第3話 幼い料理人から温かい出来立てをいただく

 北方の民の男と話している内に、雪を踏みながら運ぶような音が聞こえるようになった。四つの車輪がある販売台と焼き窯らしいものを引きずっている幼い子供が通っていた。子供用にあしらわれた、鍔のない硬い帽子。中に綿が詰まった羽織を数枚着こんでいる。手は擦り合わせると熱が発する、薄い包帯で包まれている。


「おはとうございます!」


 白い息と共に明るく元気な挨拶が通りに響き渡る。顔見知りの料理人達が挨拶で返し始めたり、周辺の治安の情報を教えたりしている。どこか素朴さを思わせるそばかすに、愛嬌のある黒い眼を持っているからだろうか。或いは彼女の人柄か。


「早速お客様が来てる。早く準備しとけよ」


 誰かがそそのかしたことで、赤毛の主が急いで準備をし始めた。ある程度下準備を済ませているみたいだ。小麦粉で練り上げた丸い塊を板の上に出し、芸をするように上げて回す。まるで皿を回しているようなものだ。それが済み次第、生地の上に刻んだらしい乳の発酵物をぱらぱらと。その上に干し肉や雪に強い葉物を置く。粉にした胡椒を振り、更に乳の発酵した物を振っていく。べらを大きくしたようなものに置いて、釜に入れた。焼く時間は分からない。しかし時間を無駄にしない主義なのか、彼女は下から別の生地を取り出し、別の素材を使った料理をし始めている。


 その域は既に達人の域に行っている。離宮や王宮にいる料理人でも、洗練された動きをする人の数は片手程度だ。貴族や特権などのしがらみがない、正真正銘の実力の世界だからこそ、彼女は子供ながら、真剣に挑んでいる。


「驚いたか」


 北方の男が彼女を娘のように自慢をし始める。


「高級料理店の男が彼女を雇いたいと言いたいほど、素晴らしい腕前を持つ。ひたむきさがあって、貪欲さもあって、俺と違って若いからこそ、頭が柔らかい」

「料理に頭の柔らかさはいらないと思うが」


 何故か鼻の穴を大きくする男の顔を見てイラっとした。私が短気でないことを見抜いているからだろう。とはいえ注意をしておかねば。


「挑発まがいの表情は控えた方がいい。人の命も、仕事の命も失いかねないぞ」

「おっと。流石にばれておったか」


 男は豪快に笑う。その笑いはよく響く。通りがかった他の者が「よそ者をからかうんじゃないですよ」と軽い注意をしながら、台車を付けている牛を先導している。不慣れな獣の匂いが鼻に届き、身体が固くなってしまう。臭いものは臭い。


「牛使いのおじさん! いつもの用意するから!」


 声で気付いたのか、赤毛の子が大声でおじさんとやらと話している。一瞬だけ見たとはいえ、判別できるあたり、相当なやり手だ。


「俺のこと気にするなよ。こいつの身体からプンプン、金の匂いがするんだ。今日の一番目の客を大事にしな」


 こうして私が笑いの種になっているのも、きっと変装が上手く出来ているからだろう。そう思いたい。ざくざくと、雪を踏み歩く音が近づいている。視界の隅に赤毛がちらりと。


「お待たせ!」


 屈託のない笑みをしている赤毛の子供が完成した料理を傷ありの平皿に載せて、近くまで来ていた。いつもの私なら気配も気付くというのに……どうやら精進する必要があるようだ。


「ああ。これはなんと面妖な」


 この地域の主な穀物は小麦だ。それに関する料理というのも分かる。しかしここまで薄いものは初めてだ。薄い線が少々気になるところだが、手に取ってみないと分からない。温かい。出来立てだから当たり前だが、寒い外で触れると心身が温かくなっていく。


「ん?」


 引っ張ってみると、薄い線は切ったものだと理解した。一枚のように見えて、八枚切られていた状態だった。大きすぎると食べづらいからだろう。更に引っ張ると、白い何かが伸びている。発酵されたものだろう。ここは庶民がいる場だ。豪快にいった方が良い。ひと口で行く。熱く蕩けるものが口の中に伝わり、危うく火傷をしそうになる。


「豪快にいったな」


 私の見た目だけならやろうという予測をしなかったのだろう。北方の男が驚いていた。それはどうでもいい。肝心の料理を堪能しなくてはいけない。乳の発酵したものを北方の言葉でアロール、西方ではチーズと言うらしい。熱したものがここまで美味しいとは。葉物がほんの少しだけ甘く、不思議とシャキシャキとしている。干し肉は切り刻まれている。噛むと良い味が出てくる。胡椒が持つ辛さも絶妙に良い。


「雨か」


 温かい水を頬で感じ取り、私は空を見上げる。雲のない、太陽が昇る前の冬空だ。少しずつ夜の色から橙色の色に染まっていく。境界線がはっきりとしていない、不思議な時間帯だろう。


「お前さんが涙しとるだけだ」


 中年の男の指摘が来た。言われてみれば目から出ている感じだ。悲しさというものがない。何故私は涙する。


「金持ちの連中は出来立てが食えないこともあるって話だ。久しぶりに温かくて美味いものを食って、嬉しかったんだろうよ」


 その言葉で腑に落ちた。私はある方に仕えている。王宮で務め、位の高い位置に属している。食事を介した毒の暗殺の危険性もあってか、最近は毒味が終わった冷たい食事をいただくことが多くなっていた。食事は腹を満たすだけだと思っていた。そうではなかったことを初めて知った。


「赤毛の子……俺らはシャオピーって呼んでるんだけど」


 変に追及したら帰る時間が遅くなるかもしれない。敢えて言わないでおく。


「言ってたんだ。ご飯は生きるためのものでもあるが、楽しみのひとつだとよ」


 子供らしい。そう思ってしまった。嘗ての幼い私も、食事を楽しみにしていた身だ。身分が高いから雇われの老婆が用意してくれたのだが、いつだって温かいものだった。


「あとはなんか自分は恵まれてるとか言ってたな」


 思いをはせていたら、北方の男はまだ言いたいことがあったようだ。


「恵まれてるというと」

「浮浪児でも料理を学べる機会があったこと」


 それは確かに恵まれていると言える。全ての浮浪児が十歳まで生きられるほど、この港町は優しくない。無事に大きくなっても、盗賊になるか、殺し屋になるか、娼婦になるか。どれを選んでも結末は暗い。


「積極的にいくつもの店の扉を叩いてよ。数撃っちゃ当たるのか、ひとつ拾ったんだ。西方から来た旅の女があの子に料理の基本を教えたんだと」

「ああ。それで摩訶不思議な料理が」


 合点がいった。既に屋台に戻ったシャオピーは我々が知る焼餅を作り始めている。汚れた仕事をするのではなく、明るい仕事を選択した。料理に強い思いがあったからか。単に運が強かったのか。人々が才を見込んで育てたかったからか。そう単純なものではない。選択をひとつ間違えれば、今の彼女はない。そして、この王朝の食文化を築き上げるひとりにならなかった。


 そう思うとこの価値は金貨以上のものだ。残りもありがたくいただく。全てに感謝を。この出会いを決して無駄にしない。私は記録係だ。見たものと聞いたものを全て記憶し、書き記すことが仕事だ。上司に怒られはするが、平和で豊かになるであろう後世に伝える必要がある。


「美味だった」

「あ。え。ちょっと!? いくら何でもぉ!?」


 さっと金貨二枚を渡し、風のように去る。慌てて追いかけようとするものの、自分の城である屋台から離れるわけにはいかないらしく、追ってくる気配がない。その代わりに大声で叫んでいるようだが、それがどこか年相応のもので……笑ってしまった。


 ああ。日の出だ。晴れ晴れとした心と共に、路地に入り込み、離宮の裏口から入る。ここはようやく朝を迎える。不自然にならないよう、いつもの私に戻るとしよう。冷たい笑みという仮面を被り、演じなくては。

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早朝お忍びで屋台料理をいただく いちのさつき @satuki1

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