第10話 海風の向こうへ

 澄み渡る青空に、入道雲がゆっくりと流れていた。

 海から吹くあたたかな風が、遠くの波音とともに耳をくすぐる。小道沿いには赤や黄色のハイビスカスが咲き乱れ、夏の鮮やかさを際立たせている。さとうきび畑が風に揺れ、葉のこすれる音が昼下がりの静けさを彩っていた。


 「真一さん、そっち持ってください」


 比嘉ひがとおるが声をかけると、さかき真一しんいちは軽く頷きながら荷物の端を掴んだ。夏の日差しが容赦なく照りつける中、二人は息を合わせてそれを軽トラックの荷台に積み込む。


 額に浮かんだ汗が太陽の光を受けてきらきらと輝き、透の顔を伝って頬に流れる。真一も同じように汗を拭いながら、透に向かって小さく笑みを浮かべた。重労働の中でも、お互いの息遣いや笑顔が、この暑さをどこか和らげてくれるようだった。


 月夜に照らされながら、透が自分の過去を真一に打ち明けたあの日から、1年が経った。


 あの夜、静かな涙とともに語られた透の記憶は、真一の心に深く刻まれている。互いの想いを少しずつ分かち合いながら迎えたこの夏の空の下、二人の間には、あの日にはなかった穏やかな信頼が生まれていた。



 昼になり、木陰に敷かれたゴザの上で、透と真一は向かい合って弁当を広げた。透が朝早く作ったおかずが詰まった弁当箱を開けると、彩り豊かな料理が顔を覗かせる。真一は箸を手に取り、まず卵焼きをひと口。


 「やっぱり美味しいな」


 思わず口をついて出たその言葉に、透は小さく笑いながら首を振った。


 「またそんなこと言って……何度も食べてるのに」


 照れくさそうに笑うその表情に、ほんのりとした嬉しさが滲んでいた。


 「本当に美味しいものは何度食べても美味しいんだよ。この卵焼きとか、何でこんなに絶妙な味付けできるんだ?」


 真一が箸を持ったまま感心するように言うと、透は少し恥ずかしそうに目をそらした。


 「特別なことなんてしてないよ。普通に作ってるだけ」


 静かな風が二人の間を吹き抜け、蝉の声が夏の昼下がりを優しく包む中、真一がふと箸を置いて言った。


 「今日の仕事終わりに、ちょっと話があるんだけど、いい?」


 透は箸を止めて真一の顔を見た。その表情に真剣さを感じて、少し驚いたように目を細める。


 「え、何? あらたまって。怖い怖い」


 いたずらっぽく笑いながら透が言うと、真一は軽く笑い返した。


 「ちょっとさ、大事な話」


 「今言ってよ、気になるじゃん」


 透が少し身を乗り出して聞くと、真一は言いかけた言葉を飲み込むように、箸で弁当をいじった。


 「俺、透とさ――」


 真一は一瞬言葉を飲み込み、視線を弁当箱に落とした。そのまま少しの間、沈黙が続く。透は心配そうに顔を覗き込んだが、真一はゆっくりと顔を上げ、その目に穏やかな決意を宿して言葉を続けた。


 「これから透と一緒に、生きていきたい」


 透は驚いたように目を見開き、真一を見つめた。夏の木漏れ日が二人の間に柔らかく差し込み、透の瞳が微かに揺れる。


 その時、静かに風が吹き抜け、さとうきび畑がざわざわと揺れた。陽光を受けた葉がきらきらと光り、遠くには真っ青な海が広がっている。波の音が穏やかなリズムを刻み、どこか遠くで鳥のさえずりが響いた。


 空には大きな入道雲がゆっくりと流れ、ハイビスカスの花が風に揺られて鮮やかに咲いていた。


 この広い夏の景色の中で、二人を包み込むように沖縄の自然が優しく輝いていた。

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海風の向こうへ 銀時 @ginjimin

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