スノウホワイトクリスマス

色葉みと

スノウホワイトクリスマス

 ——昔々、神様がいなかった頃、この世界は闇の妖精に包まれて真っ暗でした。

 ある時、光の妖精が生まれます。闇があるのならば光がある。世のことわりが生まれた瞬間でした。

 それから長い長い時間が経った時、ひとつの光の妖精が闇の妖精と仲良くなりました。その妖精たちが生み出したのが神様です。

 そんな奇跡が起こった日、12月25日はクリスマスと呼ばれ、後に生まれた人々から愛される日となりました——


 そんなおとぎ話は誰が教えてくれたのだろうか。




 12月26日、雪とともに彼は消えた。


 黒から澄んだ青色に変化していく空の下、暖色の街灯に照らされた赤レンガの建物が並ぶ街には人どころか生き物1匹いない。円形にレンガが敷き詰められた中央広場の真ん中にあるもみの木には、赤や金のオーナメントが飾られているままだ。吐く息は白く、コツコツと自分の足音だけが響いている。

 クリスマスではしゃぎ疲れた街は静かに眠っていた。


 時折びゅうと吹く風は俺から温度を奪い、どこかへ散っていく。いつもより首元が寒く、指先がかじかんでいるのは、彼にマフラーと手袋を貸したからだろう。


「……こんなことなら貸さない方がよかったか?」


 おかげで暖かいですよ、彼は笑いながらそう言うのだろうか。つい、来るはずのない返事を期待してしまった。


 彼と過ごしたのは一夜にも満たないわずかな時間だけ。今まで生きてきた25年のうち、たったのそれだけ。

 にもかかわらず、気になって仕様がない彼は何なんだ。くそ、と振り下ろした拳は見事に右腿へと直撃する。じんと来る痛みは数時間前の出来事を思い起こさせた。




 12月25日、世間はクリスマス一色に染まっていた。暖色が灯った建物から響くがやがやとした楽しそうな声を聞きながら、俺は中央広場へ向かって歩いている。


 日が落ちてから数時間経ったがまだ出歩いている馬鹿がいるかもしれない、そんな理由を付けてパーティーを抜け出してきた。何も言わずに手を振ってくれた同僚には今度美味いものでも奢らないとな。


 俺はどうにもこの騒がしい日が好きになれない。めでたい日、幸せな日だなんて騒ぐが、めでたい要素も幸せな要素もないのになぜそんなことをするのかと思ってしまう。神が誕生した奇跡の日なのは確かだが、必要以上に騒ぐ理由が分からない。


 騒いだところで幸せな次の日がやってくるわけではないのだから。幸せが続くと信じていたクリスマスの次の日に家族を失う、なんてこともあるのだから。


 こんなことを考えているのがよりにもよって神に使える者だなんて、笑えない冗談だ。


 ふと頬に冷たいものが触れた。空を見上げると真っ白な花びらがひらひらと舞い降りてきている。初雪がクリスマスだなんて皆がまた騒ぎそうなこと、これは積もりそうだ。さて、明日の朝のぶつけられるであろう雪玉はいったいいくつあるんだが。


 フードをかぶって着いたのは誰もいない中央広場。

 鼻から入る空気はつんと冷えていて数分前と特に変わらないはず。どうしてか喧騒からほんの少し遠ざかるこの空間は息がしやすい。

 吐いた白い息を追った先に見えたのは、空から落ちてくる全身真っ白な子どもの姿だった。


「は?」


 幻覚かと思い目をこするが、その事実は変わらない。気づけば子どもは周囲の建物を通り過ぎていた。

 この距離では風魔法も間に合わない。なら今俺にできることは——!


「間に、合え……!」


 倒れ込んでしまうほどの衝撃と共に受けたのは、肩で切りそろえた白い髪、優しげなグレーの瞳を持つ10代前半くらい小柄な少年だった。腕の中にいる少年はきょとんとしてこんなことを抜かす。


「あれ、痛くない……? あなたが受け止めてくれたんですか? そんなことしなくたって大丈夫だったのに」

「……ああ?」


 自分の額に青筋が立ったのを感じた。痛みを堪え、少年を抱えたままむくりと起き上がる。彼は何かあるのかとでも言いたげに首を傾げた。ひらひらと降る雪は彼の落ち着きを表すように何も変わらない。

 ああダメだと、久しぶりに込み上げてきた怒りの感情を抑えようとする。が、少年は俺の頬に冷たい手を当て、無理するのはよくないですよと言った。


「……ああそうだな、無理は良くないよな」


 俺は左頬に当てられている右手を掴む。瞬間、強い風が吹く。


「お前、自分に何が起こったのか分かっているのか!? 落ちてきたんだぞ!? それを受け止めなくて大丈夫だと!? もっと自分を大切にしろ!」

「え、あ、僕を受け止めてくれたあなたに僕が感謝も謝罪もしていないことではなく?」


 絶対に怒られることが分かってて怒らせるように仕向けただろ。はぁ、と怒りを逃すようにため息をつき、掴んでいた右手を離す。


「それよりも自分を大切にしろ。あと感謝と謝罪もついでにしとけ。たとえ思っていなくてもな、上手く生きるコツだ」

「なるほど。あの、助けてくれてありがとうございます。それと、下敷きにしてしまってすみません」

「良い子だ」


 俺はふっと笑って頭を撫でた。なかなか素直な子どもじゃないか。

 ……どうしてそんなに不思議そうな顔をしている? ほかの子どもにするように頭を撫でたが、何か嫌だったのか? それは悪いことをしてしまった。

 手を引っ込めようとするが、彼の手に阻まれる。


「……おい?」

「もう少し、このままでお願いします」


 どうやら嫌だったわけではないらしい。心なしか口角を上げて嬉しそうな表情をしている。雪化粧をつけ、きらきらと輝くクリスマスツリーの前に座り込んで、しばらくの間彼の頭を撫でることにした。



 というか、お前は何なんだ? 空から降ってきて、髪、瞳、肌、服、靴、身にまとうもの全てが白っぽい。この辺の者ではない顔立ちだし、……何なんだよ、本当に。


「僕はスノウです」

「え? ……ああ、お前の名前か。俺はレオ・ホワイトだ。近くの教会で子どもたちに色々と教えていて、皆からは先生と呼ばれている」


 唐突に自己紹介をした少年——スノウはやけに嬉しそうに、僕も先生と呼んで良いですかと聞いてきた。特に断る理由もないから好きにしろと答えたが。

 宙を舞う白い雪のように、今にも踊りだしそう。どうしてそんなにも嬉しそうなんだ?


「僕が嬉しそうな理由ですか? それは、僕に話しかけて名前を教えてくれた人が久しぶりだからですよ」


 いつの間にか口に出していたらしい。話しかけられたことが久しぶりってどういう環境にいたんだ。



 話せば話すほど、スノウはなかなかな環境にいたことが分かった。話す相手も暖かい食事も心地よい寝床だってないという彼が、どうしてこんなにも素直で明るく振る舞えているのか。疑問で疑問で仕方がない。


「先生は優しいんですね」

「そうか? 俺はかなり怖いほうだと思うが?」

「そこも含めて、ですよ」


 子どもスノウがそういうのならそうなのかもしれない、そう納得した時、小さなくしゃみの音が聞こえた。

 しまった、俺としたことが。寒い中、それも背の高いクリスマスツリーの目の前で話し込んでしまうとは。スノウは見たところ薄着だし、寒いのも無理ないはずなのに。


「すまない。とりあえずそこのベンチに座ろう」


 スノウを抱き上げると慌てたようなそぶりを見せるが、その寒い格好で歩かせるわけがない、俺のそばの方があたたかいはずだと言いくるめた。


 ツリーのすぐそばにある黒い金属でできた骨組みに木の板が嵌め込まれているベンチへと移動し、さっと雪を払う。そこにスノウを座らせ、俺は自分のマフラーを取った。


「先生? 寒いですよ、どうしてマフラー取ってるんですか?」

「お前こそ寒そうだが?」


 そう言ってスノウの首に黒いマフラーを巻く。最初こそ固まっていた彼だったが、その暖かさに気づくともふもふとマフラーに頬擦りをした。

 手も冷えていたよな。続いて手袋を取り、俺より一回り小さいスノウの手につける。


「悪いな、俺が使っていたマフラーと手袋で。大きさも合わないだろうが我慢してくれ」

「……あの。ありがとうございます、先生」

「ああ、どういたしまして」


 しかし、色素が薄くて白い服を着ているスノウに、黒いマフラーと黒い手袋は不自然な感じがするな。やはり彼には白が似合うのだろう。

 スノウはふと何かを思い出したように話し出した。


「先生、今日クリスマスですけどこんなところにいて僕と話してて大丈夫なんですか? ほら、クリスマスって家族とか友達とかと過ごすって言いますし。……もしかして先生——」

「言うな。血は繋がっていないが家族はいるし友達もいる」

「じゃあどうしてここにいるんですか?」


 核心をつくようなことを聞いてくるじゃないか。何と答えるべきか。心底不思議そうに聞いてきたスノウに嘘をつくのはしのびないが、本当のことはさすがに言えない。


「大丈夫ですよ。たとえ先生が、恋人に振られて一人になりたいからだと言ったとしても、僕は心の中に留めておくだけですから」


 でもそしたら僕はここにいない方がいいですかね、あくまで明るくそう付け加えたスノウは寂しそうに目を逸らす。雪が心なしか強くなった気がした。


「残念ながら恋人はもともといない。俺がここにいるのはな、……クリスマスが好きになれないからだ」


 どういうことかと首を傾げたスノウには本当のことを言っても大丈夫、そんな気がした。基本的に直感というものは信じないんだが、たまには良いかもしれない。

 ぽつぽつと呟くような俺の話を彼は真っ直ぐとこちらを見て聞いていた。



「——クリスマス、僕は好きですよ」


 俺が話し終わった頃、スノウは脈絡もなくそう言った。なぜだと聞くと、彼は笑顔になる。


「だって今日は先生と会えたんですから。先生と会えたクリスマス、僕は好きです」


 俺と会えたから俺と会えた日であるクリスマスが好き。確かにスノウはそう言った。……言ったよな?


 目の前で手を振っている彼に意識を戻したのは30秒ほど経ってから。おかえりなさいと笑うスノウを見て、いつの間にか入っていた肩の力が抜けた感覚がした。


「可愛いことを言うじゃないか、スノウ」


 わしゃわしゃと頭を撫でると彼は真剣な顔に戻り、事実ですから、と言う。確かになと真顔で返し、二人で笑い合った。




『——いい、レオ。クリスマスには奇跡が起こる。神様が生まれるくらいのとびっきりの奇跡がね』

『もしかしてようせいさんにもあえるの?』

『うーん、奇跡が起こったその時には妖精さんにも会えるかもしれないね。ほらレオ、もうおやすみの時間だよ』

『うん! おやすみ、母さん——』


 何か、とても懐かしい夢を見ていた気がする。俺はかちこちと時を刻む音が響く部屋で目覚めた。外出用のコートを着たままベッドに寝ていたようだ。

 慌てて起き上がり辺りを見回すと、見慣れた黒と白を基調とした家具がある。自分の家の自分の部屋で間違いない。規則正しく動く時計の短針は5を指しており、黒いカーテンの外は薄暗い。ひらひらと舞っていた雪は跡形も残っていなかった。


「あれは、スノウは現実だったのか……?」


 外に出ようと玄関に行き、マフラーと手袋を探すが見つからない。定位置であるポールハンガーにも、コートのポケットの中にも、どこを探してもなかった。誰かに貸した覚えもなければ、無くした覚えもない。


 こうなったら、スノウに貸したのは現実だったとするしかないだろう。ならばスノウはどこに?


 あのクリスマスの話をしたのまでは覚えているが、その後は……。記憶にもやがかかっているなんて、本当にあるんだな。


 雪の消えた中央広場に行けばスノウがいるなんてことはなく、朝は来て、次の日は来て、次の年は来て。

 あのクリスマスの夜に置いてきたマフラーと手袋が戻ってくることもなく、スノウにまた会うこともなく、日常は過ぎていき。


 またクリスマスがやってきた。


 星が雲に隠された暗い夜、街灯を頼りして歩く。昨年と同じ理由をつけてパーティーを抜け出してきたのは中央広場。赤や金のオーナメントがついたもみの木があり、円形のレンガが敷き詰められている。黒い金属と木で作られたベンチも変わらない。


 変わったことといえば俺の心持ちくらいだろうか。

 スノウと会って話をしてから、俺は、皆がめでたい日、幸せな日だと騒ぐクリスマスのことが少しだけ好きになった。彼が言った通りだと思ったから。


 ひらひらと舞い落ちてきたのは冷たい花びら。彼と会ったクリスマスも雪が降っていた。雪が降る頃に現れて、雪と同時に消えていったスノウも実は雪だったりして。


「実際、雪ですからね」


 冗談のつもりで考えたことに、声に出したはずのないことに、誰かから返事が来た。いや誰か、というよりその声は——。


「スノウ?」


 振り返ると、肩で切りそろえた白い髪と優しげなグレーの瞳の色素の薄い少年が微笑んでいた。その手には黒いマフラーと手袋がある。


『クリスマスには奇跡が起こる』


 そうか、そうだな、奇跡が起こったよ。また会えたよ。


『神様が生まれるくらいのとびっきりの奇跡がね』


 とびっきりの奇跡だ。不思議な雪の妖精にまた会えた。

 スノウと俺は喜びを最大限にあの時みたいに笑い合って言う。


「また、会えたな。スノウ」

「お久しぶりです、先生!」


 二人の再会を祝福するかのように、街灯を反射した雪がきらきらと踊っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スノウホワイトクリスマス 色葉みと @mitohano

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ