第5話

「イアン・エルスバト将軍がお見えです」

 真紅の軍服、その正装に身を包んだ海軍将校が入って来る。

「よくいらっしゃいましたわ。将軍」

 美しい敬礼でイアンは応える。

「文は読んで下さったわね。貴方の豊かな戦歴は、存じています。王太子ジィナイース・テラはヴェネトにとって唯一無二の宝石のように尊い存在。いずれ、慣例に従い海にも出なくてはなりません。近海といえども、海賊が交易船を襲撃する例も少なくない。貴方のその素晴らしい軍人としての才で、どうか王太子を守って下さい。

 貴方を王太子ジィナイースの近衛隊隊長に任じます。

 七日でスペイン艦隊、王宮近衛騎士団から人材を選抜し、直轄の近衛隊を組織しなさい。

 これは王太子が戴冠した後、王の直轄として創立させるヴェネト聖騎士団の母体とするつもりです。貴方は優れた軍人として、優れた部下も選定が出来るはず。有能な兵を集い、戴冠式まで王太子の身の回りの警護と、訓練をさせ、この美しいヴェネトを守るに相応しい、強力な軍隊を作り上げて下さい。期待をしていますよ」


「スペイン艦隊をこの地に呼んで下さった、両陛下のご恩に応えます。どうかお任せを!」


 スペイン総司令の快活な返答に、ヴェネト王妃は華やかな微笑みを浮かべた。


◇   ◇   ◇


 窓から城門の方を見下ろしていると、見慣れない真紅の軍服を身に纏った将校が出てきて、側にいた数人に何かを話していた。同じ色の軍服を着た数名は、何かを拝命すると、それぞれ馬に乗って先に走り出した。誰もいなくなると、一瞬、彼はその場に立ち止まり、風が、軍服の裾を揺らした。

 数秒後、彼は歩き出し、待っていた馬車に乗り込む。

 すぐに馬車は城下へと走り出した。

 ルシュアン・プルートは馬車が見えなくなると、遠くに視線をやった。

【シビュラの塔】は今宵も厚い霧に覆われている。


 不気味な黒い影から、彼はすぐに顔を反らした。


◇   ◇   ◇


 輝かしい正装を、馬車の中で投げつけるようにして脱いだ。

 イアンは両脚を椅子の上に乗せ、膝を抱えた。


「……なにが美しいヴェネトを守るためや……、

自分たちの覇権の為に、多くの人間を吹っ飛ばしやがったくせに‼」


 ガン! と彼は対面の椅子に蹴りを打ち込んだ。 

 拳を握り締める。

 戴冠後のヴェネト聖騎士団は、ヴェネト守護職の頂点に立つ。

 イアンの作り上げた近衛隊が実力を認められれば、彼が聖騎士団創立後に関わる可能性は高い。何より、王太子の周辺の警護なら、上手くやればその信頼を勝ち取ることも出来るし、王太子の信頼を勝ち取れば、あの王妃に重用されることだって、不可能じゃない。

 この任務を成功させれば、スペインがきっと守られる。

 それなのに。

 胸に湧き上がってくる。

 この国に深入りすればするほど、自分は愛する母国から遠ざかるかもしれない。

 永遠にこの国に留まり、ここで結婚し、屋敷を持ち、この国の為に尽力する。死ぬまで。


「ええ加減にしろ、その覚悟があったから、自分で手ェあげてこの地に来たんやろ……!」


 何もかも捨てて、逃げ出したいという欲望が渦巻く。

 自分の臆病や、身勝手が、こんなに強いと思わなかった。

 郷愁が。

「くそっ!」

 緑の瞳から、涙が零れる。

「しっかりせえ! 俺と一緒にこんな所まで来てくれたあいつらを路頭に迷わすわけには行かんやろ‼ スペインの為や‼」


 手の平で押し潰すようにして、涙を誤魔化す。

 今まではこういう喝は、父や母や、兄弟たちが容赦なく入れてくれた。

 でもここには誰もいない。自分一人だ。自分の強さが試されているのだ。弱い心に、負けてはいけない。

 友の顔が過った。


(あいつは、あの王妃の前でも膝をついて、穏便に挨拶した。

 平服して、恭順を示した。

 俺なんかより百倍、辛かったはずや!)


 泣くな、と自分を叱咤する。


「何も考えず、この任務を完璧に果たすんや。

 そのために、俺はここに来たんやから」


 ――全ては愛する母国のため。


 膝を抱えて押し黙った彼を、

 伝う雫を、ヴェネトの月が静かに見下ろしている。

 カラカラ……と乾いた音を立てて、

 轍は城下へと走り出した。




【終】

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