子スズメ
Ramaneyya Asu
Baby sparrow
私が通っていた高校は当時まだ女子校だった。いつも家が近い真美と一緒に下校していた。
「さようナーランダー」
そのころ真美はいつもそう言って私と別れることにしていた。インド文化にかぶれていた真美は、こういうわかりにくいギャグを言うことが、ユーモアと教養ある人間の務めと思っているらしかった。
「さようナーランダー」
私は真美の信念を尊重することにしていた。
家の近くの電柱の下に、スズメの雛がいた。ピーピー泣いて震えていた。電柱を見上げたが、巣らしきものは見当たらない。どこか離れたところから落ちて、ここまで来たのかもしれない。私はスズメの雛を両手でそっとつかまえて、家に連れて帰った。
「ただいま。この子が落ちてたの」
母に雛を見せた。
「なんてかわいいの。スズメの雛って、なに食べるの?」
「虫とか?」
「うちに虫なんかいないわよ。食パンは? 牛乳に浸して」
「やってみよう」
私は食パンをちぎって牛乳に浸し、雛の口に近づけた。食べた。
「やった、食べた食べた」
私は歓喜した。
陰部らしきあたりを観察してみたが、オスかメスかわからなかった。とにかくスーちゃんと呼ぶことにした。スーちゃんは初め元気がなかったが、数日すると走り回るようになった。いつも私にまとわりついていた。私はスーちゃんを溺愛した。
真美がスーちゃんを見たがり、家に遊びに来た。
「ぎゃー、かわいい」
真美はスーちゃんを撫でまわしてかわいがった。スーちゃんははじめ嫌がったが、すぐに真美になついた。
「スズメといえば、仏教のお話があったな。あれ、ウズラだったかな?」
「どんな話?」
「まあスズメにしておくね。ブッダが昔、象だったときの話を弟子たちに聞かせたの。ちょっと信じられないかもしれないけど、とにかくブッダは昔、象だったの。ブッダは8万頭の象の群れの60歳の長老で王だったの。スズメの親子たちのところに、象の群れがやってきたの。子スズメたちはまだ飛べないから、母スズメはブッダに頼んだの。子供を踏み殺さないでください、って」
「それから、それから」
「当然ブッダは請け負ったわ。八万頭の象が通り過ぎる間、身をていして子スズメたちを守ったの。でもブッダはこう言ったの。私のあとから悪いはぐれ象が来る。彼は我々の命令に従わない。だから彼が来たら、あなたは彼に子スズメたちを踏まないように頼みなさい、って」
「それから、それから」
「はぐれ象が来たので、母スズメは子スズメたちを踏まないように頼んだの。そしたらはぐれ象は、思い切ったことを言ったの」
「なんて言ったの?」
「スズメなんていうのはなんの役にも立たないちっぽけな存在であって、私はといえば左足ひとつでお前たちなど簡単に踏みつぶせるのだから、そうしよう、って」
「なんてこと」
「それではぐれ象は子スズメたちを踏み殺して、パオーンと叫びながら去ったの。母スズメは飛べたから助かって、誓願を立てたの。あのはぐれ象に肉体の強さより心の強さのほうが勝ることを教えてやろう、って」
「あれ、そういう話?」
「そうかもね。それであとはまあ猿蟹合戦よ。母スズメはカラスと青いハエとカエルの協力を得て、はぐれ象をやっつけるの。ブッダは弟子たちに言いました。強いからといって弱い者たちを踏みにじれば、痛い目に会うのです。はぐれ象は昔のデーヴァダッタだったのです。おしまい」
「なんか、報復を肯定してない?」
「そこはみんなで議論すべきところよ」
スーちゃんは無邪気に走り回っていた。
「奈津子、スーちゃんの鳥かごを買わないとね」
と母が言った。
「いらないんじゃない?」
スーちゃんが飛べるようになって、去りたくなったら去ればいいんだから。
「それもそうね」
私はお風呂からあがって、髪をタオルで拭きながら部屋に入った。私の左足からスーちゃんの絶叫が聞こえた。私はスーちゃんを踏んづけた。私はとっさに飛びのいたが、遅かった。スーちゃんはすぐに動かなくなった。
庭に穴を掘って、スーちゃんを千代紙に包んで、タンポポの花と一緒に埋めた。小石を上に置いた。
あれから何十年も経った。
子スズメ Ramaneyya Asu @Ramaneyya_Asu
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