おとぎ話と賢者の鏡 〜白雪姫Ver.

丸山 令

理想的な王子様の育て方

謁見を終えて国王の部屋を辞し、離れへと渡る通路へ出ると、頬にひやりと冷たさを感じた。


 見上げれば、ふんわり ふわり。

 風に舞う綿のように、薄曇りの空から、ひとひらの雪が舞い降りてくる。


 手を差し出すと、掌の中におさまったそれは、繊細な六花の形を 刹那留め、次の瞬間には僅かな雫へと姿を変えた。


 私は包むように手を握り、自らの手にそっと口付ける。



 雪が嫌いだった。

 母を失った、幼い日を思い出すから。


 それは、十五年前の極寒の夜のこと。

 貧困から、暖炉に焚べる薪を買う金もなく、母と二人 身を寄せ合って長い夜を耐え忍んでいた。

 家にある全ての衣類を私に着込ませ、抱きしめて暖を与えてくれた母は、日の出を待たず 冷たくなっていた。


 早朝。

 幼かった私は そのことの意味に気付かず、眠ったままの母の腕の中からそっと抜け出し、家の外に出た。

 部屋に差し込む光が、いつもより明るく感じられたから。


 外は、一面の銀世界というほどでは無かったが、サラサラとした粉砂糖のような雪が薄く地表を覆っていて、風が吹くたびそれが巻き上がり、陽光でキラキラと虹色に輝いていた。


 その美しさを共有したくて、母を呼びに戻ったのだが、どんなに声をかけても体を揺すっても、母が目覚めることは二度となかった。


 そこから数日間の記憶は曖昧だ。

 食べる物など とうに尽きていたから、母の横にじっと蹲っていたのだと思う。


 そして、あの日。

 家の扉を叩く音に驚き外へ出ると、私は突然、これまで触れたこともないような 柔らかく温かな毛布に包まれたのだった。



 結論から言うと、私は 放蕩者の第一王子が、町娘に産ませた子であったらしい。


 その第一王子は、真実の愛を探す旅とやらに出たまま 未だ戻らず、現在は早世した第二王子の息子ディートヘルムが王太子の座に落ち着いている。


 私より十歳年上のディートヘルムには、一つ下の妹が一人だけ。王家の世継ぎ問題を考えると、心元ないと周囲の大人は考えていたそうだ。

 そこで、私は亡き第二王子の養子として、王宮に迎え入れられた。


 今思えば、九死に一生だったと言える。

 あの時迎えが来なければ、私の命も数日で潰えていただろう。

 ここで私は、何不自由ない生活と、学ぶ機会を与えてもらうことが出来た。


 だが、当時の私は、母の元から離れまいと必死に抵抗した。

 それまで狭い世界で生きて来た私には、死ぬことよりも母と離れることの方が、よっぽど怖かったのだ。


 暴れて泣き叫び、手がつけられない状態だった私の元に、初老の男が進み出て、膝をつき静かに侘びた。


 『迎えに来るのが遅くなったせいで、貴方様のお母上が亡くなられてしまったこと、申し訳なかった』と。


 私はそこで初めて、もう母が私に向かって微笑むことは無いのだと理解した。


 呆然としてその場に座り込んだ私を一瞥すると、初老の男は、抱えていた鏡に向かって何かしらか語りかける。


 それは不思議な光景だった。


 鏡は鏡面を淡く発光させながら、男の問いに答えた。


 男は一つ頷くと私に向き直り、提案した。


 母を生き返らせることは出来ないが、可能な限り現状のままで保存すること。

 一年に数回は、必ず会う機会を作ること。



 その男こそが この国の宰相であったことを、私はその数年後に理解することになる。


 彼は約束を守った。


 国内にある風穴の雪室を一つ買い取り、防腐処理を施した母をガラスの棺に入れ、そこに安置してくれたのだ。

 そして、年に何度かある休暇の際、私が母に会いに行くのを許してくれた。


 休暇をもらうたび、私は母の元へ赴き、王宮であったこと、勉強したことなどを話した。

 母から返事が返ってくることは無いが、そんなことは問題にならなかった。

 

 毎年毎年。

 私は母の元に通った。



 成人を迎えたある日のこと。

 私は宰相に聞いたことがある。


 『何故あの時、私を助けに来てくれたのか?』と。


 その問いには、宰相の持つ鏡が答えてくれた。

 『魔法の鏡認定試験』を受けた際、国中の美女を調べ上げたのだと。

 その中の一人に、母は入っていたのだそうだ。

 その一年後、再び同じ内容を調べる機会があり、その時、母の名前がリストから除外されていることに気付いた。

 年も若いのに……と、不自然に思い、詳しく調べてみると、なんと調べた当日亡くなっている。

 更に詳しく調べているうちに、私の存在が浮上し、慌てて迎えに来たのだという。


 では、偶然が重なって助かったのだ。



 薄暗い雪室の中、ランプの灯りは温かに、眠る母の顔を映し出す。


 真っ白な肌に銀糸の髪。

 口には鮮やかな紅をひいてもらって。

 私と母を隔てるガラスの棺には、霜が繊細な六花を刻んでいる。


 時を止めて あの時のまま眠る母は、確かに美しかった。


 あと数年もすると、私は母の年齢に追いつく。

 そう思った時、これまで感じていた母に対する愛情とは異なる感情が、私の心に芽生えた。


 触れてみたい。

 しかし、触れることは叶わない。

 空気を抜き密閉された棺を開けてしまうと、急速に腐敗が進むと宰相から伝えられている。


 それにしても、この感情は異常ではないか?

 そうだ。

 きっとあの時から、私は少しずつ狂っていった。


 その日から、私は母を守ってくれている雪を、愛おしく感じるようになった。

 

 

 今日の謁見で、祖父である国王から、領地を与えられる旨が告げられた。

 王太子の息子が、無事成人を迎えたから。


 これにより、私の王位継承順位は第三位となり、数年後には公爵位をいただけることになった。


 与えられる領地は、国境の母が眠る雪室の近く。

 王家と宰相には感謝しかない。


 春が来たら、ゆっくり領地の様子や棲家となる古城の様子を見に行けば良いと、宰相がすすめてくれた。


 今から少しずつ荷物をまとめたり、城で働いてくれる従者も募らねばならないが、新しい生活を考えると胸が弾んだ。

 

 あの距離ならば、月に一度は母に会いにいける。



 そして、春。


 領地へ向かう道すがら、森の奥の小屋の前でおいおい泣いている七人のドワーフに遭遇した。


 彼らの中央には…………。

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