雪国と炎の王国

魚野れん

聖女と王の秘密の話

「ケネス! いい加減戻ってこい!!」


 仲間の一人が俺に声をかけてくる。吹雪の中で変質しているせいで、誰の声かは分からない。

 彼――だと思う――の声を無視した俺は、じっと目を凝らして次の襲撃に備えていた。


 豪雪地帯であるここは、人間が住むにはだいぶ無理のある場所だ。それに、この季節になると活発化したビックフットが襲いかかってくる。元々彼らの生息地でもあるから、こればかりは仕方がない。

 だが、こちらも「ごめんなさい」と言ってお引越しするわけにもいかなかった。俺たちは、ここでひっそりと暮らすと誓ったのだから。




 この国は、崩壊した帝国の生き残り――皇帝の血を引く人間やその守護者、随伴者などが落ち延びて、ようやく作り上げた秘密の王国だ。

 現国王の先祖、時の皇帝の次男だったドルススは、民主制を唱えたばかりに身内から暗殺未遂の憂き目に遭った。権力にしがみついている人間が多く、それらが帝国の腐敗をもたらしていたのだ。権力を誇示したい身内と意見がぶつかることの多かった彼は、暗殺を目論む者らから度々命を狙われていたのだった。

 だが、ドルススの不遇はそれだけではなかった。反帝国主義の人間からのクーデターやら革命を起こそうという動きやらで混乱した市民にまで、彼は命を狙われる羽目になる。彼らにとって、皇帝一族であるドルススもまた罪人でしかなかったのだ。

 ドルススと彼に志を同じくする者らは、権力主義の世界に潰されぬよう、勘違いに巻き込まれぬよう、偉大なる帝国を見限るようにして逃げ出した。


 そんな少数派の彼らが逃げようという時、一番の支えとなったのが聖女である。聖女ダナは、俺のひい婆さんだ。彼女は類まれな戦闘技術を持つだけではなく、魔術の扱いに長けていた。

 ダナはけが人を魔術で癒し、敵を武術で倒し、人々を先導した。彼女はドルススの忠臣であり、また彼の妻でもあった。

 彼女がいなければ、この地に辿り着くことすらできなかっただろう。


 ドルススと聖女ダナは、自分たちだけの民主制の王国をここ――誰からの干渉も受けない場所――で築こうとした。なぜ民主制と言いながら王国なのか? 王国と名乗っておけば、何かあった時に王の首を捧げるだけで済むからだ。

 ドルススは、シンボルとして、そして民の責任を背負うためだけに王を名乗ることにした――というわけだ。

 しかし、帝国の手が伸びない場所はここしかなかった。ドルススは、着いてきてくれていた技術者たちに少しでも早く生活環境を整えるように指示をした。

 冬が来るまでに準備を終えなければ、全滅するしかない。時間との戦いだった。

 何とかその戦いには勝った。が、次に現れたのは強敵だった。そう、俺が今戦っているのと同じ相手だ。


 極寒と豪雪、そしてモンスター。三つの苦が待っていた。建築作業に貢献できなかったダナが、ここで再び活躍することになる。

 ダナは小さな集落――当時は本当にいくつかのあばら家があるだけだった――に結界を張り、前者から民を守った。 そして、後者は持ち前の武力で解決した。

 小さな勝利を積み重ねて世代が変わる頃、ドルススとダナたちの故郷である帝国は崩壊した。しかし、その帝国を立て直すことはしなかった。帝国で生まれ、良き帝国を知る人間は既に存在しなかったから。




「……っ!」


 唐突に現れたビックフットに剣を突き立てる。魔術で特別熱くなっている刃が巨体の肉を傷口から焼いた。


「我は自由の民。神々の忠実なる臣下。穢れなき炎におののけ……!」


 俺が生み出すのは原初の炎。神々からもたらされた知恵のひとつである。それがビックフットを包み込む。

 ビックフットは極寒環境に適応している為、炎に弱い。ただださえそうなのに、原初の炎である。人間の為に生み出された原初の炎は力もさることながら、人間には決して害をなさない。そんな炎にさらされれば、ビックフット化け物はひとたまりもなかった。

 汚らしい鳴き声を上げる余裕すら与えず、原初の炎はビックフットを焼き尽くす。どうっと巨体が倒れる大きな音と地響きを以て、呆気なく決着した。


「俺はまだまだ元気だぞ。屠られたくなければ去れ!」


 吠えるように叫べば、薄らと見えていた二対の光がすうっと下がる。だが、安心するのはまだ早い。俺は周囲の地面を原初の炎で薙ぎ払った。

 全てを浄化する炎は円を描いて広がっていく。それに巻き込まれたらしい獣の悲鳴が響いた。やはり、狩人は狩人なのだ。生き残ることがないように 俺は黒焦げの塊に剣を深く刺した。


「聖女ケネス! いい加減にしろっ!」

「もう戻るところだが……」


 腕を掴まれ引っ張られる。今回の襲撃者をほふり終えて力を抜いていた俺は、簡単に振り向かされた。どうやら俺に制止の声をかけ続けていたのはこの男ティトゥスだったようだ。

 ティトゥスは聖女の守人を自称する変な男だ。彼のことを変な男だと言えるのは、彼と幼なじみの関係である俺くらいだが。俺以外の人間は、彼を見ると傅くくらいだから、思ってたとしてもおおっぴらに口にはしないだろう。


「動かずにいたんだ。寒かっただろう」

「そりゃ寒かったさ!」


 化け物の血で汚れた手を原初の炎で浄化する。炎の名残が鱗粉のように舞った。金色のそれを見送ると、今日もこの国を守りきったという実感が湧いてくる。雪と共に踊るそれを尻目に、俺はやるべきことに取りかかる。


「ほら、手を貸せ。温めてやる」

「風邪ひいたらお前のせいだからな」

「はは、俺はそこまで面倒見が良い方ではないぞ。自分の体調くらい、自分で見なさい」


 俺はそう言いながらティトゥスの手に触れ、ふうっと息を吹きかける。原初の炎を使うことを許されている俺の吐息が、彼の体を一気に温めた。


「聖女様は便利だなぁ」

「毎日戦いに明け暮れたければ譲ってやる」


 この国では、原初の炎を使える人間のことを聖女と呼ぶが、聖女の数は少ないどころか俺一人である。原初の炎を扱っていた聖女ダナに因んだこの称号をほしがる民は少なくはないし、俺も仲間がほしい。だが、聖女になれるのはほんの一握り――握れるくらいいれば良い方だ――だった。


 条件が厳しすぎるのだから仕方がない。

 まず、神の血を引く皇帝一族の一人であること。ここでだいぶ振り落とされる。これだけならば、まだましだった。条件はそれだけではなかったのだ。

 魔力を持っていること。精神的に安定していること。信仰心が厚いこと。常に善き人であること。

 曖昧なものからはっきりしているものまで様々だが、少なくとも聖女ダナの子孫に可能性を賭けたくなるのは分かる。そうして聖女ケネスも生まれたわけだしな。


「はー、あったけー……なあ、お前に抱きついたらもっと温かいか?」

「馬鹿言え、俺の体温は普通だ」

「だよなぁ」


 にかっと笑った男は、まさに人を惹きつけそうな笑顔をしている。この笑顔は、国民全員の命だ。彼は他の王族と同様に「いつでも切り落とされても大丈夫なように首は綺麗にしている」という意味の笑顔なのだと言ってくるが。

 自分のことを、吹けば飛ぶような命だと笑う男が眩しくてたまらない。

 そこまでの気持ちを抱けない俺は、きっと王には向いていない。ティトゥスを見ながらそう思う。


「今日はもう大丈夫だろう。監視の目だけ、頼む。今日は多かったから数日は襲撃も来ないだろうが……」

「分かっている」


 もうじき、ホワイトアウトしそうだ。俺は雪の世界で二人きりになったかのような気分になりながら、ティトゥスの背を押した。

 俺よりも遥かに細い体が簡単に前へ押し出される。ティトゥスが笑いながら体勢を崩した。笑っている場合じゃないだろうが! 俺は転倒しないように慌てて彼の腕を掴んだ。

 咎めるように睨めば、ティトゥスはそうなることが分かっていたのだと言うかのように含み笑いをする。四十も過ぎた良い大人が、子供みたいなことをする。

 ……まあ、この男のそういうところは嫌いではないが。


「……早く戻ろう。きっとお前がいなくて心配している」

「そうかな。俺の不在より、聖女ケネスがいつまで経っても戻ってこない方が心配だろ」

「まさか。俺の部下は部隊長が倒されたくらいで動揺するようなやつらじゃない」

「おいおい、皆が泣くぞ」


 俺の部下はやわじゃない。彼らの心はそう簡単には折れない。帝国から逃げて生活しているうちに、彼の帝国は滅びたのだ。戦闘中の俺たちに、死神は近づかない。

 俺たちは、死神すら避けていく神の戦士なのだから。

 戦いを終え、町へと戻る道筋。こういう時こそ死神はそっと近づいてくる。俺は彼が連れていかれないように


「聖女は今、ケネスだけなんだ。お前が死んだらこの国も滅ぶ。お前が卓越した戦略家で聖女としての能力も高いから、この国はなんとかやっていけるだけなんだぞ」


 そうだろうか。ティトゥスの話を聞き流しながら、部下たちのことを考える。彼らは立派な戦士だ。彼らが俺を信じて動いてくれているからこそ、成功しているにすぎない。俺がいないならいないで、彼らはそれなりにやってみせるだろう。原初の炎を生み出すこと以外は、誰にでもできることばかりなのだから。

 確かに俺は単体でもこうして戦える。だが、彼らの信頼や、家族への愛、生への執着――あらゆるものが、聖女ケネスという存在を支えている。

  事実、聖女ダナの知識は引き継がれ、周知され、今では当たり前の技術として広がっている。俺でなければならないことなど、一つしかないのだった。


「まさか。俺は……ただの人間だ。神の血を少しだけ継いでいるというだけの。

 むしろ、民の信仰の対象でもある神の直系のお前の方が、支えになっているだろう」


 俺が帰る場所は、あの白い炎でできた壁の向こう側にある。俺が原初の炎で守る故郷の象徴は、今俺が支えているこの男なのだ。


「俺は、ただにこにこして、民主制万歳って言うだけだ。

 ……ま、こんなことは、ここでしか言えないけどな」


 ふいに立ち止まって寂しいことを言い出した親友の肩を抱き、俺は否定する。神の末裔だから、大切にされる。敬う。そういう時代ではなくなってきたことは確かだ。だが、それとこの男の感じているものは全く違う。


「お前が国を維持し、俺が国を守る。ずっとそうしてきたし、これからもうまくいくだろう。これからの俺たちにできるのは、次代を芽吹かせ導くことだ」

「同い年なのか? 本当に」

「お前こそ、いい加減に大人になれよ」


 幾度となく繰り返してきた言葉を交わし、笑い合う。きっと、先に死ぬとしたら俺の方だ。あとどれくらい共に戦えるのだろうか。戦う舞台は違うが、俺たちは戦友には違いない。


「俺より先に死ぬなよ。帰る場所がなくなったら、俺も生きて帰れない」

「はいはい。ちゃーんと長生きしてお前の家族をしっかり守ってやるから、明日も安心して戦いに行けよ」


 雪の中、俺たちは民に知られてはいけないひそひそ話をしている。この雪にうんざりすることも多いが、こういう時だけはありがたい。

 あと少しだけ、俺たちは堂々と秘密の話を交わすのだった。

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雪国と炎の王国 魚野れん @elfhame_Wallen

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