腕を上げ、「疲れたぁ」と言いながら伸びをする。それからしょぼしょぼとした顔をしたまま、僕へたずねる。


 「さっきの外国のおじいさん、なんて言ってたの?」

 「ふたりはお似合いだね、ってことかな」

 「まあ男と女じゃ、そう見られちゃうのか」

 「ごめん。拓真がいるのに」

 「いいよ。助かったし。私、頭悪くてさ」

 「そうなの?」

 「テストの点数が悪くて。期末なんか英語20点だし。勉強しても仕方ないなら、せめてここで働けって親に言われちゃって。うち、酒屋という名前の土産物屋だから。よくここのヘルプをお願いされてるんだ」

 「それで手際がいいんだ」

 「あんなの、子供のころから店番でやらされているもの。慣れだから」


 輝帆さんが不思議そうに僕の顔をのぞき込む。


 「でさ、なんで奏太君が来たわけ?」


 それは……。

 本当のことは言えなかった。

 僕は少しとまどいながら答える。


 「えと……。輝帆さんのお母さんから、人手足りなくて困ってるって、うちのお母さんが聞いてたみたい。今日はお母さんが病院に宿直することになって、僕はやることなかったし」

 「あー、そっか。腰痛くて病院に行ったときに話したのかな。恐るべしだね、おかんネットワークは」

 「どこで繋がってるのか、僕も良くわからないんだよね」

 「わかんないよね。塩尻さんがああしたこうしたとか普通に私へ言うけどさ。塩尻さんイズ誰? 私ぜんぜんわかんないよ、ってなっちゃう」

 「あはは。うちも同じだよ」


 ふたりで笑ってしまう。

 輝帆さんが僕へ花が開いたような笑顔を向ける。


 「ちょっとうれしい。来てくれたのが、奏太君で」


 かわいい。

 とてもかわいくて、胸がギュッとしてしまう。


 これが女の子なんだ。


 心の中に冷たい風が吹き込む。吹き込んで吹雪に変わる。


 だって、なれる気がしない。

 だって、僕は男だから。


 この思いを知られないように、僕は微笑む。


 「輝帆さんが良かったら、勉強教えようか?」

 「さすが優等生。うれしいけど、迷惑にならない?」

 「拓真にも教えてるから。いっしょにやろうよ」

 「どこで?」

 「え? 六日町の図書館とか、拓真の家とか」


 輝帆さんの顔がすぐに曇る。


 「私、拓真の家へ行ったことないんだよね」

 「そうなの?」

 「そうなんだよね。恋人なのに。ねえ、家で勉強ばっかりってことじゃないでしょ?」

 「うん、まあ……。だいたいゲームしてるかな。あと、好きな本の話とか。それと……フェリシアがいて」

 「フェリシア?」

 「あ、拓真が飼ってる猫。かわいいよ。朝は起こしに来るんだ」

 「え? 家に泊まってるの?」

 「うん、子供の時からときどき。家同士で仲がいい感じだから」

 「奏太君は拓真と本当に仲いいよね」

 「ただの幼馴染だよ」


 遠くを見つめていた輝帆さんが、抱えていた思いを僕へ吐き出す。


 「勝てないな」


 それから目を瞑って、何かを我慢してるようにうつむく。あきらめと悲しさと自分への嘲笑、そんなものがぐちゃぐちゃと混ざっているように思えた。


 僕は輝帆さんになんて声をかけていいのか、わからなくなる。


 僕は拓真の前からいなくなればいいの?

 僕はどうしてあげればいいの?


 どうしたら……。

 どうしたら、そんな顔をしないでくれるの?


 ブーンという重い機械の音が、僕を焦がしていく。

 結局口に出せたのは、短い謝罪の言葉だった。


 「ごめん」


 輝帆さんが、目を開く。僕の姿を見ると、さっきのことは冗談でしたと言いたげに、明るく振る舞う。


 「ああ、もう。『ふふっ、勝てればいいね』とか、なんかこう、ラスボスぽく言われるのかと思ってたのに。これじゃ奏太君、いい奴過ぎて嫌いになれないって。本当、困るんだけど」


 輝帆さんの目に雪が降ってる。冷たい雪が降りしきる。

 聞かなきゃ。ずっと聞けなかったことを。


 「僕が拓真のそばにいていいの?」


 輝帆さんは、くふふといたずらっ子のように笑った。


 「いいよ。仲いいのは、ずっと前から知ってるんだし。私、そういうのでも勝ちたいから」

 「僕はずっと輝帆さんのことを考えなよって拓真に言ってる。だけど、拓真は……」

 「ねえ、奏太君」

 「うん?」

 「もう、拓真が全部悪い。そういうことにしよ?」

 「でも……」

 「もっと私のほう見てよとか思う。あのにぶちんスキー馬鹿。そう思わない?」

 「そうだけど……」

 「だいたいさ。もう少し恋人である私を気遣ってほしいわけ。私は、清津峡から飛び降りる思いで告白したんだから。まあ、それでも……好きなんだけどね」


 輝帆さんが目を細める。相手を想って微笑む、恋する乙女の笑顔。


 ……僕こそ、勝てないよ。


 そう、勝てない。

 体が女に変わったとしても、それはきっと変わらない。


 雪で濡れたカーペットを見つめながら、僕の心は暗いトンネルの底を漂い出す。


 ガシガシというロボットが歩いているような音がした。顔をあげて店の入り口のほうを見る。やってきたのは雪まみれのサンタさんだった。スキーブーツの緩めたバックルがぶつかりあい、かついだ袋や鈍色のゴーグルも相まって、だいぶワイルドなサンタだった。僕達の前にやって来る。ゴーグルを取る。拓真だった。拓真のいつもと変わらない笑顔がそこにあった。


 「拓真、わざわざ来たんだ」

 「だいぶ人が減ったからな。上がるついでだ」

 「おつかれさま」

 「おまえもな」


 輝帆さんが「はあ?」という声を上げて、僕と拓真の間にチョップを入れる。


 「もう! ふたりでいい雰囲気を出すな!」


 苦笑いしながら、拓真がポケットの中に手を入れる。そこから小さな小箱を取り出す。


 「輝帆、これ。クリスマスプレゼント」

 「わあ、ほんと? うれしい」


 輝帆さんが早速リボンをほどき、小箱を開ける。ネックレスだった。そっと輝帆さんが金色のチェーンを持ち上げる。小さな青い宝石がきらりと光った。


 「どうしたのこれ?」

 「サンタさんからいい子へのプレゼントだ。約束してたからな」

 「めちゃくちゃうれしいんだけど! いま付けていい?」

 「ああ」


 喜ぶ輝帆さんを拓真が見守る。僕に見せていた同じ笑顔を輝帆さんに見せている。


 そうなんだ。

 そう……だよね……。


 僕はそっと願う。


 サンタさん。いい子にしているから、僕から拓真を取り上げないで。

 サンタさん。そう願ってしまった僕は、悪い子ですか?


 僕は誰にも知られないように、心の中にある暗い底から、そう願う。


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