鬼灯の裏側で 5
「一応ですが、初期の迅速検査で出すことは無理な群ですが、実は二次検査の中でアルカロイド系の一環として設定群の中にはあったんです。唯、…」
「唯?」
永瀬の問いに森川がひとつうなずく。
「滝岡先生にもお伝えしましたが、漢方系、和漢方、生薬等といわれる薬物は、成分が一定していないことが多いんです。もし、その成分があっても微量すぎて検出できていないのかもしれません。もしくは、…」
「もしくは?」
「―――アルカロイドというのは、化学物質です。ご存じの通り、化合物はほんの少し構成が違うだけで別の働きをします。検出しようとしても、右手と左手が違うだけで、適切な検査方法を用いていなければ正しい姿がみえてきません」
「正しい姿ですか」
森川の言葉に、瀬川が云う。それに、永瀬が肩を竦める。
「そういうこった。こっちは敵の正体が知りたいが」
「敵を捕まえる道具を決める為には、敵の正体がわからないといけない、と云うわけですか。魚を捕まえるには網が、クマなら檻が必要と」
瀬川が云うのに永瀬が大きく溜息を吐く。
「しかも、仕掛ける場所もクマ捕まえるのに陸じゃなくて海にしかけても仕方ねーしな。なあ、森川ちゃん、何かヒントないのー」
情けない顔で肩からおぶさって顔を覗き込んでいる永瀬に森川がまったく動じずに真面目に考え込む。
「そうですね、…」
そして、ふと気付いたように。
「生薬は成分に異同が多いので、実際いま追加の検査を入れてはいても検出できるとは限らないんですが、…。そういえば、…―――」
「どうした?何か見つけたか?ヒントあるか?」
森川の言葉に永瀬が畳み掛ける。
真剣に森川が考え込んで。
「はい。直接、毒物の特定には結びつけられなかったんですが、…明瞭な反応はでませんでしたから。唯、…――」
言い淀む森川に永瀬が食い付く。
「唯、何だ?」
「これは、僕の単なる感想になるんですが、…―――。鷹城秀一さんの血液像ですが、赤血球が可哀想に傷ついてました。おそらく、突然襲われたんだと思います。成熟して健康な状態の赤血球達が可哀想に沢山犠牲になっていて、―――」
ふと血液像を思い出すのか涙ぐむ森川に思わず永瀬が固まって見つめる。
「…お、おう、それで?」
「それで、特徴があるんですが、こちらに救出直後に採取されて回されてきた血液には、…―――かわいそうに、抵抗したんでしょうけど、溶かされていました。おそらく、血小板達も役目を邪魔されて血餅を作れなかったんです。くやしかったと思いますよ」
涙に潤む瞳をとうとう黒縁眼鏡をとって拭い、森川が泣くのを堪えるのに、思わず引きかけて永瀬が踏み止まって。
「ちょっとまて、溶血してたのか?…確かに一度秀一っちゃんは血圧落ちて脈も止まり掛けたが、…――――。てことは、瀬川」
茫然としたまま振り向く永瀬に瀬川が応える。
「ヘビ毒ですか?溶血するというのは」
「秀一には、―――…」
永瀬が当時の処置を思い出しながらつぶやき始める。
「抗毒血清使用を決断したのは滝岡だったな。…あいつが迅速判定キットと、…それに、…患部を取り除いて、遠藤先生に透析頼んで、吸着と、…滝岡が三種、…指示して。輸液に、血小板補充して、――…。それで体内へ戻した、…」
永瀬が当時を思い出しながらぶつぶつと呟き出す。
虚ろな視線で顎を撫ぜながら唸る。
「いや、それはそれでいいとして、やっぱ記憶喪失は説明がつかねえ。…森川ちゃん、他に術後の血液について何か感想ないの?」
森川が突然振られて驚いて見返す。
「…術後の血液像についてですか?」
「そ!そっちの方には何か思い入れはないの?」
「…特にありませんね。回復して、未熟ですが、頑張っているというか、透析されて希薄になってはいますが、…――これからでしょうね」
「うーん、そうか、……。じゃ、まっとうに処置は当たったってことだよな?回復まで、時間は掛かるけど、損傷による後遺症については通常通り考えていいのか、―――、…それとも、遅効性の毒性がまだ何か残ったりしてるのか、…―――」
またぶつぶつと呟き始める永瀬を瀬川があきれた視線でみる。
その永瀬が、突然振り向いて。
「瀬川!おまえ、何か看てて気がついたことねえか?」
睨み付けて云う永瀬に、淡々と瀬川が答える。
「顔色が悪いのが一点。土気色です。後、皮膚が乾いていました」
「―――!」
突然、表情が変わり永瀬が沈黙する。
ぼんやりと宙を見つめるようにして。
随分としてから、ぼそり、と。
「…―――光ちゃんだな、…」
ぼんやりと遠くをみて呟く永瀬にあきれと感心を半ばにして瀬川がみる。
検査追加だな、…とぶつぶつ呟いている永瀬に瀬川が微苦笑を。
「…今日は帰れるんですか?」
問い掛ける瀬川の言葉にびっくりして永瀬が顔を向けて瞬く。
「瀬川ちゃん、いたの?」
「いたのはないですね。人が帰る処を捉まえて、いままで会話してたんですけど?」
面白そうにいう瀬川に永瀬がごくり、とつばを飲み込む。
「…わ、わりい、…瀬川ちゃん、その、あのさ、…」
「深蒸し茶は当然いただきますが、先に僕に食事をおごってもらえますか?食堂でいいので」
「…目、目が据わってるよ、瀬川ちゃん」
「そうですか?今夜はそれで構いませんから。深蒸し茶の他に、何をもらうのかは考えておきます」
「考えちゃうんだ、…わ、わかった!瀬川!飯!めし食いに行こう!森川ちゃん、後でな!」
既に顕微鏡に向き合って、こちらを振り向きもしない森川に資料を慌てて掻き集めてケースに入れると、指紋認証のロックを掛けて脇に抱える。
がし、と必死になって瀬川の二の腕に手をおいて。
「瀬川ちゃん、食堂でいいんだな?」
「勿論です。うちの食堂はレベルが高いですからね?定食セットAをいただきます」
「…わ、わかった、飲もう」
悲壮な顔で永瀬が先に立ち森川の研究室を出て廊下を歩いて行くのをついていきながら。
――おれって、基本この人に甘いかなあ、…。
必死に歩いている永瀬の後をのんびり歩きながら、瀬川が考える。
「やっぱ、別の毒を盛られた可能性が高いな…混交した毒か、…」
ぼそり、と。食堂で瀬川が定食Aを注文する際についでに永瀬の分も強制的に頼んだ定食Bを、半分心此処にあらずでも何とかぼんやりしながらも食い終わって。
思考が何処かへ飛んでいると端からはっきりわかる遠くを見る目で永瀬が呟くのに、瀬川が箸を留めずに答える。
「そうですか」
「そーだ、…ヘビ毒と同じ系統なら怪我の方は説明がつく。ヘビ毒を構成するタンパク質は、胃酸に抵抗できない」
「分解する、ということですね?消化されて」
「ん、…まーな、…」
ぼんやりと瀬川の言葉に応えながら、既に思考がここにない永瀬の反応に。ちら、と視線を落として山椒の実をつまむと瀬川がゆっくりと湯呑みをくちに運んでいる。
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