煙草

星影瑠華

第1話

俺は夜の公園にいた。

冷たくて、悲しげな風が俺のほおを撫でる。

俺は、別に悲しくなんてない。

街灯がぼんやりと世界を照らしている。

俺はグッと堪えて、ベンチに腰かけた。

錆びて、色のはげた、ベンチ。

俺の体重で微かに軋んだ。

体温を奪う冷たさ。

履き古したジーパンから、いつものようにあれを取り出す。

そしていつものように……。

「あれ、おにーさんも犯罪者?」

「はっ?」

目の前にいたのは一人の男だった。

ヒョロっとした弱そうな肉体と、ロングコート。

色素の薄い髪が男の目元の前で揺蕩っている。

口元には加えたタバコ。

「犯罪者って、今日はまだ犯罪者じゃない。タバコが違法ドラッグになるのは明日だ。」

「だねぇ。でも、明日からは犯罪者だよ。僕たち。」

しれっと隣に座ってきた胡散臭い男。

俺はわざとらしく、少しずれて、足を組んだ。

「明日から吸わなければいいだけだろう。」

「そんなことできるわけないじゃあん。こんなニコチン漬けの男なのにさ。」

こんな、と言われても俺にはわからない。

今初めて出会ったのだ。

でも少し不安になって、胡散臭い男に目を向ける。

「あったことあったか?俺たち。」

「ないね。」

男はあっさりと答えた。

そういえば勢いのままタメ口だったことを思い出す。

でも、こいつにタメ口は必要ない気がした。

「おにーさんはなんのタバコ吸うの?」

「…ウィンストン。」

「そっかあ。じゃあ、ウィンストンって呼ぶね。」

「は?」

「なんか面白くない?ネッ友みたいでさ。」

ニコニコと目を細めて笑う。

狐にばかされているような気がする。

「じゃあ、ウィンくん。僕はジャルムスーパーが好きなんだ。ジャルムって呼んでくれ。」

「ジャルム、か。」

胡散臭い男、ジャルムは、ははっと笑った。

「ごめんね。おタバコ遮っちゃって。どうぞ吸ってくれたまえ。」

「ああ。」

俺はジッポで火をつけた。

「僕にも火をくれないか?」

「ああ。」

ジャルムは火をつけて、ふうっと息を吐いた。

「どうしてウィンくんはタバコを始めたの?」

「俺…は。」

考えたこともなかった。

どうして、だっただろうか。

そっか。そうだ。

大きな背中を思い出す。

「親父が吸ってたんだ。それがどうもかっこよく見えてな。親父は俺の憧れだったんだ。親父になりたくって、ていうのがあるかもな。」

「へえ、素敵なお父様だったんだね。」

「…どうだろうな。」

ジャルムは首を傾げた。

「違うのかい?」

「いや、違わないか。」

いつも仕事も家事もやって疲れ切った顔をした親父。

ベランダに出てタバコを吸っている時だけ、少し和らいだ表情をしていた。

俺は親父のあの顔が好きだった。

のんびりとしたあの表情が。

疲れから解放された、あの晴れ晴れとした表情が。

「お前は?」

「ん?」

ジャルムはニヤニヤとこちらを見ている。

「じゃ、ジャルムは?」

このカタカナの名前がくすぐったくて仕方がなかった。

「リストカットってわかる?」

「手首切るやつか?」

「そうそう。」

ジャルムの温度が下がる。

「それの代わり。」

「…代わり?」

「タバコって体に悪いじゃない。お財布にだって直撃するし。依存性はあってやめられない。

僕は狂いたかったんだ。早くくるって早く死にたかった。この命を削り取る感じが好きなんだ。」

「ふーん。」

「僕はタバコという存在が好きなんだ。本音を言うと煙はあんまり好きじゃない。概念、って言うのかな。なんか、それがいいと思ったんだ。」

ふうっとタバコの煙を吐く。

「今も、死にたいのか?」

「うーん、そうだね。心のどこかにはずっとあるよ。ここにいたとしても何にもならない。

それが嫌い。怖い、かな。」

「へえ…。」

面白い考えだと思う。

俺とは違う。

でもその考え方は浮世離れしたジャルムに似合っていた。

それが様になってしまう。

「明日から俺らどうするんだろうな。」

「そうだね。もう吸えないんだもんね。買えもしないし。」

ジャルムは消えていく煙を寂しそうに眺めていた。

「このまま死んじゃおうかな。」

「いいのかもな。」

ジャルムは少し目を開く。

驚いたらしい。

「止めないんだ。」

「他人の人生に口出しできるほどの人間じゃない。この世に縛り付けておく責任は持てないからな。」

俺は言ってしまう。

少し考えてから付け足した。

「でも、もしおm…ジャルムが明日死のうとしてるなら、明日が来なければいいのにって思う。」

「ふうん。そっか。」

「なんだよ。」

「いい答えだと思ってね。」

ジャルムは微笑んで目を閉じた。

「明日からどうなるなんて、わからないよ。未来なんて。」

「でもね、少しでも僕の命を大切にしてくれる人がいるなら、明日も生きて見ようかな。」

「ジャルム…。」

「約束してくれる?ウィンくん。」

「ああ。俺でよければな。無責任にこの世に縛り付けてやるよ。」

ジャルムは嬉しそうに微笑んで、俺の小指を絡ませた。

「ゆびきりげんまん。嘘ついたら針千本のーます!」

「生きづらい世界だけど、もう少し生きてみようぜ。」

ジャルムは小さく頷いた。

「「指切った」」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

煙草 星影瑠華 @Ruka-ningen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る