迷いの森
惟風
完璧に振られた後の話
トウヘッド・シャークだ!
それは両足のつま先にも頭がある人型のサメの魔物だ!
鋭い牙を備えたトウヘッド・ シャークの連続蹴り攻撃が、今マティスに襲いかかる!
数時間ほど前のこと。
旅人マティスは小さな町の宿屋の扉をくぐった。
特に有名な名所があるわけでもない町で、移動途中の宿泊場所を求めてのことだった。そこで宿屋の親父から「北の森には行かない方が良い」と忠告を受けた。
通称「迷いの森」と呼ばれるその場所は、迷う余地のないような一本道であるにも関わらず入った者は二度と出られないという。町では昔から有名な話なのでわざわざ行く者はいないが、年に数人はこの宿屋を訪れるような旅人がふらりと迷い込むと言うのだ。
マティスの目的地は北ではなかったので、忠告は有り難かったが軽く聞き流していた。魔物ハンターでも冒険者でもないから噂を確かめに行く気もない。
明日になれば北の森とは別方向へ出発するつもりだったので、客室に入ると荷物を降ろして早々に床についた。
誰かが扉をノックする音に気がついたのは、真夜中だ。普段ならその怪しさに無視を決め込むか友人の元魔王に一言相談するかしたものを、何故かマティスは躊躇うことなく扉を開けてしまった。思えば、この時から何かしらの術が働いていたのかもしれない。
「こんばんは」
部屋の外に立っていた者の顔を見て、マティスは絶句した。そして、促されるままに部屋の外に出てしまう。部屋だけでなく、宿屋の、町の外へ、北へ――
マティスの手を引く者は何も喋らない。しかしにこやかに口元を綻ばせ、時折振り返ってはマティスを見上げる。
その視線の柔らかさ、星が散ったような瞳、明るく艶のある髪、張りのある唇、細い手首。
全てが、マティスの想い人そのものの姿だった。
彼女は真っ暗な森の中を進むと、少し開けた場所でピタリと止まる。
易易と連れ込まれたマティスに向き直ると、幻術を解きとうとう魔物としての正体を表――す前に、マティスは彼女をがばりと抱き締めた。
「次に貴女に会った時には貴女の隣に誰がいようとも貴女を連れ去ると決めていました、やはり僕には貴女以外考えられないし貴女のそばにいるべきは僕なんです、だって僕が想いを告げた時笑ってくれたじゃないですか、ありがとうと言ってくれた、僕達は通じ合っていたんです、もっと早くこうするべきでした、もう貴女を離しま――」
「キエエエエエエッ!!」
魔物は奇声を発しながらマティスを突き飛ばした。それは威嚇ではなく何かしらの悲鳴であったのかもしれない。
そして冒頭に戻る。
トウヘッド・シャークの蹴り攻撃をマティスは次々と躱していく。普段魔王を背負って鍛えられた体感バランスと筋力のおかげで、身のこなしは軽い。
「……僕を騙したんですね」
マティスは気落ちしたような声を出すと、トウヘッド・シャークが蹴り上げたつま先を、避けずに両手で掴んだ。つま先のヘッドは口を閉められる。
「とても悲しいです」
口調は弱々しいが押さえつける力は強く、トウヘッドシャークは身動きが取れない。
「……じゃあ、君でも良いかな。彼女の姿のままで一生僕に着いてきてください。どこにも行かないようにだけしておきますね」
そう言うと、捕まえている両手に力を入れた。めきめきと鈍い音がして、つま先のヘッドが潰される。
「キシャアアアアア!!!」
『怖いよ』
トウヘッド・シャークが叫び声を上げるのと、薄桃色の触手がサメの魔物を両断するのは同時だった。
マティスが背後を振り返ると、友人の元魔王が鞄ごとそこにいた。
宿屋に戻る頃には空は白み始めていた。マティスは背中の鞄に話しかける。
「さっきのは冗談です、本気じゃありませんよ。彼女本人が良いに決まってるじゃないですか」
『そこじゃないしそれもダメだよ』
「助けてくれてありがとうございます」
『絶対ダメだからね』
旅人マティス。その狂気において魔物をドン引きさせる男。一人の女性の平和のためにこの男を見張っていよう、と元魔王に決意させることで、間接的に世界の平和を守っているのである。
迷いの森 惟風 @ifuw
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