柊と志原③
「なんでここにいるんだよ」
始めに出てきた言葉は、至極当然のものだった。
教師に呼ばれたことは志原には教えていない、教えるわけがない。そして、私が正門から出て行く可能性だってあった。
なのにコイツはここに居る。コートのポケットに手を突っ込んで、私の顔を見てニヤニヤ笑っている。
「逃げてるの見えたんですよね」
「……」
「ほら、アタシって目が良いから」
『知らねえよ』、そう思いながら足元にあった小石を志原に向かって蹴とばす。それはサッカーボールのように心地よく跳ねるわけでもなく、ただコロコロと頼りなくアイツの足元へたどり着いた。
「……どこから見えたんだ」
「会議室、でしたっけ。あそこの奥にあるトイレ」
そういえば、そんなところがあった気がする。廊下の突き当り、この学校内で恐らく最もアクセスの悪いトイレだ。だからこそ、素行の悪い生徒のたまり場になっている。真面目にトイレを使いたい生徒からしてみれば迷惑千万だ。
トイレの隣には美術室があって、その隣には音楽室があって、その隣に私と教師が話していた会議室がある。
「あそこから出たら走ってく先輩の後ろ姿見えたんですもん、ビビりますよね。その後にえ~~っと、あれは教師……名前覚えてないけど、それっぽい人が追いかけていって」
そこまで言うと、人懐っこい笑顔を浮かべ。
「美術の練習なんかよりずっと面白そうだから、着いていきました。んで、先輩なんか回り道してたから、先に着いたってわけです」
「うぜえ」
「あはっ、ひど」
本当に犬みたいなやつだ。顔見知りが走り去っていくからって、普通追うか?
少し強い風に吹かれてゆらゆらと揺れるマフラーが犬の尻尾に見えてきた。そして、生憎私は志原を飼いならせていないし、飼い主になるつもりもない。なのにコイツは私に付きまとってくる。
「帰る」
「え~、折角会ったんですしもう少し話しませんか?先輩学校来るの珍しいし」
「話すことねえよ。それに、私はお前と同じ一年なんだから先輩って呼ぶのもやめろ」
「年功序列、でしたっけ。結構真面目なんですけど」
どうやら学年ではなく、実際の年齢で先輩呼びしているらしい。不良のくせに、変なところで律義なのも犬らしい。
むず痒くなるのと同時に、嫌な気持ちにもなる。歳だけ重ねて、学年は進んでいない。そして今日から私は高校生ですら無くなる。あの退学届は受理されるだろう。一緒に届けてはくれなかったが、母親の拇印とサインも押されている。学校からすれば厄介払いにもなって清々とするはずだ。進学校というわけでもなく、偏差値が高いわけでもない。ただ授業に出ていて、テストを受けて、行事に参加していれば一年から三年までベルトコンベアに乗った荷物のように運ばれ、卒業出来るような高校だ。
私はそのベルトコンベアの上を何度も何度も往復した。落ちる直前に拾われ、最初から流され、途中で拾われ、最初から。最後には自分の意思で……、学費の問題を自分の意思と言っていいのか分からないが、結局決めたのは私。自分の意思でベルトコンベアから落ちて、もう二度と流されることはなくなった。
「帰りましょうよ。先輩」
「…………」
人懐こい笑顔、清らかな声、整っている顔立ち。
不良になんてならなくても、この学校では上手くやっていけるはずなのに、コイツはどうして不良寄りの行動をとっているのだろう。
「どうして」
その疑問を、ふと口にしてしまいそうになり、直ぐに口をつむぐ。コイツがどうして私に懐いて、どうして先輩と呼んで、どうして不良をしているのか、どうでも良い。
どちらにせよ、明日から『柊先輩』はこの学校にいないのだから。
「どうしたんですか?」
「いや、……帰るか」
「え」
いつもは断っている志原との下校を承諾する私に、志原が素っ頓狂な声をあげる。
「熱でもあります?」
「一人で帰る」
「う、嘘です。嘘ですって!」
志原の横をさっさと通り過ぎようとして、腕を掴まれる。ずきりと、今朝叩かれた箇所が痛んだ。声は出ない、痛みには慣れている。母親が壊れて、私がその捌け口になったあの日からずっと、ずっと。痛みを与えられ続けてきたから。
「……先輩、どうしたんですか」
「ん」
適当な返事を返して、志原が掴んできた手を振り払う。
「帰るんだろ。ほら」
「………………」
何か言いたそうにしながらも、志原は私の隣に立った。志原の家は遠く、私の家は近い。十数分、これが私と志原の最後の時間になる。
その一歩を踏み出す前に、志原との出会いがぼんやりと脳の奥、痛みや苦しみの記憶に埋め尽くされたゴミの山から大切な宝が顔を覗かせるように、浮き上がってきた。
紡がれる歪 侑雲空 @no_fly_life
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