苦手な言葉でまた流される

 目の前には、俺がこぶしを包むように握り締めて痛がっている大学生がわめいている。壁には色々なメニューが貼ってある、串焼きメインの居酒屋。後ろには颯綺さつき、ちょっと離れた席には枩芭まつばが座っていた。


「だから、痛い、放せ!」

「何も話す気はない」

「そっちの『話す』じゃねえよ、放せって言っているんだ」


 もう少し、もう少しで落ち着くはず。痛みは人間の感覚の中で、最上位だ。


「おとなしく帰るなら放す。どうだ?」


 もう片方の手は、他の学生が押さえている。早くあきらめろ、早く。そのまま、数分が経過した。


「わ、わかった。兄貴が負けた理由がわかった気がする……すみません」

「気にしなくていい。でも酒には飲まれるな」

「わかりました。おい、帰るぞ」


 颯綺さつき枩芭まつばを残して、十人ほどいたメンバーは支払いを済ませて帰っていった。


 そして、店員がやってきた。


「先ほどのお客様からのおごりです。お飲み物は何にされますか?」


 いきなことをしてくれるな。


「え、そうか、じゃあ、生中で」

「わかりました。あと、小鉢と串が二本あります。お嬢さん方にも、ドリンク一杯ずつ、おごりとのことです」

「やった、じゃあ、私、ジンジャーエール」

颯綺さつきはどうする?」


 いつの間にか颯綺さつきは俺の腕にしがみついていた。


「あたし、温かいお茶がいいかな」

「はい、わかりました」


 一番最初に届いたのは生中だ。


二海ふたみさん、飲むのはちょっと待って」


 生中に口を付けようとすると、枩芭まつばが話し始めた。


颯綺さつきはさ、稀血まれけつだから、鬼からちゃんと守ってよ」

「『まれけつ』?」

「知らないの? うける」


 何のことかはよくわからないが、後で検索してみよう。


「鬼と何の関係があるんだ?」

「先輩たち、レドニって言うバンド名で活動しているの。レッドに鬼、赤鬼ってこと」

「なるほど」


「ということは二海ふたみさんは、天狗」

「天狗?」

「そう、この地方の伝承」

枩芭まつばはそういうの、詳しいんだな」

「まっ、ね」


 ちょうど、ジンジャーエールと、お茶がテーブルに置かれた。


「じゃ、乾杯しようか」


 なるほど、枩芭まつばはこういうところ、気が利くんだな。


「「かんぱーい!」」


 うぅ、五臓ごぞう六腑ろっぷにしみわたるとは正にこのこと。さらにちょっとしたトラブル、静かなる和解、今日のビールは格別にうまい。


二海ふたみさん、お母さんは台湾出身って言ってたけど、台湾の言葉、話せるの?」

「ちょっとは。そうだな、例えば『乾杯』ってのは、『杯を乾かす』って書くだろ。その意味の通り、一気飲みすることなんだ」

「へえ。どんな発音?」

「カンペイだよ」


 枩芭まつばは目を輝かせている。


「じゃあ、日本みたいに普通に飲むのは?」

「ズゥエイィって言う」

「勉強になる」


 小鉢と串も届いたので、二人に勧めてみたが、もうお腹いっぱいとのことで、ひとりで食べることに。今日の小鉢はホルモン煮だ。やや薄味で、これがなかなかいける。


「前から気になっているんだけど、どうして二海ふたみさんは颯綺さつきとそんなに仲がいいの?」

颯綺さつきが入学する前に会ったのは二回、いや、三回か。それだけなんだが、どういう訳か覚えていて。まあ、気が合うことは間違いないか」

「そう、ふーん、付き合ったりしないの?」

「俺にも色々あってさ」

「どんなこと?」


 嘘はつきたくないが、隠しごとはいいだろう。


「あんなことやそんなこと」

「あ、ごまかした」

「もしかして、前に見せてもらった超美人な人は友だちで、彼女いない歴イコール今の年齢?」

「いや、本当に付き合っていた。それに、その前、大学に入ってすぐに彼女ができてさ。最初に付き合った子は、今も同じ研究室。枩芭まつばは?」


 そうそう、こいつに何か質問するときは、まずはこちらの情報を渡してからだ。急に視線をグラスに移した。


「彼氏いない歴イコール今の年齢……です」


 あ、口調が変わった。


枩芭まつばも可愛いのに」


 俺の腕にしがみついている颯綺さつきが、さらに強くしがみついた。どうやら、うまいこと意図が伝わったらしい。これで少し、元気になってくれるか。


「可愛いからって、彼氏がすぐできるってもんじゃないから」

「あ、『可愛い』は否定しないんだ」

「もちろん」


 枩芭まつばは顔を上げ、満面の笑みを見せた。


二海ふたみさん、さっき、『も』って言いましたよね。あたしも可愛いですか?」

「ああ、可愛い、とても」

「ありがとうございます」


 颯綺さつきはうつむいた。耳まで赤くしているから、きっと顔も赤くして照れているんだろう。


「さあ、終バスの時間があるから、そろそろお開きに」

「そうね」

「ごちそうさまでした」

「ありがとうございました。またお越しください」


 ここの階段は結構、角度がきつい。俺は、颯綺さつきの脇に手を回し、支えるようにゆっくりと階段を降りた。


二海ふたみさん、ずるいよ」


 後ろから枩芭まつばの声が聞こえた。


「俺、時々、そういう言われ方をするんだが、どうしてだ?」

「わかってないな、もう」


 バス停で時刻を確認すると、颯綺さつきの方が先、枩芭まつばが後。颯綺さつきがバスに乗りこみ発車するのを見送ると、ベンチに枩芭まつばと一緒に座った。


「さっきの話」

「どの話?」

「『ずるい』ってやつ」

「ああ、それ、俺、知りたかったやつ」

二海ふたみさんは、優しいんだよ」

「そうか?」

「そう」


 それと「ずるい」に、何の関係があるんだろう?


「もうひとつ」

「まだ何かあったか?」

「彼氏がいたことはないけど、彼女がいたことはある」

「そ、そう、か」


 俺にはよく理解できない世界だが……。まあ、俺の偏見かもしれないが、BLよりGLの方が綺麗な気はする。 


「あ、そろそろ、バスが出発する。行くね。二海ふたみさんは時間、大丈夫?」

「電車はもっと遅くまであるから。じゃあ、気をつけて」

「うん」


 枩芭まつばと一緒にバスの昇降口まで歩いた。バスに乗ると、枩芭まつばは振り向いた。車内のポールを強く握りしめている。顔も少し赤い。酒でも飲んだんだろうか?


 いや、未成年だし。


二海ふたみさん」

「なに?」


「私も二海ふたみさんのこと、好きになるかも」

「え?」


 バスのドアが閉まった。まるでアニメの告白シーンだ。こんなことってあるのか?


 車内から小さく手を振る枩芭まつば。彼女がいたってことは、同性が好きってことなんだろう。でも、「好きになるかも」って言われた。


 それにしても、まだ、腹筋がズキズキと痛む。あいつ、結構、強かったな。今度、枩芭まつばに、あいつが酔っぱらっているところを動画で撮って、シラフの時に見せるように言っておこう。



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 そんな微妙な距離感で、週に一回程度は学食で一緒に飯を食うようになった。


 まあ、俺にとってはもうちょっと距離を置きたい感はあるが、五歳も年下の美少女二人と一緒に食べる昼飯も悪くない。


 ジェネレーションギャップだらけの会話も楽しい。


 それにしても颯綺さつきはよく食べる。俺用に作っている弁当を全部食べてしまう。


 菜可乃なかの春日かすがも結構な量、食べていたが、がっつり食べる女性にはあこがれてしまう。


二海ふたみさん、お話があります」


 俺たちは、昼食後、大学構内にあるベンチに座っていた。枩芭まつばも一緒にやってきた。颯綺さつきは相変わらず、少し足を引きずるようにトテっトテっと歩いている。いつか良くなるんだろうか?


「どうした?」


 枩芭まつばは俺の左側、颯綺さつきは右側に座った。


颯綺さつき、私から話す。私、二海ふたみさんに惚れた。好き、付き合って欲しい」

「え、ええ?」


 ちょっと、どういう展開だよ。


二海ふたみさん」


 今度は颯綺さつきだ。


「薄々気づいているかとは思いますが、あたしも二海ふたみさんのことが好きです。もちろん、あたしも付き合って欲しいです」


 颯綺さつきの方は、確かにそうは思っていたが、改めて言われるとちょっと恥ずかしい。今の俺は、颯綺さつきを見ているが、焦点が合っている気がしない。


枩芭まつばはあたしの大切な親友です。だから協定を結ぶことにしました」


 颯綺さつきの顔がぐぐっと近づいた。相変わらず胸元を強調している服装が気になる。


「協定?」

「はい。二人とも、二海ふたみさんと同じ親密度を持つということです。その……」


 颯綺さつきはうつむき、膝の上でこぶしを作り、少し震えている。


「続きは私が話す。つまり、颯綺さつき二海ふたみさんと手を繋いだら、その後、私も二海ふたみさんと手をつなぐ。もし私が二海ふたみさんにハグされたら、その後、颯綺さつきもハグされる」


 何という協定……。


「それは、俺に都合が良すぎないか? それに俺は今のところ、彼女を作る気はないんだ」

「それでもいい。私たちのことを嫌いじゃなければ」


 この手の言葉に俺は弱い。「嫌いじゃなければ」とか「少しでも好きなら」とか。


 また流される。


「じゃあ、嫌いじゃなければ、一緒に遊びに行ったりしてもいいってことですよね?」


 颯綺さつきの切り返しがうますぎる。一本、取られた気分だ。


「わかった、こうしよう。まず二人は俺にとって、親しい女友だち。喧嘩しようが何しようが、最後は仲直りをする」

「うん、あたしはそれでいいよ」

「私も。ね、今度、どっか、お泊りで旅行に行こうよ」


 後ろで何かが動いた。たまたま風下だからわかったが、この匂いは菜可乃なかのだ。同棲していた時に使っていたシャンプーの香り。


 俺は振り返らずに、菜可乃なかのに声をかけた。


菜可乃なかの、立ち聞きは趣味悪いぞ」

「ごめんごめん。じゃあ、私も入れてもらっていいかな」


 菜可乃なかのが近づいてきて、俺の顔をのぞき込んだ。前髪が揺れ、綺麗な瞳が見える。研究室が同じだからいつも見ているが、何度見ても吸い込まれそうになる。


「そういえば、二海ふたみさん、この人とよく一緒にいますよね?」

「元カノ。今は同じ研究室」

「ああ、この間、言っていた人」

立華たちばな菜可乃なかのです。よろしくね」

二海ふたみさん、こんな素敵な方とも付き合っていたんですか? 美人だしモデル体形じゃないですか」


 ベンチの前に菜可乃なかのが来るなり、颯綺さつきが声を上げた。


「あの、二海ふたみさん、別れちゃったのに、どうして今も一緒にいるんですか?」

「こじれて別れたわけじゃないから」

「そうそう、同棲していたのよ。二海ふたみったらさ、いつでも泊まりに来ていいって言っているのに、ちっとも来てくれないの」


 颯綺さつきを見ると完全に固まっていた。枩芭まつばは余裕がある感じ。その視線に気が付いたのか、枩芭まつばは俺に耳に口元を寄せた。


「実は私、処女じゃないから」


 今度は、俺が固まった。GLの世界で処女じゃないって。


二海ふたみさん、可愛いね。何、考えていたのかな?」

「い、いや、誰でも戸惑うことはある」

「信じたの?」

「もちろんだ」

「冗談かもよ」

「いや、信じてる。友だちだからな」


 枩芭まつばは急に顔を赤らめ、もじもじし始めた。


「ありがと」

「ああ」



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 翌日、大学に行くと、掲示板の前で人だかりができている。颯綺さつき枩芭まつばがこっちに歩いてきた。菜可乃なかのも一緒だ。


二海ふたみは見ない方がいいと思うよ」

「なんだよ、隠さなくていい」


 颯綺さつきが握っていた紙を広げた。A4サイズでカラー印刷……。


――モテ男養成コース募集中


 そこには、目元は黒塗りしてあるが、以前、ファミレスで隠し撮りされた菜可乃なかのとの写真、春日と一緒にいる写真、颯綺さつき枩芭まつばに腕を掴まれてベンチに座っている写真、そして……。


 急に足元の感覚がなくなり、悪寒が背中を走る。


 恐らく、この男みたいにモテるというやつだろう。ご丁寧にQRコードまで印刷されている。のどの奥が熱い。


「悪い、俺、トイレに行ってくる」


 掲示板の前にいた連中は俺を見ている。俺に気が付いたのか……胃袋から食道にかけてどんどん熱くなってくる。


 間に合った。トイレの個室に入ると、朝飯が勢いよく出てきた。それから、何度も何度も……胃液まで出てきたのか、のどがヒリヒリする。誰だ? あんな貼り紙をした奴は。


 それからというものの、毎日、掲示板に同じ紙が貼られていた。一応、颯綺さつき枩芭まつばとは、大学内では一緒にいないようにしている。

 今更ではあるが、二人とも可愛いから目立つ。変に正義漢ぶって俺のとばっちりを食ったりしたら、申し訳ない。


「スケコマシ」

「女ったらし」

「うらやまし」

「女子の敵ね」


 全員が全員ではないが、時折、そんな声が聞こえてくる。


二海ふたみ、大丈夫?」

「まあ。胃潰瘍かも」

「事務に連絡したらどうかな」

「そうするよ」


 研究室で片付けをしていたら、菜可乃なかのが声をかけてくれた。


「よかったら、今日、うち、寄ってく? かなり参っているんでしょ」

「いや、いい。さらにひどい噂が立ちそうだから」

「そっか」


 なんだろう、菜可乃なかのにしては元気がない。


菜可乃なかの、どうした?」

「なんでもないよ、暑くなったから、ちょっとバテているのかも」

「食事には気をつけろよ」

「うん」

「冷凍チャーハンには、ミックスベジタブル追加で」

「わかった、ありがと」


 翌日、大学の事務で相談すると、既に毎朝、剥がしてくれているとのこと。

 また、掲示板の前には監視カメラは無いが、付近の監視カメラから、どうやら男性っぽいということを教えてくれた。


 印刷された画像を見せてもらったが、帽子をかぶり、マスクをしているので顔はわからない。薄手のコートを着ているため、骨格もよくわからない。


――ポコポコ、ポコポコ


 颯綺さつきから電話だ。


菜可乃なかの、悪い、颯綺さつきから」

「どうぞ」

「え? ああ、そうか、いいよ」


 夏休み、どこかに泊まりで遊びに行かないか? というお誘いだった。枩芭まつばも一緒ということで、快諾した。

 ま、旅行なら人目を気にすることも無いし、三人なら、まさかの展開もないだろう。


 気分転換にちょうどいい。




   ----------------




あとがき

数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


人の匂いって、体臭もありますが、使っているシャンプーや洗濯に使う洗剤によっても左右されます。また、女性であれば、ファウンデーションなどの化粧品によるものもあります。


案外、匂いで覚えていたりすることもありますので、ちょっとしたポイントとして抑えておくと良いかと。ワタクシはヘアオイルの都合上、レモンの香りです。



おもしろいなって思っていただけたら、★で応援してくださると、転がって喜びます。

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それではまた!

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貧乏大学生の恋事情は⑤女子高生と純愛の結果 綿串天兵 @wtksis

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