貧乏大学生の恋事情は⑤女子高生と純愛の結果

綿串天兵

思わず見てしまう胸の谷間

 俺は自転車で大学の正門を抜けた。春の日差しが気持ちいいが、少々排ガスの匂いがする。恐らく、路線バスの匂いだろう。


 自転車置き場に向かい、いつものように自転車を押し込んだ。不思議なもので、いつも同じ場所が空いている。

 同じ場所をもう五年、いや、正確には四年半使っているが、なんとなくみんな、自分の場所を決めているのかも。


 通学は、祖母ばあちゃんちから電車、そして自転車で大学まで通っているが、トータル四十分から五十分ってところ。

 友人の中には、一時間半かけて通学している学生もいる。それに比べれば楽なもんだ。


 無事、大学院の二回生に上がり、就職も決まっている。後はかっちり研究をこなして卒業したら社会人、この街から離れるが、実家はもうちょっと近くになる。


 春の風が目の前の女子大学生の長い髪を揺らした。隣にも友だちらしき女子大学生がいて、話しながらゆっくりトテっトテっと歩いている。


 ん? なんか、この歩き方と後ろ姿、見覚えがある。ちょっと歩く速度を上げて、わざと追い越してみた。彼女の歩く速度は遅いから容易たやすい。


二海ふたみさん?」


 聞き覚えのある声、ちょっと胸の大きな女子大学生、一回生。まだ顔があどけない。一昨年おととしの大学祭以来だから一年半ぶりだ。


「久しぶりだね、颯綺さつき。合格したんだ、おめでとう」

「ありがとうございます!」


 颯綺さつきは元々理系を狙っていて、自宅から通えるこの大学を受験することは知っていた。


「ねえ、髪の長いこの人は誰?」


 そういえば、俺は四回生になる直前にヘアードネーションをしたので、今の髪は肩甲骨にかぶさるぐらい。


清水きよみず二海ふたみさん。以前、うちの文化祭に来てくれたことがあって、その時、知り合ったんだ。かっこいいでしょ?」

「そうかな」


 髪の内側を赤色に染めたちょっとロックっぽい感じの、ショートヘアの女子大生が右耳に髪をかけながら俺を見上げた。


 そうそう、俺、背は高いが、別にルックスは普通だから。服もいつも同じだし。颯綺さつきにフィルターがかかっているだけだ。


「そんなことあるよ。元カノさんだって超美人なんだから」


 颯綺さつきはスマホを取り出し、ケースを外して裏返した。え? あの時の中学生って颯綺さつきだったんだ。春日かすが、元気かな、ひどいことをしてしまった記憶がよみがえる。


「どれどれ? え? めっちゃ美人じゃん!」


 スマホの裏側には俺、春日かすが、そして颯綺さつきの写ったシールが貼られていた。


颯綺さつき、あの、その節はお世話になりました」

二海ふたみさん、口調、変わってます」

「うける」


 颯綺さつきはスマホを元に戻すと、俺の顔を見上げた。


「この子は、枩芭まつば

野頼のより枩芭まつばです。よろしくです」

枩芭まつばとは高校の時にバンドを組んで、一緒に理工科大学に入学したんです。今は、軽音部。二海ふたみさん、いなくてがっかり」


「まあ、院生になると部活にはあまり顔出さないし、そもそも、軽音部は時々、手伝っていたぐらいだから」


 あれ? 確か颯綺さつきは陸上部のマネージャーだったような。大学祭の時に話していた気がする。


颯綺さつき、楽器弾けるのか?」

「あたし、ピアノを習っていたから、今はキーボード。もう、キーボードってピアノと違って鍵盤の数が少ないから、ちょっと不便です」

「確かに。野頼のよりさんは?」

枩芭まつばでいいです」


 ここは呼び捨てで呼ぶべきか、それとも、「ちゃん」とか「さん」を付けるべきか……。


「呼び捨てで呼んでください。颯綺さつきのこと、呼び捨てですから」

「ああ、じゃあ、枩芭まつばは何をやっているの?」

「そういうのは二海ふたみさんが先に言うべきだと思います」


 う、なんかビシっと言われた。


「俺はサックス」

「そうですか。私はベースとボーカルです」


 枩芭まつばは背が低い。百五十センチぐらいだろうか、いや、もっと低い……ベースってネックが長いけど、手が届くのか?


「言いたいことはわかります。エイチバニーズのベースで、ネックの長さが短いものを使っています」


 スマホを取り出すと、写真を俺に見せた。


「これ、めっちゃ高いやつ」

「はい、たまたまフリマサイトで見つけて購入しました」

「なるほど、それは幸運だ」

「はい」


 それにしても、気になる。


颯綺さつき

「なんですか?」

「その、シャツ、胸元、もうちょっと胸元が目立たない服の方がいいと思う」

「ええ~、あたしのチャームポイントなんです。もしかして、二海ふたみさん、心配してくれているんですか?」

「してる」

「そんな、うれしいです、もう」


 颯綺さつきは俺の腕にしがみついた。


「こら、大学では止めろよ」

「じゃあ、大学の外ならいいんですか?」

「いや、それも、あまり、その、なんだ、な?」


 今はそういう気分になれない。颯綺さつきには申し訳ないがあまり気分は良くない。こういうことにはあまり触れたくないというのが本音だ。


「でも、せっかくだから、講義が始まるまで、少し話しませんか?」


 しかし、あまり粗末な扱いをすると、他の男子学生から狙われそうだ。


「いや、俺、実験の準備があるから。そうだな、昼休み、学食で一緒に飯でも食うか」

「はい。じゃあ、お昼、学食の入り口で待っています」

「ああ、そうしよう」



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 昼休みの時間を見計らって学食の入り口に向かった……が、ちょうど目の前を颯綺さつき枩芭まつばがゆっくり歩いていた。


颯綺さつき


 颯綺さつきは長い髪を揺らしながら振り返った。


二海ふたみさん、早く会えてよかったです」

「そういえば、前から気になっていたんだが、颯綺さつき、足、どうしたんだ?」


 俺は、前々から疑問に思っていたことを訊いてみた。


「うーん、中学二年生の時、車にはねられちゃって。出血がひどくて大変だったんだって。あたしは何も覚えていないんですけど」


 俺には気になることがある。


「それって、いつのこと?」

「いつって、中学二年生」

「何月何日とか」

「七月十五日です」

「そうか、大変だったな」


 颯綺さつきはニコっと笑った。


「自分では全然、覚えてないから、痛くもなかったですし。それより、どうして病院にいるのって感じでした。でも、麻酔が切れた後は、もう痛くて痛くて」


「それは大変だったな。歩くのは大変だろう?」

「それほどでも。痛みは無くて、左足だけちょっと動きが鈍いというか、そんな感じです」


 それから学食に入り、三人でひとつのテーブルに着いた。颯綺さつきはスパゲッティ、枩芭まつばはラーメンを持ってきた。そして、俺はいつものように弁当を広げた。


「うける」


 枩芭まつばがつぶやいた。おい、しっかり聞こえているぞ。


「いつもは外で食べているんだが、まあ、今日は」

「でも、おかず、めっちゃ充実しているじゃん。いいお母さんがいるんだ」

「いや、これ、自分で作っているから」


 なんか、もう、ため口になっているし。


「うける!」


 枩芭まつばはケタケタと笑い始めた。そして視線をテーブルに落とすと、目の前にはスパゲッティが置かれていた。俺の弁当は?


二海ふたみさん、交換しました。あたしが頂きます」

「あ、ま、まあ、いいけど。割とド定番の味付けだぞ」

二海ふたみさんがあたしのために作ってくれたんですから、よろこんで」


 いや、颯綺さつきのために作ったわけじゃないんだが。


「じゃあ、頂きます。え、なに、これ、おいしい、お母さんより上手かも」

「ありがとう。まあ、五年間、ずっと作ってきたらかな」


 俺もスパゲッティを食べ始めた。颯綺さつき枩芭まつばが不思議そうな顔で俺を見ている。


「どうした?」

「いや、スプーン使わないのかなって」

「ああ、あれは子どもの食べ方で、大人のイタリア人はフォークだけで食べるんだ」

「えー、そうなんですか?」

「でも、マナー違反ではないから、好き好きで」

「そっか、そうだったのか」


 枩芭まつばがスマホをいじりながら、感心したように頭を上下に振った。きっと、今のネタを検索したんだろう。


二海ふたみさん、ナス、美味しすぎます。ちょっとニンニクがやばいですけど」

「それは揚げたナスをニンニクと一緒に煮びたしにたもの。台湾料理」

「へー、すごいです。でも、どうして台湾料理なんですか?」


 そうか、颯綺さつきには言ってなかったな。


「お袋、台湾出身でさ」

「それで、教えてもらったんですか?」

「いや、お袋は料理が苦手で、お袋が食べたがるから、俺がレシピを調べて再現したんだ」

「うける!!」


 ラーメンのスープが飛び散り、枩芭まつばの顔を見ると、鼻から……さすがの枩芭まつばもちょっと焦ったようで、慌てて顔を拭き、横を向いてティッシュで鼻をかんでいる。


「ということは、二海ふたみさんって、ハーフなんですか?」

「そうだよ」

「へー、じゃあ、もしあたしと結婚して子どもが生まれたら、クオーターってことですか?」

「ま、そういうことになるかな」


 ちょっと、おい、話が進みすぎだぞ。


 颯綺さつきとは、俺が三回生の時に観に行った高校の文化祭と、うちの大学祭、それに四回生の時に開催された大学祭の時にしか会っていない。いくらなんでも早すぎてついて行けない。今時の十八歳って、そういうものなのか?


二海ふたみさん、今、ちょっと顔が赤くなりました。もしかして脈ありですか?」

「無いよ」

「もう、そっけないんだから」

「そうそう、二海ふたみさん、超かわいい颯綺さつきが、こんなに前向きな話をしているんだから、せめてもうちょっと考え込むべき」


 やっぱりため口。まあ、いいけど。


「じゃ、俺、実験の準備があるから」

「あの、連絡先、交換してもらっていいですか?」

「いいよ、メールと電話番号なら」

「KINEやってないの?」

「やってない」

「うける」


 また枩芭まつばがケタケタと笑い出した。その後、枩芭まつばは首から下げているポーチからスマホを取り出した。缶バッジが付いている。アイドルかなにかか?


 颯綺さつきもスマホを取り出し、メアドと電話番号を交換し、俺は実験室に向かった。



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 実験結果をまとめていたら、毎度のごとくそこそこの時間になってしまった。まあ、いつものことだ。車のヘッドライトがまぶしい。駅前は結構な人が歩いている。


 春の夜風が気持ちよく、女子高生や会社員でにぎわっているルターバックスを横目に見ながら自転車を押した。


 俺が高校生の時は、地元にルターバックスが無くて行けなかった。

 もっとも、小遣いも少なかったし、バイトも禁止の学校だったから行くことはできなかっただろうが。


 駐輪場は地下にある。つまらない駄洒落の効いた看板をくぐって自転車と一緒に地下に降り、自転車を固定した。

 省エネに貢献しているのに、駐輪するのは有料ってのがちょっとムカつく。


――ポコポコ、ポコポコ


 スマホが鳴った。ポケットからスマホを取り出すと、枩芭まつばからだ。どうしたんだろう?


「どうした? ……え、わかった、すぐにいく。今、駅前にいるから三分で行ける」


 どうやら新入生歓迎会の二次会で、颯綺さつきが先輩に絡まれているらしい。


 ここからなら、入り口に戻った方が……いや、ルターバックス側から行くと、信号のある横断歩道を渡ることになる。

 ちょっと距離は離れるが、反対側から出た方が確実そうだ。


 走って階段を駆け上がり、そのまま右に出て最初の角を右、店の階段を登って居酒屋のドアを開けた。


「いらっしゃいませ」

「あ、すいません、連れに用事があって」


 店内を見渡すと、左の方で枩芭まつばが手を振った。


 見ると、颯綺さつきが上級生に抱きつかれている。明らかに嫌がっている顔、もう、泣きそうな表情をしているのが見える。


――ふう


 深呼吸をした。就職のこともあるから、あまり騒ぎは起こしたくない。とりあえず、ここはソフトに行こう、ソフトに。

 実は、もう、腹で目玉焼きを焼けるぐらい、胃袋の周りを何かが回って発熱している。


 俺は、「REDONI」という文字が赤色で書かれた、恐らくオリジナルのTシャツを着ている上級生らしき男子生徒の肩を軽くたたいた。


「その子、嫌がっているから止めろ」


 ソフトに言うつもりだったが、つい、いつもの口調が出てしまった。落ち着け、落ち着け。


「なんだぁ?」

二海ふたみさん!」

二海ふたみ? ああ、もしかして、清水きよみずさんって奴か」


 俺のことを知っているのか?


「俺、西郷朝陽あさひの弟だよ」

「知らない名前だな」


 こいつ、かなり酔っているな。完全に酒に飲まれている。


「あんだと? あんたが空手道部に体験入部した時の主将だ」

「ああ、そうか。なかなかいい名前だな」

「わはは、そうだろ」


 肩が動いた、まずい、こいつ、俺に何か仕掛ける気だ。しかもこの動きだと颯綺さつきに当たる。


――バシャッ


 とっさに西郷と颯綺さつきの間に割って入り、颯綺さつきをかばった。脇腹にジョッキが当たり、かなり痛い。脇腹部分は筋肉がほぼ無いから、筋肉を固めてもきつい。


 テーブルの上にビールが流れていくのが見えた。そして、俺の脇腹もちょっと冷たい。


「小声で話さないか? 他のお客さんに迷惑だ」

「でかい声なんて出してない!」


 他の学生が西郷の腕を押さえた。助かった……。


「すいません、こいつ、普段はとてもいい奴なんですが、酔っぱらうとこうなちゃって」

「そうか。俺は問題ないから」


「ちょっと離せよ、俺はこいつに話がある!」

「話だけなら聞く。でも、話だけなら取り押さえられたままでもできるだろう?」

「めんどくせえ奴だな」

「あまり騒ぎを起こすと出禁になる」


――ドスッ


 避けれたが、避けると颯綺さつきに当たる。筋肉を固めていたからそれほど痛くは……いや、痛い。これは裏拳、裏拳ならこの距離でも十分な力を発揮できる。


 ということは、こいつも空手をやっていたのか。しかも、こぶしを引っ込めない。腹の中で痛みが広がっていくのがわかる。しかし、これはチャンスだ。


 俺は、西郷のこぶしを握り締めた。


「痛、痛たたたっ、放せ、放せよ」


よし、いい感じだ。このままいけば鎮火するはず。




   ----------------




あとがき

数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


本エピソードにて、スパゲッティの食べ方について書いていますが、ピザを手で食べるのはマナー違反ではないそうです。


また、イタリアやフランスで、料理のソースをパンですくって食べるのは日本人だけとのことで、海外で食事する場合は要注意です。



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それではまた!

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