(カクヨムコン10短編)トップシークレット

麻木香豆

🦶

「よし、これでいこう!」

 多くの社員の前で堂々と檄を飛ばす齋藤律は42歳にして代表取締役となり、父から引き継いだ会社をさらなる成功へと導いている。


 スタイルの良さと端正な顔立ち、資産家の娘である美人妻、そして三人の子供――誰もが羨む完璧な人生を歩んでいるように見える。だが、その裏にある秘密を知る者は誰もいない。


 律は厳格で完璧主義者だ。ミスを許さず、常に最善を追求する姿勢から「鬼の齋藤」と呼ばれるほど。そんな彼のもとで秘書が続くことはほとんどなく、入れ替わりが激しかった。


 しかし今の秘書、橘藍斗だけは違った。地方の貧しい家庭に生まれ育ち、高い給与を得るために志願した彼は、秘書業務とボディーガードを兼任し、誰よりも律に食らいついた。

 彼の履歴書には「テコンドー全国大会優勝」の経歴があり、現場での判断力と仕事の正確さは他の秘書たちを圧倒していた。藍斗がついた後、律のスケジュールは混乱なく進行し、周囲からの評価も高かった。


「藍斗はどんな無茶な指示にも応えてくれる」

 律がふとそう漏らすときがある。だがその言葉に労いはなく、むしろ「当然だ」とでも言うような傲慢さを滲ませていた。


 初日から律の冷酷さを思い知らされた藍斗。

「遅い」

 ちょっとした遅れにも容赦ない叱責が飛び、つま先で軽くつつかれることさえあった。それは屈辱的だったが、律は心の中で耐えた。「金のためだ」

 と自分に言い聞かせながら。


 しかし、律を近くで観察するうちに、彼の意外な一面を知るようになる。

 完璧に見える彼の家庭生活は実際には崩壊していた。資産家の娘である妻との結婚はビジネス上のものであり、世間体を守るための仮面夫婦に過ぎなかった。二人の会話は必要最低限で、子供たちも妻に懐いている。






 それは出張先での夜のことだった。

 取引の成功を祝う会食の後、いつもより酒が進んだ律。普段は見せない無防備な表情を浮かべ、ホテルの部屋で一人グラスを傾けていた。


「何見てる、藍斗」

「いや、少し酔ってるなと思いまして」

「……たまには酔いたいんだよ」


 その言葉に、藍斗はふと胸が締め付けられるような感覚を覚えた。鬼のように振る舞う律の中に、一瞬見えた弱さに心を揺さぶられたのだ。


 それがきっかけだった。藍斗からキスをした。すると律もそれに応えた。

 藍斗は彼が同性愛者であることを見抜いていた。

 酒の勢いと抑え込んでいた感情が重なり、二人は互いに唇を求めた。


 そして身体も。


 それから二人の関係は変わった。


 律は完璧な社長でありながら、二人きりになると藍斗の足元に跪く男になった。


「これが俺を落ち着かせるんだ」

 律は静かに告げた。彼の舌が藍斗のつま先を這うたび、鬼の仮面が剥がれ落ち、肩の重圧が解き放たれるようだった。


 そして藍斗が足で律の頭を踏みつける。大の社長である男にこんなことをできるのは藍斗だけだ。最初は手加減をしていたら律はダメだと。

もっとなじってくれ、踏みつけてくれ! と。


 最初は奇妙に感じた藍斗も、次第に彼の弱さや脆さを愛おしく思うようになった。

 彼の本当の姿を知ることで、次第にその存在が自分の心の中で大きくなっていくのを感じた。


 聞くと以前の秘書たちも律があえて同性愛者の男を雇ってはいたが律とフィットはしなかった。律に対する踏みつけ行為もほとんどが手加減をするのだという。



 


 ある夜、藍斗は意を決して言った。

「律、奥さんと別れて……俺だけを見てほしい」


 だが、律は静かに首を横に振った。

「今のままが一番だ。すべてを失うわけにはいかない」


 それでも、律は藍斗を求め続けた。その夜も、彼は藍斗の足元で静かに跪き、つま先に唇を押し当てた。


 藍斗は涙を浮かべながら、律の髪にそっと触れた。

「……俺も、お前が好きなんだよ」


 だが、律の完璧な地位と家庭のために、この関係は決して明るみに出せない。


 彼が「鬼の齋藤」であり続けるために、二人のこの秘密は、今日も夜の闇に隠されていく。


 終

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