隣の席の先輩は、雪の日も不憫可愛い。

ひっちゃん

雪の日も不憫な先輩。

「うへぇ……参ったなぁ……」


 ビルを出てすぐの歩道に真っ白に降り積もった雪を見て、隣の蔵前くらまえ 瑞穂みずほ先輩が深々とため息をついた。


 この日、私こと斎藤さいとう 明里あかりは先輩と一緒に社外の研修を受けていた。今度担当することになる開発案件で用いる新たなプラットフォームに関するハンズオン形式の研修で、一日を通して行われるかなり力のこもったプログラムである。


 研修自体は問題なく進んだ。あの先輩がいるにも拘わらずトラブルらしいトラブルも起こらず、起こったことと言えば会場内に設置されていた自販機が何故か先輩の電子マネーだけ上手く認識してくれなかったくらいで、すごく身になる時間を過ごすことができた。


 ……だがしかし、そこは流石先輩というべきかやはり先輩と言うべきか。トラブルは研修終了後に、天候という形で訪れた。


 この冬最大の寒波がどうとかで氷点下近くまで冷え込んだ都内に、予報よりも半日以上早く近づいてきた雪雲が昼過ぎから大雪を降らせ始めたのだ。結果、こうして研修を終えた私たちが表に出るころには、辺り一面真っ白の銀世界である。


「天気まで操るなんて流石ですね、先輩」


「私のせいなのこれ!? まぁ確かに今日はPC落ちないなーとかネットワーク切れないなーとかお弁当にちゃんとお箸ついてるなーとか思ってたけど!」


「漫画の世界に住んでます?」


「現実だよ!?」


 まぁ戯れはこの辺にして。


「それで、電車動いてます? 私の方はまだ大丈夫そうですけど」


 そう、現時点で最大の問題は公共交通機関の運行状況だ。ただでさえ都心は雪に弱く、少量の積雪でも簡単に電車が止まってしまう。特に先輩はJRを使っているから、地下鉄沿線に住んでいて比較的天候に強い私よりも影響が大きいはずなのだ。


「うーん……ちょっと最寄までは無理そうかな。行けるところまで行って、タクシー拾うしかなさそう」


 スマホ片手に先輩が頭を掻く。恐らく同じような考えの人たちでごった返す駅やタクシー乗り場を思い浮かべたんだろう。気持ちはわかるけど、帰れないよりははるかにマシだから仕方ない。


「完全に止まってなくてよかったじゃないですか。いつもの先輩ならビルの前に雪が積もりすぎて出られないんですし十分すぎますよ」


「いくら私でもそこまでは……な、ない……はず……たぶん……」


「そこはちゃんと否定しきってください」


 実際冗談みたいな星の下に生まれてる先輩ではあるけれど、ここまで盛りに盛った事象にツッコミを入れられないのはどうかと思う。都内で三メートル越えの積雪はもうそれ異常気象ですからね? 世の中の常識書き換わってますからね?


 ……そう、先輩は冗談みたいな、不憫な星のもとに生まれている。そんな先輩に、時間がかかるとはいえ無事に帰宅できる未来など、神様は与えるはずがないのだ。


 つまり、何が言いたいのかというと。


「――あ、危ないっ!」


「へ? ぎゃっ!?」


 こんな風に、屋根に降り積もった雪を下ろしている作業員さんの手が狂って雪の塊を頭から被ることだって、当然なのである。


 ちなみに、すぐ隣を歩いていた私は一切ダメージを負っていない。雪のひとかけらさえも浴びていない。まるで狙い撃ったかのように、雪の塊は先輩だけを世界からすっぽりと覆い隠していた。


「……嘘でしょ……?」


 これまで数々の不憫な先輩を見てきた私でも、これにはそう零すしかないのであった。







「ぶぶぶぶぶぶ……しゃむい……しゃむいよぉ……」


「もう少しですから頑張ってください」


 鳴りっぱなしのスマホみたいに震え続けている先輩を連れて、私は自宅へと向かっていた。


 頭から雪を被ってびしょぬれの先輩をこのまま帰してしまうと風邪ひき待ったなしだし、ダイヤも乱れまくっていていつ帰れるかわかったものじゃない。だったら比較的研修会場から近い私のところに来てもらった方がいいだろうという判断だったけど、今の先輩の様子を見るにその判断は正しそうだ。


「ほら着きましたよ。とりあえずこれで体拭いておいてください」


「うん……ありがとあっちゃん……」


 玄関のドアを閉めたところで、私はダッシュで取って来たタオルを先輩に手渡す。いくら外気と遮断されたとはいえ濡れたままでは寒いことこの上ないだろう。


 先輩は文字通り濡れた子犬のようにしゅんとしながら髪やら顔やらを拭いている。そんなに落ち込まなくても、あんなの事故だし気にしなくていいのに。


 先輩がそうしている間に、私は湯船にお湯を張り部屋の暖房をつける。一応掃除はこまめにやってるし、とりあえず人を上げられないような状態ではないかな……多分。


 そんなセルフチェックを終えて玄関に戻ると、あらかた水気は拭き切ったのか濡れたタオルを片手に先輩が居心地悪そうに立っていた。……まぁそっか、どうしていいかわかんないよね。


「タオルとコート預かりますから、とりあえずお風呂入ってきてください」


「えっと、いいの……?」


「当たり前じゃないですか、風邪ひきますよ? シャンプーとかタオルは好きに使ってもらって大丈夫なので、ゆっくり暖まってきてください」


「……うん。えへへ、ありがとあっちゃん」


 そうやってはにかむ先輩はいつもよりも儚げで、少しドキッとしてしまった。


「……さて、と」


 どこか嬉しそうに脱衣所に消えていった先輩を見送って、私は一つ気合を入れるように呟いた。


 とりあえず先輩がお風呂に入っている間にいろいろと準備しなければ。私たちが移動している間に先輩が使ってる路線は完全に運転見合わせになってしまったから、今日はこのまま泊っていってもらうしかないだろう。この部屋に誰かを泊めるのなんて初めてだから、ちょっと緊張してしまう。


 部屋ぎは私の予備を使ってもらうとして、歯ブラシはまだストックあったっけ? 夕食は……今残ってるやつなら鍋くらいはできそうかな。そういえば鍋つゆの素も買ってあったはずだけどどこに仕舞ったかな。


 急に決まったお泊りだけど、私にとっても大切な先輩だし、せめて粗相のないようにしないとね。







「じゃーん! 見てみて、あっちゃんとお揃いー♪」


「私が貸したんですから当たり前でしょう」


 三十分ほど経ってお風呂から上がってきた先輩は、肌の色も唇の血色もすっかり良くなって元気いっぱいに帰ってきた。うんうん、やっぱりこの人はこうじゃないと。


 私が貸したのは、もこもこした可愛い感じのルームウェア。……別に可愛さで選んで買ったわけじゃない。私はそういうキャラじゃない。単に温かそうだったから買っただけだ。


 まぁ、そんなおよそ私には似合わないような可愛いルームウェアも、先輩ならバッチリ着こなしちゃうんだけどね。先輩はもともと童顔な方だし、綺麗というよりは可愛いという言葉が嵌る顔立ちをしている。元の造形と服が一体になって見事に引き立て合っている様は、このまま宣伝用のポスターにしてもいいんじゃないかと思えるほどだ。うん、やっぱりこういう系のルームウェアはこういう系の人のためにあるんだな。よくわかったよ畜生。


 ちなみに先輩がお揃いと言っている通り、私も既に同系統のルームウェアに着替えている。お風呂はこの後だけど、やっぱり自宅に戻ったら少しでも早くリラックスできる服装に変えたいからね。


「えへへっ、あっちゃん可愛い! 妹にしたい!」


「喧嘩撃ってます?」


「なんでそうなるの!?」


 いや、だってそんな可愛いの権化みたいな人に可愛いって言われても全くリアリティがないんだから仕方ないじゃないか。私なんてつい今しがたこのルームウェアのあるべき姿を見てしまったんだからなおさらである。


 そんな内心を見透かして、というわけではないだろうけれど。


「あっちゃんは可愛いよ! 可愛すぎるからそれ着るの私の前以外では禁止ね!」


 そんなことを、私に抱き着きながら言ってくる。


「束縛系彼氏ですか」


「彼女だよ!」


「先輩です。……ほら、晩御飯の準備しますから離れてください」


「むー、つれないなー」


 唇を尖らせる先輩を引きはがして、私はキッチンへと向かう。


 ……可愛いなんてまっすぐ言われて、赤くなっているであろう顔に気づかれないことを願いながら。







「それであっちゃん先生、今日のメニューは何ですか?」


 エプロンをつけてから食材を並べていると、先輩はいつの間に取り出したのかお玉をマイクみたいにしてこちらに向けてきた。……なるほどそういう感じか、ホントおちゃめだなこの人。


「今日はお鍋を作っていきます」


「お鍋! いいですね! 今日みたいな日にはぴったりです! 皆さん、メモの準備をしてご覧ください! それでは先生、レシピをお願いします!」


「食材を適当に準備して適当に切って市販の鍋つゆで煮込んでください。以上」


「雑!?」


「家庭の鍋なんてそんなものです」


「元も子もない!?」


「遊んでないで作りますよ」


「はーい! 手伝うから何でも言ってね!」


 どうやら手伝ってくれるのは本当らしい。お客さんなのだからゆっくりしていて欲しいんだけど、袖をまくってやる気満々な様子を見るとそれを無下にするのも何だか申し訳なくなってくる。


「それじゃあお皿の用意と、テーブル拭いておいてもらえますか」


「がってん! ……あれ、これってもしかして体よくキッチンから追い払われた?」


「バレたか」


「あっちゃんー!?」


「冗談ですよ。実際鍋なのでそんなに準備することもないですし、先輩はゆっくりしててください」


「うーん、それもそっか。わかったよ、やけどとかしないように気を付けてね!」


「はいはい」


 数十分後、適当に切って市販の鍋つゆで煮込んだだけの鍋は普通に美味しくできた。さすがの先輩の不憫体質も、市販品には悪さできなかったらしい。


「何か失礼なこと考えてない?」


「いえ、何も。ほら、冷めないうちに食べましょう」


 こういう時はやけに鋭い先輩の追究を適当にかわしつつ先輩の取り皿に具材をよそってあげると、先輩は見るからに目を輝かせた。


「キムチチゲ好きなんですか?」


「うん! 辛いものにはビールだよね!」


「……微妙に質問に答えてない気がしますけど」


「ね、ね、ビールないの!?」


「ありますよ。ほら」


 いっしょに持ってきておいた缶ビールを先輩の前に置くと、いよいよ先輩のテンションが最高潮になる。


「さっすがあっちゃんわかってるー♪ えっへへ、あっちゃんと宅呑みだー!」


「市販品ばっかりですけどね」


「それがいいんじゃーん! ほらほら、あっちゃんも早く缶開けて!」


「はいはい」


 先輩に促されてプルタブを起こす。こういうことを言うのはちょっと微妙化も知れないけれど、このプルタブを起こすときの音、結構好きだったり。


「それじゃあ初めてのあっちゃんとの宅呑みに、かんぱーい!」


「……乾杯」


 きっかけはまさか過ぎたけれど、こうして楽しそうな先輩が見られたのだから、ちょっとだけ雪に感謝してもいいのかもしれない。


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隣の席の先輩は、雪の日も不憫可愛い。 ひっちゃん @hichan0714

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