殺し屋とひまわり
七沢ななせ
第1話 聖夜の拾い物
聖なる夜。白く化粧が施された街は輝いて、街路樹はリボンやランタンでドレスアップされている。通りを行く人々は、その顔に幸せそうな笑顔を浮かべて温もりを分かち合う。人目をはばかりながら、短い口づけを交わす初々しい恋人たちや、買ってもらったばかりのプレゼントを抱えてはしゃぐ子供。
ほとんどの人間が、幸せな夜を過ごしていた。
しかし――そうではない者たちがいることは、降り積もる雪に隠されて、誰にも伝わることはないのである。
◇◇◇
街のざわめきが遠ざかり、冷たいコンクリートの建物と地面が広がる場所。ここには今宵舞い降りる天使の微笑みが分け与えられることもなく、温かい暖炉も、ぴかぴかのリボンで包まれた贈り物もない。
サンタクロースの代わりに訪れたのは、黒服に身を包み、同じ素材の手袋とナイフを携えた死の悪魔だった。
「たっ頼むから!! このことは誰にも喋らねえ、だから命だけは――」
金切り声で命乞いをしながら、血の水たまりを這いずる。どんどん壁際に後退する小太りの男を追い詰めるように、なんの感情もない冷たい目をした長身の男が一歩一歩歩を進める。進路に横たわっていた死体を雑に足でどかすと、壁に背中を付けて震えている男の前にしゃがみ込んだ。
「――無駄に叫ぶな」
男の両手にはめられた黒い手袋は血で濡れている。その手で小太りの男の顎を押し上げたせいで、まるでそこから出血しているような跡が残った。どこからか取り出した拳銃を、小太りの男の額に押し付ける。
「この政府の犬が……っ」
かちゃ、と男の指が引き金にかかる音を聞いて、真っ青になって震えながら大声を出す。しかし、そんなことにほだされるような相手ではない。
「俺が犬なら、お前は溝鼠ってとこか」
ひっと息を飲んだ男の額に、一瞬のためらいも見せずに弾丸を打ち込む。改造してあるために、発砲音は小さい。ぱしゅ、という音とともに頭から血を吹きだした獲物。血の筋を壁紙にこすりつけながら倒れていく。
仕事は完了した。
男は立ち上がり、部屋の中を見回す。殺した数は8というところか。部屋中に飛び散った血は、早くも黒く変色し始めている。壁にあいた無数の弾痕は、この仕事の激しさを物語っていた。ぎしぎしと床板を鳴らしながら、ひとつひとつの死体を子細に観察する。万が一にも息がある可能性があるからだ。いつでも発砲できるように銃の準備は怠らない。容易に近づいて首でも掴まれれば一気に形勢逆転である。
「死んだか」
全員の息がないことを確認し、男は部屋の隅に置かれていたベッドに腰を下ろした。
丁寧に整えられたシーツからは、ほのかな甘い香りがする。そばに置かれたチェストには、手芸品や額に入れられた写真が置かれていた。その中で微笑んでいる夫婦は、すでに死体となって玄関に転がっている。
先刻まで普通に流れていた日常が、そこにはあった。窓辺に飾られた小さなツリーや、暖炉にかけられた手編みの靴下。それらも無残に血濡れ、壊されてしまった後だ。
「相変わらず、危険な仕事をするのね。〈
ふいに、部屋のドアから明るい声がかかった。はっと顔を上げると、そこには一人の女が立っていた。とっさにつかんだ銃から手を放し、〈氷刃〉は小さな舌打ちをする。
「何の用だ、〈
蜂の巣になったドアにもたれかかり、女は鼻に皺を寄せる。
「やあね、そこら中血の匂い」
「……そうか?」
〈氷刃〉が首をかしげると、〈常夢〉と呼ばれた女は苦々しい笑みを浮かべた。
「こんなに強い匂いなのに。血に慣れすぎて、もうわからないのね」
〈氷刃〉は何も答えなかった。女は靴音を立てながらこちらへ歩いてくる。まっすぐ〈氷刃〉の隣に腰を下ろすと、肩にかかった髪を払いのけた。彼女が漂わせるローズの香りはこの場にひどく不似合いだった。
コードネーム〈常夢〉
彼女が常用するぴっちりとしたレザージャケットは、身体のラインを際立たせながら豊満な胸元を惜しげもなくはだけさせている。細い腰と、出るところは出た妖艶なスタイル。ダークレッドの髪はゆるやかに波打ちながら甘い香りを放つ。同じ色をした目と、雪のように白い肌。細い首筋に浮き出た鎖骨。その見た目からは想像もつかないが、彼女はれっきとした殺し屋である。それも、ハニートラップ専門の。
「本当に何をしに来た? 答えろ」
〈氷刃〉が吐き捨てると、〈常夢〉はちらりと笑みを浮かべた。〈氷刃〉の右腕にしがみつき、ぎゅっと胸を押し付けてくる。こうやって数々の獲物を虜にして仕留めてきたのだ。こんな美人にしがみつかれれば、どんな男だって鼻の下を伸ばさずにはいられないだろう。しかし〈氷刃〉はうざったそうにため息をついただけである。
「もう、冷たいんだから。 もちろんあなたが心配で様子を見に来たのよ」
嘘に決まっている。ここに来た理由は大体見当がついていたが、これ以上話すのは面倒で口を閉ざす。〈常夢〉は身体を離し、チェストの上に並べられた家族写真を手に取った。硝子に飛び散った血を拭い、赤い唇をゆがめた。
「不幸な家族よね。まさかクリスマスの夜にこんな目に遭うなんて」
ここは何の変哲もない家庭だ。裏世界で活動していたわけでも、闇金に手を出していたわけでもなかった。ただ、麻薬の密売を偶然目撃してしまったというだけである。〈氷刃〉がここに来たのは、裏世界で密売を牛耳っていた中心組織が近くをうろついているという情報が入ったからだ。
「危険とわかっていても、治安の悪いここで生活するしかなかったんだろうな」
狭い家に置かれた家具や、殺された夫婦がまとっていた衣服から、決して裕福な家庭ではなかったことがわかる。最悪の不幸が偶然重なり、偶然命を奪われた。〈氷刃〉がもう少し突入するのが早ければ――。
「……ちょっと待って」
突然〈常夢〉が驚いた声を上げた。たらればの逡巡が断ち切られる。〈常夢〉が指さしているのは、一番隅に並べられていた写真だった。そこに映っているものをみて、〈氷刃〉もわずかに目を見開く。
「赤ん坊がいたのか……」
おくるみに包まれた赤ん坊の写真だった。けれど、赤ん坊の死体はない。泣き声も聞こえない。部屋を見回すと、不自然に床板が浮いている箇所に気付いた。〈常夢〉と〈氷刃〉は同時に立ち上がった。
◇◇◇
床板を持ち上げると、案の定だった。
「お前、こんなところでずっと寝ていたのか」
〈氷刃〉は驚きを隠せなかった。なんと肝が据わった赤ん坊だろう。激しい発砲音や床を踏み鳴らす足音におびえず、ずっと眠っていたことが生死を分けた。異変に気付いた両親が、とっさに赤ん坊を隠したのだろう。
ふわふわの金色の巻き毛と、琥珀色の瞳。ぷっくりとした頬は健康的なピンク色で、赤ん坊は小さな口を開けてあくびをした。
「よかったわね。パパとママのおかげで助かったのよ」
〈常夢〉がつぶやいた。
「元気そうだな」
「そうね」
うなずいて、〈氷刃〉は赤ん坊が寝ている空間に手を差し伸べた。されるがままに大人しくしていた赤ん坊だが、〈氷刃〉に持ち上げられるなり泣き始めた。赤ん坊の襟首をつかんでぶら下げていた〈氷刃〉は、耳をつんざくようなその声に戸惑う。
「馬鹿! 持ち方ってもんがあるでしょう!」
〈常夢〉が押し殺した声で怒鳴り、〈氷刃〉から赤ん坊をはぎ取った。しっかりと横抱きにされた赤ん坊は、まだひっくひっくとしゃくりあげている。赤ん坊はやがて、〈常夢〉のむき出しになった胸に顔をうずめて大人しくなった。
「お前、どこでそんなことを習った」
「母性本能ってやつ? というかこの子、男の子かしらね」
自分の胸にすがりつく赤ん坊を眺めながら、〈常夢〉は微笑んだ。
「さあな」
まるで殺し屋だとは思えない二人の会話だった。クリスマスの夜は、静かに更けていった。
殺し屋とひまわり 七沢ななせ @hinako1223
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