やさしい雪だるま

雲条翔

やさしい雪だるま

 春になれば、寒い冬は終わり、雪が溶けて暖かい時期がやってくる。


 前向きに聞こえる言葉だが、主婦のユキ子は窓から見える雪だるまに、憂鬱になった。


 そこにあるのは、子供たちが作った、不格好な雪だるま。


「永遠に雪が溶けなければいいのに……」


 ユキ子は呟いた。



 ■ ■ ■


 ユキ子は三十代のシングルマザー。


 夫を事故で亡くし、小学生の子供ふたりと、三人家族で暮らしていた。


 毎朝早く起きては、掃除と洗濯をこなし、朝食を作り、子供たちを学校に送ったあとは、昼間は会社で事務の仕事。

 定時に上がり、夕食を作りにアパートに戻って、子供たちにご飯を食べさせた後は、スーパーの惣菜コーナーのパートに出る。

 帰ってくるのは、子供たちが寝た後だ。

 休日も雑事で忙しく、時間的余裕はまったくといっていいほど、ない。


 毎日が慌ただしく過ぎていく日々。


 心が疲れていく中、知り合った優しい男性に心惹かれた。

 彼はユキ子と同い年で、規模は小さいが会社の社長をしているという。

 ひとりで子供たちを支える生活に疲弊していたこともあり、素敵な人だな、と再婚したのだが……。


 彼の事業がうまくいかず、借金を背負って会社を畳んだ後は、再出発も難航し、家で酒を飲んではユキ子に暴力を振るう、定番の人生転落パターン。


 何より辛かったのは、暴力を振るわれているところを子供たちに見られてしまうこと、そして最近では、子供たちにも手を上げることだ。

 二人の子供のうち、下の子は小学校の低学年だが、壁まで吹っ飛んでぶつかるほど、突き飛ばされたことがあった。


(酒乱だと知っていたら結婚しなかったのに、あんなクズ男……)

 

 家事をこなしていた休日。

 しんしんと雪の降る、冷えた冬の日だった。


 ただいまも言わず、あの人が帰ってきた。手には、チューハイや缶ビールが入ったビニール袋を提げている。


「また、お酒買ってきたのね」


「お前が買ってきてくれねえから、自分で買いに行ったんだよ! そんなに俺の行動が気にくわないのか? いちいち、酒はやめろ酒はやめろって、いい加減ウンザリすんだよな!」


 ソファに座ると、すぐに缶ビールをぷしゅっと開け、ごくごくと飲み干した。


 ドアの隙間から、子供たちが心配そうに覗き込んでいた。

 また暴力を振るわれるのではないか、と怯えているのだ。


「大丈夫、あっち行ってなさい」


 努めて優しく声をかけると、子供たちは顔を引っ込めた。


 一度は顔を引っ込めた長男が、再び顔を出し、


「ねえママ。鉢植えにお水をあげるジョウロ、どこにしまったっけ」


 と、マジメな顔で聞いてきた。


 雪の降る時期に、何に使うのだろうかと思わなくもなかったが

「靴箱の脇に置いてあったでしょ」

と答えた。



 翌朝……。

 やたらと静かな朝だった。


 あの人の「おい! 朝飯はまだか!」の声が、今朝はしない。


 寝坊しているのだろうか。その方が平和だ。


 ベッドから身を起こし、掃除をしようとした時、玄関先から二人の子供が入ってきた。


 二人とも、肩で息をして、冬の早朝に白い呼吸を吐き出している。


 なぜこんな時間に起きているのだろう。

 そして、何の用事で、どこに出たというのだろう。


「ちょっと、あなたたち、どこ行ってたの?」


「ママ、ぼくたち、雪だるま作ったの!」

 次男が言う。


「雪だるま? そのために早起きしたの?」


 長男はじっと、こちらをじっと見ていた。

「ママ、これで……大丈夫だから」


「大丈夫って、何が?」


 長男の言葉に妙な雰囲気を感じながら、庭に出ようとして、滑って転びそうになった。

 玄関先が凍って、ツルツルになっている。


 庭に、大きな雪だるまがあった。

 小学生二人で作ったにしては、かなりの力作だ。

 雪玉をころころと転がして、大きな球を作るにしても、重労働だっただろう。


 いや……何か軸があれば、その周りを雪で固めるだけでいいから、作りやすいのかもしれない。


(朝から、あの人の姿を見ていない……昨日、息子がジョウロについて聞いたのは、まさか、玄関先に水をまいて、つるつるに凍らせるため?)


 普通だったら、子供の力じゃ大人には叶わないだろう。

 だが、子供と言えども、滑って転んで、背中を打ち付けて痛がっている大人が相手なら……。


 ユキ子は、長男の持っているシャベルを見た。

 尖った先端に、ぬらりとした赤い液体がこびりついていた。


 ユキ子はすべてを察して、我が子を両手で抱きしめた。

 自分の肩が震えているのが分かる。


 なんと優しい子供たちだろう……。



 ◆ ◆ ◆



 ユキ子は、慣れない作業で疲れた子供たちを、朝食まで寝かせることにした。

 無垢で、純粋な、天使の寝顔がふたつ。


 リビングの窓から見える、雪だるまを見つめる。


 雪は、白く、すべてを包み込んでくれる。


 だが、それも永遠ではない。


 いつかは溶ける。

 溶けてしまう。


 死後、発見が早いよりも、時間が経過した方が死亡推定時刻が分かりにくくなる、と二時間サスペンスで見た知識を思い出した。


(もしも雪だるまの中身が警察にバレたら、その時は……)


 ユキ子は、勇気を振るおうと覚悟した。

 ユキ子の名は、漢字だと「雪子」ではなく、「勇起子」と書く。


 男の子ではなく、 「勇」という字が入った名前で女の子というのは珍しかったが、その名の通り、「勇気を奮い起こす」日は、多分春先なのだと思った。


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