書くことのできない日
紫鳥コウ
書くことのできない日
ぼくはある雪の降る日に白い息を吐きながら、弓木の見舞いをしにKにあるC病院へ行った。そのためには、陽の当たらないせいで
人の
町外れにあるこの病院の玄関から見るKは、なんとも言えないくらいに美しく
もう弓木とぼくは意志の
家族とも口を
「あれから、半年は経ったのだけれどねえ……」
「ときどき、働いていたころのことを思い出すんだとさ。ぞっとするよ」
「ぞっとする?」
「うん、なんだかいろいろと想像しちゃって……」
ぼくが弓木の声を聞いたのは、彼が投身自殺を決めたときが最後だった。電話越しに彼の話を聞きながら、彼の弟にメールを打ったのを覚えている。弓木は死ぬことはなかったが、こうして自分の手ばかり見つめている彼を見ていると、ぼくたちは別の解を探すべきだったのではないかと、ぼんやりと思わざるをえなかった。…………
K駅の中で三十分過ごした後、O線に乗り
しばらく歩くと、
家へ帰るなり部屋へ引っ込むと、一眠りをしに毛布にくるまった。大雪は突風に
父母は仕事に出ているし、弟は上京してから一度も帰ってこなくなった。来年の春からは、都内の葬儀会社で働くことになっているらしかった。もう弟の顔は思いだせなくなっていた。弟は祖父にそっくりだった。が、祖父の遺影を見ても弟の顔は浮かばなかった。
のみならず、ぼくは、筆子のことを想わずにはいられなかった。が、筆子の横顔は、地上から見上げる月の反対側のように、想像さえできなくなっていた。ぼくたちはもう、別れるに足りる理由をいくつも持っていた。が、いまのわずかな繋がりを
しろえ――漢字は決まっていないけれど、ぼくたちの子供の名前の響きは、こういうのがいいなどと言ったのを覚えている。…………
次に起きたのは夕方だった。雪は止んだようだった。
部屋の電気を消して、もう一度
ぼくはこれから、長いものを一篇作らなければならない。そのあと、もう一篇短くないものを仕上げなければならない。その中に、この日にあったことのようなものを書いてしまうことを、恐れている。
読まれるものを書くというのは、日常から
〈了〉
書くことのできない日 紫鳥コウ @Smilitary
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