縁と秋と冬

沼津平成

第一章

第1話 縁はいつか巡る

「……んなぅ、……」

 

 覚えているだけで今日七回目の寝返りを、田喜は打った。

 いや、その行動はもしかすると「寝返り」ではないのかもしれない。

 起きてはいたが、体力というものがいま田喜のなかになかったのだ。

 目を開けているつもりなのに、いつの間にか目は閉じられていた。

 暗闇の中に、ほのかな緑の楕円が浮かんだ。目を開けても、暗い天井が見えるだけだ。それなのに、田喜はいま、目を開けて、グレーの天井を見上げていた。 

 ふっと、力が抜けてへたりこむみたいに、それは突然だったが余韻はしっかりと残っていた。——明かりがついたのだ。

 

「誰ぇ?」と息吹いぶき——姉だ——が訝しげに聞いた。

(ぼくと息吹と、あと誰かは起きているのだ)と田喜は思い、自然な風を装って、「……おはよ」と呟いた。「なんなの、このあかり……」

 足取りがふらついた。息吹とは違うもう一人の誰かが、そんな田喜を見て爆笑している。

 おぼろげながらも、それは兄の吉斗だと分かった。


「十二歳にもなったのに、まだこんな笑われちゃってるよ……」


 田喜はつぶやいた。田喜にとって最悪の朝だった。

 吉斗は今年の春高校に入学した。五月生まれなのでもう十六歳の吉斗は、ソファーに腰掛けてテレビを見ていた。テレビの光、あれが”明かり”だったのか、と田喜はようやく理解した。


 


 時計の長針が、何周かまわって、時刻は7時をまわった。


「田喜、おれたちはもう行かねばならない」


 去り際、父はそういった。テレビのニュースでは絵川作人えがわさくとという有名人が父の小説の二作目を地方新聞にて連載開始したことを報じていた。VTRは記者会見の様子だった。

 絵川らしき人物が、涙ぐみながら、「父の遺作を——。受け継げて——。嬉しい————限りです」といっていた。

 よくためられるな、と吉斗は呟いた。雰囲気が台無しだ。

 田喜の父は、無言でテレビの画面を見つめながら、ぶっきらぼうに机の上のリモコンを取り出すと、テレビを消した。

 吉斗が不満そうに父を見た。父は黙ったまま行ってしまった。

 田喜の父方の祖父が、今年死んだ。今日からその葬式だ。十時の新幹線を予約している、と父がいっていた。

 田喜たちは、ヤンチャで乱暴だからという理由で葬式の参列は控えるようにいわれていた。

 両親が出発してしまうと吉斗は、「ヤンチャも乱暴も一緒じゃねえか」と悪態をついた。

 いや悪態つくとこ、そこ? と田喜が聞いた。逆に自分の価値観が合っていないのだろうか、いやいやそれはあり得ないな——。

 いつの間にか田喜は、自分がこれから何をするんだか忘れていた。そして、それはそもそも考えていなかったじゃないか、と気づいた。

 そして母の一言を思い出す——「予定くらい自分で組めるよね」


 組めないんだなーそれが、と思いながら田喜は吉斗を見やった。まだ予定のことを忘れていそうな、テレビを見て惚けていることが伝わってくる顔だ。

 まさか予定、組むの……嫌な考えが頭をよぎった。それは徐々に確信に変わって行った。


              *


 十時半まではあっという間に過ぎたが、十一時からはだんだん一分が長くなっていくように思えた。田喜はエアコンをつけた。


「寒っ!」と吉斗が吠えた。カレンダーは何回見ても冬のはじめだったが、天候は麻痺していて夏のように暑い。

 それでもたしかに寒い。慌ててエアコンのリモコン、温度を見た。十八度。二十三度のはずだったが、五度単位の調整を間違えていて、——ひどく寒い!


 慌ててリモコンを操作した。ピッを五回押す。五分ほど待つと、ちょうどいい雰囲気に仕上がった。吉斗はテレビを消し、いつの間にかゲームを始めていた。


「今日の予定、何にしようか」


 吉斗がやっとそう呟いたのは、正午の数分前だった。

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