第5話

 イオリは昼に言っていた通り、頼まれごとの方へ行ってしまった。

 俺はいつもより重い足取りで下駄箱の方へと向かっていた。


(……俺は、彼女のなんなんだろうな)


 イオリの趣味に巻き込まれてから、俺の日常は確実に変わった。


 けれど、それはあくまで彼女の趣味に付き合わされているだけで、俺自身が彼女の特別になったわけではない。

 

 彼氏なんかじゃないし、恋人でもない。

 ただの、趣味を共有する間柄。


 俺にだけ見せてくれる表情は確実にある。

 でも所詮、俺に向けられたわけじゃなくて、Sに扮した俺に対する興奮でしかないだろう。


 そんなどうしようもないことを考えながら廊下を歩いていると、何気ない会話が耳に入ってきた。


「ねえ、さっきの片付け、任せちゃったけど大丈夫だったのかな」

「うーん、どうだろう。まぁ、先輩たちなら平気でしょ」


 俺は足を止める。

 何気ない会話。そのはずなのに、妙に重々しく俺の鼓膜に響いた。




「さっきの片付けって、どういう話だ?」


 思わず俺は声をかけた。


 自分でも緊張しているのがわかった。

 言葉に余裕がなく、まるで詰め寄るような口調になってしまう。

 そのせいか二人は戸惑いながらも、答えてくれた。


「えっと、さっき頼まれてた片付けを、男の先輩たちに任せたんです。忙しいって言ってたし、手伝ってくれるって言うから……」


 瞬間、背筋に冷たいものが走る。


「どこだ、その場所は!」


 自分でも驚くほどに勢い込んで聞いていた。

 二人組はますます困惑しつつも、場所を教えてくれた。

 イオリが向かった先と一致している。


(嫌な予感しかしない……!)


 俺はその場を飛び出し、教えられた場所へと急ぐ。

 頭の中では数多のシナリオが何度も浮かんでは消える。


 イオリの言う通り、俺がただの心配性であることを心底祈った。





***



(リョーマ、凄い心配してたな)

 

 私を受け入れてくれた男の子の言葉を思い返す。

 

 私の頼みでぞんざいに扱ってくれるけど、普段は私のことを凄く大事に思ってるんだろうな、と感じる。

 でも少し心配性な部分もあった。


 私のこととなるとずいぶん慎重になる。

 Sになっているときの獰猛さが少しだけ普通にあってもいいのにな、なんて。


 そんなことを考えていると、頼まれていた場所に到着した。


 部室棟の片隅、少し人気の少ない物置スペース。

 薄暗い部屋の中で待っていたのは、男の先輩たちだった。


「こんにちはー。お手伝いしますね!」


 少し戸惑いながらも笑顔で挨拶をする。

 しかし、彼らの様子はどこかおかしい。

 視線がじろじろとこちらを舐めるように動き、不自然な笑みを浮かべている。


「桜庭さんだっけ? わざわざ来てくれてありがとうな」

「頼りになるなぁ、可愛い後輩は」


 気さくに声をかけられるが、どこか底知れない薄気味悪さを感じる。

 胸の奥がざわざわと騒ぎ出した。


(──ちゃんたちはどこにいるんだろ……)


「えっと……片付けって、何をすればいいですか?」


 努めて明るく振る舞おうとするが、声が少し震えた。

 すると、彼らはさらに一歩近づいてくる。


「片付けなんていいんだよ。俺たちがやるからさぁ」

「そうそう。君はただ、俺たちと仲良くしてくれればいいんだ」


「え……?」


 思わず言葉が詰まる。

 さらに近寄ってきた彼らの一人が、不敵な笑みを浮かべながら言った。


「今の彼氏なんかより、優しい俺たちにしようよ?」


 その言葉に背筋が凍る。


 笑顔を保とうとするが、顔が引きつっていくのを自覚する。

 一歩、また一歩と詰め寄られるたびに、足がすくんで動けなくなった。


(誰か……助けて――)


 その時だった。



「おい、何してんだテメェら!!」



 怒号が聞こえるとともに、蹴り破るように開いた扉。

 そこにいたのは……リョーマだった。


「だ、誰だよ、キミ。もしかして、イオリちゃんの彼氏──」

「なに気安く下の名前で呼んでんだよ、この猿がッ。ソレはお前らみたいな下等生物が触れて良いモノじゃねぇんだよッ!!」


 いつものような、優しい声色ではない。

 ……私をための、冷徹さを帯びた声だった。

 

「ハ、ハハっ。そうかお前が噂のDV彼氏だな!」

「俺たちはお前からイオリちゃんを助け出そうとしてるんだよっ!」

「そ、そうだよっ。もう彼女を怖がらせないぞっ!」


 先輩たちは虚勢を張る様に口々にそう言う。


「……あ? ウキウキ何言ってんだかわかんねーよ」


 しかしリョーマは一歩前に踏み出しながら、嘲るように言い放った。

 その威圧感に、先輩たちが揃って後ずさる。



「いいか? コイツは俺のモノなんだよ俺のペットなんだよ俺の従順なマゾ奴隷なんだよッ!! お前らみたいなドブカスが手を差し伸べていいような安物じゃねーんだ、わかるか?」



 ……そう捲し立てるリョーマの表情は、いつもよりも冷酷で、それでいてだった。


「……わかったんなら、さっさと去ね」

「「ヒッ、ヒィィッ……!!」」


 その一言で完全に観念したのか、彼らは足元がもつれるような勢いで逃げ出す。


 

 そうして二人だけが取り残される。

 リョーマをこちらを振り返ると、力なく柔らかい笑みを浮かべた。




***




 ……こ、怖かった。

 年上複数人と喧嘩するなんてやったことないから、マジで怖かった。

 無駄にデカい図体と趣味程度に鍛えていた体があって良かったな……。


「大丈夫か、なんかされてないよな」


 アイツらが去っていったのを見て、俺は急いでイオリの方へ駆け寄った。

 彼女はまだ呆然とした様子だったが、俺の顔を見て、ようやく状況を飲み込んだような様子を見せた。


「う、うん……。リョーマが、助けてくれたから」


 先ほどまでの恐怖の名残か、彼女の瞳は濡れていて、顔も少しばかり紅潮していた。


 とはいえひとまず無事だったことに、俺は心底安堵のため息を吐いた。

 ……もうひとつの感情も乗せつつに。


「お前なぁ、もっと慎重になんないと危ないだろっ!? あのまま襲われてたらどうすんだ! SMプレイと実際の暴行は違うんだからな!?」

「う、うぅ。ごめんなさい……」


 安心した反動で思わずそう捲し立てると、イオリは珍しくしおれた。

 どうやら今回ばかりは自分でも反省するべきところだったらしい。


 しょんぼりとした様子でへたり込んでいる彼女。


 その姿は、なんというか……どこまでも愛おしく俺の目に映った。


「……なぁ、イオリ」


 乱れた髪を掻き分けて、俺はイオリの頬に触れた。

 少し驚いた様子の彼女の瞳がこちらを捉える。

 

 俺は一度深呼吸をして、口を開いた。



「俺、お前のことが好きだ」


「……え、え?」


 イオリは意外そうな声を出す。


 どうしても、この思いはちゃんと伝えておくべきだと思った。

 目を背けてはいけないと思ったのだ。


「ちょっと変な性癖抱えてんのも含めて、俺はイオリのことが好きなんだ。お前にとってはただの……趣味の相手なのかもしれないけど。でももし良かったら、俺とちゃんと付き合ってほしい」


 俺が一気に言い切ると、イオリは何か考えるように俯いた。


 そして──。


「……ごめん。私てっきり、もう付き合ってるもんだと思ってた」


 俺はその言葉に、完全に硬直した。


「……はぁ?」


「え、だって。普通友達とSMプレイするわけないじゃんっ! 私だって虐められる相手は好きな人が良いもん」


 まるで当然のように言うイオリ。

 みるみると俺の体が脱力するのを実感できた。


「はっ、はは。なんだ、そりゃぁ」


 思わず床にへたり込む。

 今まで悩んでいたのが馬鹿みたいじゃないか。

 いやまぁ、言ってることは当然と言えば当然なのだが。


「というかむしろ、イオリは友達相手にそんな演技できてたんだね……。さっきのもそうだし、もしかしたら結構Sなんじゃないの?」

「一緒にすんなっ! 俺は健全な男子高校生だぞっ!」 


 悪戯っぽく笑う彼女に、俺はムガーっと怒る。

 そこでいつもの調子に戻されていることに気づいて、俺は笑いそうになった。


「……それじゃあ、まぁ、改めてよろしく。ってことか?」

「うん、そうだね──あ、いや、違う。そうじゃないでしょ?」


 とりあえず、お互いを恋人として確認し合う。

 が、イオリは何か物足りなさそうな表情を浮かべるのだった。


 ……ホント、彼女はブレないな。


 俺は努めて冷酷な人物を思い浮かべ、イオリに急接近する。

 そして──



「一生、お前を逃がさないからな?」



 瞬間、唇と唇を合わせる。

 後頭部を掴んで逃がさないようにしながら、分はあろうかという時間、そうした。


 ようやく離れた時、イオリは目をチカチカと丸めながら恍惚している。

 

 いったい何を驚くことがあるだろう。

 恋人なら、こういうことがあってもいいだろうに。



 全く彼女は……無垢で愚かなだな。


 

 顔を真っ赤にする彼女を前に、俺は歯を見せて笑った。

 













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彼女のドM性癖のせいで、学校中で俺がトンデモドS野郎だと思われてるんだが。 オーミヤビ@1/24書籍発売 @O-miyabi

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