第4話

 眠気眼に下駄箱で靴を履き替えていると、どこからかヒソヒソとした話し声が聞こえてきた。


「桜庭さん、彼氏いるらしいよ」

「え、マジ? 誰なの?」

「わかんない。でも、なんかDVされてるんだって……。部活の後輩の女の子が頭を踏んづけられてる所を目撃したとかで」

「何それ、めっちゃヤバいじゃん!」


 思わず盛大にむせてしまいそうになった。

 イオリ、彼氏、DV。どう考えても心当たりしかないワードが並べられて、戦々恐々どころではない。


(これはちょっと、面倒なことになりそうだぞ……)


 昼休み、俺はイオリを呼び出し、噂について問いただすことにした。

 場所は旧校舎……ではなく、非常階段。噂が広まったせいで、あそこは使い物にならなくなっていた。


「イオリも聞いたよな……噂の事」

「噂?」

「イオリに彼氏がいて、その彼氏にDVされてるっていう」

「あー、それかぁ。さっき他の子から聞いたよ。私もビックリしちゃった」


 イオリは他人事みたいにケラケラ笑った。


「いや笑ってる場合かっ! 友達とかにも聞かれたんじゃないのかよ」

「聞かれたけど……そこはプライベートだから、って切り抜けた」

「濁したら余計噂になるだろ……」


 イオリの適当さに呆れるが、彼女の笑顔に少しだけ揺れがあることを見逃さなかった。


「でも、リョーマ以外に話せることじゃないもん」


 ポツリとそう言う彼女。

 確かに、そうだ。

 もしペラペラとドM趣味を打ち明けられるのなら、いろいろな意味で、こんな状況にはなっていない。


「とりあえず、しばらくはなしだからな。噂が鳴り潜めるまで」

「う~~~ん……そうだねぇ。残念だけど。本当、残念だけど」


 額をもみほぐしながら、俺がそう言うと、イオリはいかにも残念そうに肩を落とす。


「……でも、二人っきりなら良くない?」


 未練があるのか、彼女は駄々をこねるような目でこちらを見つめてきた。


「全然懲りてねーじゃん! それでバレたんだから、しばらくお預けだ!!」

「うぅ、そんなぁ……でもそれもまた一興かも……」


 彼女はやや頬を染めながらそんなことを言う。「なんでもありじゃねーかよ」と、つい笑みがこぼれてしまう。

 それを見て、イオリも少しだけ笑みを浮かべた。



「あ、そうだ。今日帰り遅くなっちゃうかも」


 もうすぐ昼休みが終わろうという頃、ふと彼女が言った。


「いいけど……またなんか頼まれ事?」

「そんな感じ! 部活で片付けがあるらしいけど、人手が足りないみたいでさぁ」


 また彼女のお人好しが発揮されたのだろう。しかし、今ばかりは気がかりだ。


「……それって行っていいやつなんだよな?」


 件の噂は文字通り瞬く間に広まってしまったわけだが、それに伴ってきな臭い話題もまた流れている。

 というのも、イオリがDVされているらしいという話に便乗して、あわよくば彼女を誑かしてやろうという輩がいるらしいのだ。


「大丈夫だよ、女の子から頼まれたんだし。リョーマってば心配しすぎ~」


 だからおもむろに警戒心を吐露したのだが。


 彼女のどこ吹く風な態度に、俺は結局、付いて行くこともできない自分に歯がゆさを感じるのだった。

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