水晶の夜

坂崎文明

天蓋《てんがい》

 2040年12月25日のクリスマスの聖夜。

 米国で生まれた中国人起業家ウーロン・マスク氏はついに念願だった火星移住計画の夜を迎えた。

 温暖化が進んだ地球の米国では真夏の気温は六十度を超える日も多く、彼が開発したロボットスーツを装着しないと生命の危機にさらされるような事態になっていた。

 冬はというと、氷河期かと思われるような氷点下七十度以下の日々が続くことが多発していた。

 元々、極寒の地に住むイヌイットなどは氷点下七十度でも、アザラシの皮の屋根のテントや氷の家を造り、アザラシの油などで暖を取って氷点下二十度で生きる術を持っていた。

 彼らの移住地では更に寒冷化が進んで人口が減少した温帯地方に南下していた。


 そこで人類は生命の危機が迫ってる地球を捨てて、六十億人が火星に移住する計画を立てた。

 火星は最高気温20℃、最低気温-140℃であるが、マスク氏の開発した衛星太陽光発電ユニットと衛星軌道上から送電可能なマイクロ波送電システムによって、問題なく火星移住ドームを24時間温める事ができた。

 衛星太陽光発電ユニットと火星移住ドームは共に、火星移住先遣隊の数千人の人類とマスク氏開発のAI自動工作ロボットによって既に完成していた。

 後は人類が移住するための巨大移住宇宙船群の製作だけだったが、米国内のAI自動運営の巨大工場ギガファクトリーのお陰で、わずか一年間で六十億人が乗れる宇宙船を揃えることが出来た。


 そして、ついに12月25日の米国時間の二十一時に、第一次火星移住宇宙船団は人類六十億人を乗せて希望と共に火星へと飛び立った。

 宇宙船団は葉巻型の巨大宇宙船が多かったが、中にはいわゆる未確認飛行物体UFO(Unidentified Flying Object)的な円盤状の小型宇宙船もあった。

 大気圏内では特殊な周波数の音波を組み合わせた<超音波浮遊反重力Harmonic Antigravityシステム>でゆっくりと上昇していく。

 米軍基地のエリア58で不時着した未確認空中現象UAP(Unidentified Aerial Phenomenon)あるいはUFOからヒントを得てマスク氏が開発したという。

 しばらくは、最初の数分間は順調な上昇が続いていた。


 異変が現れたのは地上から百キロメートル付近だった。

 宇宙船の上部が何かに接触して、水しぶきの様な物が発生したのだ。

 先発隊の葉巻型宇宙船の様子を後発の宇宙船が赤外線カメラに捉えて、ウーロン・マスク氏のいる火星移民船団管制塔の巨大天井モニターに映し出していた。


「ジーザス……まさか、これが水の天蓋てんがいなのか! これ以上の上昇は不可能かもしれない」


 そう、叫んだのはウーロン・マスク氏ではなかった。

 何も知らない火星移民船団管制塔のチーフディレクターのイワン・コロナフエフ管制長官だった。


「ウーロン! このままでは超水圧で火星移住宇宙船団の宇宙船は空中分解しかねない。AI自動操縦をオフにして……」


 振り返ったイワンはその光景に言葉を失った。

 ウーロン・マスクは会心の笑みを浮かべて、モニターを歓喜の表情で見つめていた。

 それはまるで地獄ゲヘナ大魔王サタンのように見えた。

 彼は何となく全てを悟った。

 地球平面説フラットアースは本当だったのだ。

 地上から百キロメートル付近に、謎の水で出来た天蓋てんがいドームがあり、人類はそこから先には行けないと地球平面主義者フラットアーサーの陰謀論者が言っていた。

 少なくともマスクはそれを知っていた。


 次の瞬間、先発隊の葉巻型宇宙船は氷結して粉々に砕け散った。

 次々と後発の宇宙船が水の天蓋てんがいに突入して、何かに触れて一瞬で氷結して爆散していく。

 あまりの光景にイワンは沈黙してそれを茫然と眺めるしかなかった。

 それはまるで、無数の美しい雪が夜空に舞い散っているように見えた。

 約六十億人の人類の命が一瞬で失われた夜。

 それは後に、<水晶の夜>と呼ばれることになる。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

水晶の夜 坂崎文明 @s_f

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画