関&鷹城「鬼灯」4

「いやだな、橿原さん」

鷹城が綺麗に笑うのに、橿原が唯応えずに視線を置いている。

「そこまで忘れてたら、本当に僕危ないですよ」

病院着の薄い青が白い鷹城の顔をより整った人形のようにみせていた。

「―…と、いいたいんですけど、僕本当に危ないみたいですね。―――――――――あそこに行こうと思ったのは憶えてるんですが、どうしてなのか、…。誰を訪ねていったのか、思い出せないんです」

言葉を切って途中でぼんやりと何かを探すように宙をみて。

それからあきらめたように笑って鷹城がいう。






「橿原さん」

「何ですか?関さん」

「…あれは、鷹城の証言は本当ですか?あれは本当に憶えてないんですか?」

車を運転して山道を登りながら関が問い掛ける。

「そうですね。君は、あの鷹城君の証言を疑う何か根拠を持っているのですか?もっといえば、関さん。君も」

「何です?橿原さん」

集落の見える道の一角に車を止めて関が答える。

「すべてを証言していないのではありませんか?君は鷹城君が話していた相手は見えなかったといったそうですが」

「そうでしたか?」

橿原が正面を向いたままでいう。

「本当に、君にはその相手が見えてはいませんでしたか?」

無言のまま青い山麗を関が睨む。

「そして、君を今回鷹城君救出に向かわせた根拠は何です?」

橿原がしずかに関を見る。淡々とした感情のみえない瞳で。

「君は、何を見たのですか?」

関が沈黙したまま目を閉じる。

「関さん」

橿原が静かにいうのに。

「…橿原さん、…その前に、お話する前に、確かめたいことがあるんですが」

無言で橿原が関を見る。





両手をポケットに突っ込んだまま関が歩く、その少し後ろを橿原が歩いていく。無言のまま集落の一軒の前に立った関が、哀しむような、言葉の無い表情をしてその表札を見あげる。

関が俯くと、足先を見つめるようにして立ち尽くしてから顔を上げ、呼び鈴に手を伸ばした。

「はい」

澄んだ声が響いて、走ってくる軽い音と、内戸が開けられる音がした。玄関の戸が引き開けられ、驚いて見つめる顔が関と向き合っていた。

「刑事さん」

「失礼します。…その、先日の証言とは別に、お伺いしたいことがありまして」

深く礼をしていう関を見つめて、そしてその視線が少し後ろに立つ橿原に向けられる。

「橿原と申します」

「あ、はい」

慇懃に礼をして名乗った橿原に戸惑って、橿原さん、といって繰り返したあと、我に返ったように二人に向けてその女性が微笑む。

「どうぞ、おあがりになってください」

涼やかな声でいうと背を向けて翻る黒髪の先に立つその動きにつれて、爽やかな何かの花の香りがしたようだった。

関が思わずというように見送り、頭を下げる。

「失礼します」

細面の静かな白い花のような黒髪の美しい女性は、居間で二人と向き直り、あらためて挨拶をした。

「高槻香奈と申します。いま御茶をお持ちいたしますね」

座卓に向き合う二人を残して、断る間もなく席を立った彼女の背を暫し追うようにしながら、橿原は隣に座る関に問い掛けていた。

 晴れた庭から美しい山々が見え、縁側と庭の間に置かれたはさ掛けに、網代が簾のように掛けられて、上にほした草共々懐かしい風情をあたえている。

縁側に近く白い石臼が置かれ、靴脱ぎ石から先には丁度庭のつくばいに辿ることのできるよう点々と石が埋められて、庭の奥には楓と松が山々を借景に見事な奥行きを見せている。都会の喧騒からは遠い田舎の風景を眺めながら、橿原がそっと口にしていた。

「彼女は、君が鷹城君を見掛けたといった際に、いま担当している事件の証言を取りに訪れた女性ですね?」

「…その通りです、橿原さん」

正座をし膝にきちんと両手を揃えて、淡々と関が答える。

「そして、それは、―――」

「お待たせいたしました」

盆に御茶を乗せて高槻香奈が戻り、橿原は静かにその面を見あげた。美しい所作で二人のもとに茶を勧めると、瞳を伏せて盆を脇に置く。

「それで、どのようなことをお訊ねなさりたいのでしょう?」

伏せられていた面があげられ、深い哀しみを湛えた黒瞳が彼ら二人を見返していた。




病室で目を閉じて鷹城が溜息を吐いて左腕を掴む。薄青の病院着の袷から覗く肌も、首筋に浮く青い脈も、蒼褪めた顔色も。蒼白く褪めた肌に黒い睫毛の陰が落ちるのも、いまだ快復には遠いことを示している。

「…くそ、」

…僕は誰かに会いにあの村に行ったはずだ。

その他にはありえない、けど。…

頭痛がして額を押さえる。

僕は誰に会おうとしていたんだか?

それだけのことが思い出せない。

そして、その誰かに会ったとしたら、…俺を襲って、その川岸の小屋に監禁したのは?

断片的な光景が蘇る。

草地、背の高く伸びた草、…水の音、小屋の、―――――。

額を押さえて溜息を吐く。

ギブスが目に入り、それから吊るされた点滴のパックを見る。

そして、ベッドの脇にある机の引き出しを開けて、連絡用に貰った携帯を取り出していた。




「お伺いしたいのは一つだけです。あなたは、俺が帰ったあと、人と会っていた筈です。鷹城という男と。何を話していたんですか?」

「鷹城、…さんですか?」

「はい。あなたは昨日の十四時頃、鷹城と会って話をしていたはずです。違いますか?」

白い肌が透けるようにさらにしずかに色を失くす。蒼味を帯びた黒瞳が、そして関を見据えていた。

「そうですといいましたら、…何がどうなりますの?」

「…―――高槻さん」

関が名を呼ぶのに美しい黒瞳が僅かに微笑む。

「いえ、お話してはおりません。刑事さんがみえられてから、あの日は誰も訪れませんでしたわ。その鷹城という御方にも、お会いしてはおりません」

微笑して答える高槻香奈に、関が卓に隠れた膝の上で拳を握った。




 山を下る車の助手席で橿原がいう。

「君達がいま扱っている事件は、確か印旛山毒殺未遂事件ですね?」

「良く知ってますね。…ええ、そして、彼女は犯人ではなくて、」

「毒薬の入手経路を教えてくれた、違いますか?」

「…―――報告書を読んだんですか」

ちら、と睨む関に、前をみてください、と淡々と云う橿原に、関が苛立たしげに前方に向き直る。

 その関を隣に。

「いえ、まだ読んではいません。唯、確かあの事件で使われた毒薬は生薬で、確か、酸漿根も使われていたのでしたね。その成分が混じっていた為に、毒薬の致死成分のもたらす効果が薄れ、毒が完全には効かず、被害者は命を取り留めた」

「――本当によくご存じですね。どっから情報を貰ってるんですか」

皮肉を込めていう関にまったく感じていない顔で、淡々と続ける。

「生薬の成分というのは、良く知った上で使用しても、西洋医学の薬と違い、成分の異同などにより、また未知の部分などにより、確実に誰にでも同じ効果が訪れるとは保証し難い面があります」

山道を降りながら、葛藤する表情をして、関が息を吐いてから、口を切る。

「ご存知のようですが、被害者は二十八才の女性、都内の料理店で会食をした後、突然の腹痛と下痢に見舞われ、最初は食中毒が疑われました」

けれど、と小さく橿原がくちにして。

しずかに繰り返す。

「けれど、入院して検査をした結果、血液からアルカロイドが検出された」

橿原の推測に、関がハンドルを切りながら答える。

「その通りです。会食で彼女だけに出されていた料理があることがわかり、被害者を狙った殺人未遂事件ということで、当初は捜査が行われました」

「当初ということは、いまは違う。事件ではない、ということになったのですか?」

山道の急な坂を下りながら、関が前を睨むようにする。

「…調べた結果、その料理を彼女が食べることになるとは、誰にもわからなかったことが解ったんです」

「被害者はたまたまその料理店で料理を注文しただけだったのですね?特に事前に被害者がその料理を食べることが決まっていたわけではなかった」

「そうです。…本当にたまたま注文したらしい。それで、無差別に誰でもいいからその料理店に来た客を狙ったものかとも考えたんですが」

「使われた食材に、間違って生薬を含む薬草が入っていた、というのですね」

「みてきたみたいにいいますね、…橿原さん。ですが実際その通りで、食材の入手経路を調べた結果、あの村の農家の一軒が出荷していたことがわかったんです。その農家を調べて、どうやら悪意はなく、自分達で薬として使っていたものが、出荷の際に混入したんだということがわかりました。ですから、あとは報告書をまとめて、事件じゃなく事故として処理することになります」

「そして、彼女のした証言というのは」

「…―――そういう薬草を干して生薬にする習慣があの村にあるってことを、証言してくれた住人の一人です。彼女の家でも、他の所でも同じような薬を作ってる」

「おそらくこうした山間部に古くから伝わる生活の知恵でしょうね。そうした民間の薬草を使った薬などは、いまでも思ったより広く残っているものです。特に山間部では交通が途絶し、すぐに医者の薬が手に入らないことも多いですからね」

「そう、そうです。そんなようなことをいってました。どの家でもある。そう証言してくれた一軒です。そして、彼女の家では出荷していない」

「彼女の家では出荷していない」

「そうです。僅かに家で使う分を作ってるくらいだといってました」

「そうですか」

関が沈黙し、橿原もまた何も言わないまま山道を車が下っていく。





「おまえは馬鹿か」

「いやですね、ばかに決まってるじゃないですか」

隣で苦い顔をしていう滝岡に、鷹城秀一がにっこりと笑みをつくってみせて、顔をそちらに向けていう。

無言のまま滝岡が手許のレバーを操作する。

「バリアフリーに貢献する警察って大好きですよ」

黒い大型のバンの後部ハッチが開いて、可動式の床が迫り出す。

周囲で驚いてみていた人々が、さらにそこに進み出て来たものに驚く。

「やあ、どうも」

軽く手をあげてにこやかにいうと、黒い電動車椅子に乗って車から降りた鷹城が地面に設置するのを待って背後で床がしまわれていく。

「おい、まて、秀一!」

操作をしていた滝岡が悪態を吐く。

軽く背後の滝岡に手を振って、鷹城秀一が車椅子で県警本部内に入っていく。




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