関&鷹城「鬼灯」2
「鬼灯ってしってますか」
「勿論知っていますが、鬼灯ですか?」
山腹の川沿いを車を降りて灯を手にして足許を照らして歩きながら、関が橿原に話しかける。草の繁る足許を同じように橿原もLEDライトで照らしながら口にする。
「鬼灯はナス科ホオズキ属の多年草で、学名Physalis alkekengi―――――
赤い実を提灯に見立てて、お盆の精霊棚に飾ったりもいたしますね。それに、全草に微量のアルカロイドが含まれていて、根や地下茎からは酸漿根という生薬が取れます。江戸時代には堕胎薬としても使われていました。現在でも生薬として解熱剤として使用している地方などもあるようですが、妊婦への使用は流産の恐れがある為禁忌です」
「よくご存じですね」
「それで、その鬼灯がどうかしましたか?」
「俺は、鬼灯が薬になるなんて知りませんでしたよ。…子供の頃、脹らまして遊んだことならありますけどね」
「そうですか」
「鷹城のばかは、俺が捜査にいった先にいましてね。捜査といっても確認だけだったんですが、以前の証言を確認してくるだけだったんで、許可をもらって一人で出向いてきまして。何しろ、ご存知かと思いますが、人手不足ですから」
「そこに鷹城君がいたと」
「そうです」
足を止めて関が周囲を確認するようにする。
再び登り出しながら、今度は足を速めていく関に。
「関さん、それで、君は何を心配しているのです?」
「…わからないんですよ。…わからないんですが、…橿原さん!」
関が叫んで、目にしたそれを手にしようと走っていく。
「橿原さん!」
関が叫ぶのに橿原が手にしていた灯を空中へ向ける。空に浮き上がる白い線に関が飛びついて手を伸ばして捉える。
「…橿原さん、」
糸を手繰り、最初に空中に目にしたその赤い風船を手に関が橿原に示す。
「糸が続いています、関さん、あちらに」
「……―――!」
風船についていた糸を辿り、関と橿原が坂を下り始める。
水音がする、…。
水の流れる音が迫っている、とおもう。
「…水、…――――!」
目が醒めて暗闇に瞬く。まったく周囲の見えない闇にパニックになりかけて自制する。
…ここは、―――水?
どうして、さっきまで水音なんか、と思いながら流れの迫る音を聞きとろうとする。
「鷹城くん!」
「鷹城!聞こえるか!このばか、聞こえたら返事しろ!」
そして、聞こえてきた声に驚いて顔を向けていた。
「…鷹城!」
「きみはこの非常用具入れを管理している事務所に連絡してください。それに、救急車を。鷹城くん」
「…――!」
ライトが顔に当たって鷹城が顔をしかめる。
目をつぶる鷹城の顔から上の隙間から全身を走査するようにライトをあてて橿原が無言になる。
「国土交通省、…河川管理、…くそ!やってませんよ、やっぱり!」
「水が流れ込んでいます」
「…何ですって?橿原さん?」
振り向いた関が怒鳴る。
鍵の掛かった扉を関が見つめる。
「とにかく、開けましょう。救助隊に連絡を取ってください」
「橿原さんがお願いします。自分がやってみますから」
橿原が無言で位置を交替する。
錆びた鎖が下がって封印されている金属製の扉を前に、関が周囲を見渡して手近な地面に落ちていた棒を拾う。
「…!」
ライトで照らして、金属の棒の先端にある汚れをみつめる。
「くそ、…!」
毒づくとハンカチを取り出して滑り止めを兼ねて棒の端に巻く。
その上から握り、鍵と金属の鎖に叩きつける。
「関さん」
戻ってきた橿原が、扉の鍵を外すべく錠と鎖に金属の棒を叩きつけている関に呼び掛ける。
「気をつけてください、橿原さん!水かさが増してる!」
「…―――警報が聞こえましたか?」
橿原が鎖を手で押さえて、ライトで照らす。
「気を付けてくださいよ、…―――!」
関が顔を上げ、蒼褪めた表情で橿原と視線を合わす。
闇に轟くように響く音は、ダムの放流を報せる警報音だ。
「この小屋は河川管理の為に国土交通省が使用している物品管理の為のものです。使用する物品は水没してもいいようになっています。水はけがいいように設計されていて、小屋自体は水没することを前提に作られています」
「けど、人間を運び出せる程の穴は他にないですよね?この扉を開ける以外は!」
「その通りです!関さん」
上流から放流の警告音が重ねて響いてくる。
関が焦りながら扉と鎖に棒を叩きつける。
錆びた金属の輪が外れ、錠が傾く。
「橿原さん!」
橿原が素早く錠から鎖を外し、関が扉を蹴る。
「鷹城!」
水流が小屋の床を浸し、流れ込んでいく先に倒れている鷹城に関が駆け寄る。
「…おい!鷹城!しっかりしろ!」
顔が水に浸からないように背に腕を廻して抱きあげながら呼び掛ける。
「おい!鷹城!」
「足を怪我しています」
橿原が示す右足をみて、無言で関が鷹城を肩に引き上げる。
「橿原さん、扉を!」
水流で傾きつつある扉をみて関が叫ぶ。
「関さん、はやくしてください」
「わかってます!」
橿原が扉を支え、関が鷹城を抱えて水流をおして歩く。
草が生えた坂を橿原が鷹城の身体と関を支え、関が無言で歯を食い縛りながら登っていく。
「くそ、…!」
濡れた草に足を滑らせた関に、橿原が後ろから支える。
三度目の警報音と水流が迫る音が響く。
「…橿原さん!」
滑る草に倒れながら鷹城の身体を坂の上に押し上げて、関が橿原に手を差し伸べる。滑る草の上を落ちそうになる鷹城の身体を左腕に押さえながら、関が橿原を引き上げる。
橿原が軽く土を蹴り、坂を上がる。
「……――――」
轟音と共に水流が黒く眼下を流れ、小屋が没し去っていくのを、関が声も無いままに見つめていた。
「救急隊は?」
橿原の声に関が額に手をあて、目を閉じて首を振る。
起き上がって橿原が鷹城の身体を擦り落ちないようにして衣服を緩め脈を計り、足首の傷を調べているのをみる。
「ちっ、くそ、橿原さん」
携帯の電波が弱いのに毒づいて上着を脱ぎ、橿原に投げる。
橿原が受け取って関を振り仰ぐ。
「お願いします。電波が届く処まで歩いてみます。ライトを、」
「わかりました。お願いします。関さん、非常に状態が悪いですね。急ぐように伝えてください」
「…―――」
無言で橿原を睨むと踵を返し、大股で関が歩き出していく。
それを見て、視線を鷹城に戻すとその蒼白な面を照らし、それから再度傷にライトを向けてから、くちに銜えると関の残した上着を鷹城の身体に巻き付ける。傷に巻き付けられたハンカチを確かめ、時計をみて脈を計る。
「…橿原、さん?」
ぼんやりとそうしてくちにした鷹城に視線を向ける。
ライトを口から外し、呼び掛けに答える。
「鷹城君、しっかりしなさい。君にしては大変軽率でしたが、いま救急隊がきます。がんばりなさい!」
「…――――、ほおづき、」
「…鷹城君!」
ぼんやりとそうつぶやいた鷹城に橿原が名前を呼ぶ。
「しっかりしなさい!鷹城君!」
「……――――」
「橿原さん!もうすぐ救急隊がきます、どうしました?」
叫びながら橿原の傍に、関が膝をつき鷹城を見る。
「…どうしました?」
「意識を失いました。…幸運を祈りましょう。関さん」
「どうしたんです?」
茫然と関が鷹城の白い顔と橿原を見比べる。
「一体どうしたんです?」
「救急隊は何で来るんですか?」
「ヘリで来ます。要請しました。五分後にライトを使って合図を空へ向けて一度します。それから、もう一度位置を確認して、…橿原さん?お願いできますか?俺はもう一度状況を伝えにいきますが」
「それなら、こう伝えてください。鷹城君の容態です」
早口で橿原の伝える容態に関が無言のまま立ち上がる。
関が歩いて行くのを見送り、橿原が時間を計る。
上空へ向けてライトが点滅する合図を送るのを少し離れた場所で見ながら関が携帯に耳をあてる。
空に届く光と闇に沈む山々をみながら通話が繋がるのをまつ。
怒りも哀しみも抜け落ちたような、やるせない表情で。
繋がった通話に橿原の伝言を関が伝える。
そして、遠く轟く水音に目を閉じて頭を垂れていた。
通話を切り、僅かに首を振る。
「関さん!」
「…――!」
そして、ヘリの音と橿原の呼ぶ声に顔を上げていた。
「橿原さん!」
駆け戻り橿原が支える鷹城の傍に関が膝を着く。
橿原がライトで合図するのに鷹城の身体を支えて空を見あげる。
サーチライトが降り、その眩しさに目を細めて見あげ、手を掲げて合図していた。
触れている肌が酷く冷たい。
関は、下りて来るロープを、酷く遅いようにおもいながら見つめていた。
病院の壁に背を凭れさせて長椅子に座り、目を閉じて関は動かずにいた。
その脇には、巻き手にハンカチを結びつけたままの鉄の棒が置かれている。
「何があったのか、聞かせてもらえますか?」
その前に立つ橿原に、関が目を閉じたままで答える。
「俺が、…声を掛けてれば」
「関さん」
「鷹城を見かけたといいましたよね?でも、声は掛けなかった、…。声を掛けてれば、もしかしたらこんな風に、」
「君がそう思うだけの根拠が何かあったのですか?関さん」
「…わかりません。…橿原さん、」
そうして、目を開けて関が橿原を見あげて、どこか泣きそうな頼りなく拠るべを失くしたような眸で見あげる。
「全然普通に見えたんですよ。…だから、けど、」
「それでも、君は何かがおかしいと思った。だから、警察に戻った後も、こちらに鷹城君がいないということに疑問を持ち、僕を探した。携帯にも掛けてみたのでしょう?」
「…何しろ山奥だから、電波が届かないのかもと思ったんですが」
言葉を切り眉を寄せて、俯く関に橿原がその前で、しずかに話しかける。
「君がそうして僕に声を掛けてくれたから、そうして、あの場所まで探しに行ったから、鷹城君を救出できたのです。そうでなければ、彼は溺れて死んでいたでしょう」
「…犯人は、殺すつもりだったんですか?鷹城を?」
衝撃を受けたように顔をあげていう関に、橿原が答える。
「いえ、それはまだわかりません。あの小屋に監禁し、それからどうするつもりだったのかは。ダムの放流まで計算していたかどうかはわかりません」
「…―――」
関が無言で目を閉じ、俯いて額を押さえる。
「関さん」
「それは、恐らく鷹城の血です。鍵を叩き壊すのに使っちまいましたが、」
「指紋がついていても、消えてしまったかもしれませんね」
脇に転がされた鉄の棒をみて橿原がいう。
「…――――」
頭を抱え、俯いてきつく目を閉じている関の傍らに、橿原が座る。
「鷹城君の容態が変われば、教えてくれるそうです」
「……―――」
関がくちびるを咬み、髪を握る手に力を込める。
壁に背をつけ、綺麗な姿勢で目を閉じた橿原を隣に、関もまたそうして動くのを忘れたようにして、唯音のしない病院の廊下に無言でいた。
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