喫茶店『霧時計』物語
高橋健一郎
第1話
☕ 喫茶霧時計 – プロローグ
霧が街を包んでいた。
通りの向こうは薄ぼんやりとしか見えない。
濡れた石畳を踏む音が、かすかに響く。
古びた木製のドアを押すと、小さなベルが鳴り、乾いた音が店内に広がった。
「いらっしゃい。」
低く静かな声がカウンターの奥から届く。
声の主は淡々とした表情でカップを磨いている——庄崎だ。
未来は、その光景を目にするだけでほっとした。
この店を訪れるのは、まだ数えるほどしかない。
それでも、まるで昔から知っているような気がしていた。
「静かですね。」
カウンターに腰を下ろしながら声をかけると、
庄崎は手を止めずに、ゆっくりと頷く。
「ここはいつも静かだよ。」
未来は窓際に視線を移した。
曇ったガラスに映る自分の輪郭が、外の景色と重なって揺らいでいる。
霧がすべてを覆い隠してしまうこの街は、
どこか心の奥に眠る感情を引き出してくれる場所のような気がした。
「壁は乗り越えなくていい。ただ、穴を開けるだけでいい。」
ふとした瞬間、その言葉を思い出す。
「庄崎さん。」
未来はぼんやりとした視線をカウンターの奥へ向ける。
「前に言ってましたよね?壁に穴を開けるって。」
庄崎は磨いていたカップをゆっくりと置いた。
目を細め、未来を一瞥してから、静かに口を開く。
「覚えてたのか。」
「気になってました。」
庄崎はカウンターの奥を指さした。
「店の裏手に、古い壁があるんだ。」
未来は少し驚きながら、その先を眺める。
「そこに、小さな穴が開いてる。」
「穴?」
「雨の日に差し込む光が見える。
ずっと昔、俺が開けたんだ。」
未来は静かに息をついた。
言葉ではわからないが、その穴から見えるものが、少しだけ見てみたいと思った。
カウンターの上で湯気が立ち上る。
それを眺めながら、未来は小さなスプーンでコーヒーをかき混ぜた。
曇り空の下、ここに来る理由が少しだけわかったような気がした。
☕ プロローグ 完
喫茶店『霧時計』物語 高橋健一郎 @kenichiroh
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