First Contact 鬼灯
TSUKASA・T
関&鷹城「鬼灯」1
鬼灯
夏の宵に赤い小さな灯が灯るのを、
夜闇に紛れて赤い灯が小さく糸を曳いて消えていくのを、
見たことのあるひとはいるだろうか。
夏の宵に、それは静かに音もなく通りすぎる。―――
…しまった。
関に何ていわれるかな、と。
端正な眉を顰めて考える。身体の下に感じられるのは冷たい、おそらくコンクリート製の床で。こうしてそこに意識を奪われて転がされているというのは、どう考えてもかなりな失態だ、と。
鷹城秀一は目を閉じたまま考えていた。
意識を失くしている間に運ばれたことは間違いないけど、と。
嘆息しそうになりながら考える。
どうやら衣服もそのまま脱がされたり着替えさせられたり、拘束されてもいないし、靴もはいてるから、…。
これは一応相当な幸運かも、と考えてみる。
ついでにいうと、室温は一二度前後、明りが僅かに左側の方に感じられるから、――――――。
…音もしないし。
思いきってそして目を開けてみた。
まずわかることは自分の視力が損なわれてはいないことだ。
これもまた、幸運の一つに数えあげてもいいかもしれない。
想像通り周囲がコンクリートが剥き出しの床に放り出されていたことに軽く溜息を吐く。
いけない、犯人がまたいたりしたら刺激しないようにしないと。
一応思ってから周囲を観察する。
左側の上方に四角く細長く開いた空間がある。
窓といってもいいそこからは、時間帯の測りにくい光が漏れている。乾いた空気の底に横たわって、しばらくその窓を眺めていてから四囲を見廻した。
愛想のないコンクリートの壁に、何もものが置かれていない半地下にあることを確認して、そっと右手をついて身体を起こす。
「って、…」
これは怒られるかも。
しまった、と動いたことで痛みを感じた箇所に眉を寄せる。
どうしよう、本当にまずいかも、と思いながら痛みを庇いつつ半身を起こす。左手にみえる鋼製の扉と、左上方にある細長い窓をみる。
鋼らしい錆を浮かせている扉が想像通り鍵が掛かっていて開けられないなら、こうして犯人がかれを無造作に拘束もせずに放っていったのも当然だろう。
そんな手間をかける必要がないものね。…
我ながらあきれて扉をみて、それからできるだけ痛みを感じないようにして引き寄せようとして眉を寄せた。
「やっぱり痛いかも」
眉を寄せてしばらく目を閉じて響いた衝撃を我慢する。それから慎重に右膝に手を添えて、胡坐をかくようにして出来るだけそっと怪我をした右足を引き寄せた。
「うわ、…」
思わずそして、目をつぶる。
右のくるぶしが血に染まっている。
「この靴下、高かったんだけど」
靴は結構長いこと履いたから仕方ないかもしれないけど、と眉を寄せて目をつぶったまま、指をそっと血に染まった辺りに触れてみる。
「…うわ、…――」
口を噤んで目を閉じて、痛みの衝撃とそれに指先に触れた感覚に。そーっと目をあけて、それから血に染まった靴下をみて目を逸らす。
「うわ、…―――くだけてる」
内ポケットから目を背けたままでハンカチを出し、左手で振って細長くして、それで足首を縛る。
「…いて、…――衝撃だよね、うん、結構」
足首を通すときにも、痺れる痛みが神経を通り、思わず泣き笑いに近い顔になってそれでもなんとか縛り終える。
思ったよりハンカチに滲んでくる血が少ないのは、いい傾向なのか悪い傾向なのか。
「ええと、良い傾向は他の処が折れたり傷ついたりしていないことで、出血も動けないほど酷くは無いってことかな。…で、止まってるし。そう、もう血は出てない」
左手を胸許にあげて軽く念を押すようにいってみたあと。
「…っ――――、……」
思わず右膝をつかんで突っ伏して呟く。
気休めに縛ってみたけど、これじゃだめだな。
何か添え木みたいに固定するものを探さないと。
こういうときに限って何も落ちてたりしないんだからね、と周囲を思い返して、はっと目を開ける。
左手の窓を見て、スーツのポケット他を探し始める。
携帯は当然ない。財布も、それに。
「…―――」
あった、と顔色が明るくなる。見つけたものを握り締めて、鷹城秀一はもう一度左手の窓を振り仰いでいた。
生還の確率は、これで随分上がった。
「きみ、GPS発信器でもぼくに着けてるんですか?」
「誰がそんなことするんですか」
夜景を背に淡々と無表情で見返す長身の初老の紳士を前に、関がいやそうに顔を顰める。
強面で背の高さは目の前にしている紳士と同じ位。黒いスーツを無造作に着て、嫌そうに眉を寄せてポケットに手を突っ込んで。いまにも毛を逆立てた猫のように立ち去りそうな気配をみせながら踏み止まって睨んでいる関に。
ぼんやりと、というか。
その関を上下ゆったりと眺めて、感情の読めない声で問い掛ける。
街灯の滲む光に、夜の街を流れる車の音を背景にして。
「鷹城君がどうかしましたか?」
淡々と問う声に、関が睨みながら、ふと揺れるような光を眸にみせる。
「くそ、…――いえ、その、別にどうもしないんですがね?」
いいながら、迷うようにくちを噤んで。
「橿原さん、…――――」
言い掛けて、苦虫を噛み潰したような顔で向き合う橿原をみてから。
横を向いて両手をポケットに突っ込んだまま関がいうのを、少しばかり面白そうに橿原が観察する。
「それで、何が問題で鷹城君のことに関して君が態々僕に話をしにきたのです?しかも、こうして勤務時間外になるというのに、僕を態々探しにきて」
丁寧にいう橿原をちら、と睨むようにしてみてから、落ちつかなげに関がまた視線を逸らす。
「その、…考えすぎならいいんですがね?またあのばか、…―。何ていうか、あなたの部下は、全員攫われたり行方不明になったりするのが得意になったりするんですかね?」
左手をポケットから出して、大きく手振りで示しながら、振り向いて関が橿原を睨んで視線をあわせる。
「つまり、君はまた鷹城君がどこかの誰かに拘束されたり、監禁されたと考える根拠があると」
「…気のせいとかならいいんですがね、橿原さん。この間もあんなことになったばかりでしょう?それに、…あのばかほどじゃないけど、…つまりですね」
「君がそう考えた根拠を聞きましょうか?それに、何故それで捜索するように要請していないのかも」
真直ぐに見る橿原に、関が口を開き掛けて見つめたまま動きを止める。
「どうしました?」
「…―――」
溜息をつくと、関が軽くくちびるを咬んで横を向く。
「犯罪に巻き込まれたと考えてるわけじゃないんですが、…」
躊躇っている関に、首を傾げる。
「犯罪でなく居場所がわからないだけでしたら、成人の場合」
「わかってます!橿原さん、…わかってますから!」
額に手を当てて関が眉をしかめて大きな声でいうと溜息を吐く。
「――…くそ、だから、…。俺が知る限りでは犯罪が行われてる訳は無いし、大人がちょっと姿を消したからといって行方不明で捜索する訳にもいかないでしょう、わかってますよ!」
周囲を気にせずに怒鳴る関に、通行人が避けていくのを面白そうに橿原が眺めながら、あっさりという。
「それに、僕の知る限りでは鷹城君は今朝普通に出勤したあと、出掛けてきますと直ぐに出て行ったきり、連絡はありませんでしたが。そうしてほぼ一日戻ってきていないだけですからね。現在二十時ですが、これまで約十一時間、失踪を心配するにしても早過ぎるというしかないでしょうね。君達は一体何をしていたのです?」
「…――別に鷹城の奴と一緒に何かしてたわけじゃありませんよ。…やっぱり、戻ってきてないんですね?」
睨みつけるようにして問う関に、橿原が首をかしげる。
おっとりと問い掛けて。
「きみはそれを知らなかったのですか?」
「知りません、いま戻って、…―――。そちらの関連部署に聞いたけどわからなかったから、あなたを追ってきたんです。あいつから連絡はないんですね?」
必死になっていう関に橿原が視線を向ける。
知らないという橿原にあわてるように、焦るようにして。
うろたえたように視線を逸らし、一つの方角を見つめる関に訊ねる。
「それで、一体君は何を心配しているんですか?」
「…俺が昼間に会って、あれが、…十四時だったから、…運が良ければ、」
いいながら来た方向に既に歩き出している関をみて、無言で橿原がその後を歩いてついていく。
橿原がついて来ていることに、気がついていないように足早に大股で歩いていく関の後をのんびりと橿原が歩いていく。足早に通り過ぎる関が人にぶつかりそうになりながらも無言で歩き続けていくのに、倒れかけた通行人に橿原が、失礼、と優雅に謝りながら後をついていく。
突然そうして立ち止まった関の背にぶつかりかけて橿原が止まる。
「橿原さん」
そうして、何処かを睨むようにして関が背を向けたまま言うのに無言で視線を向ける。
「カード持ってますか?」
「…―――勿論もっていますが」
「良かった」
いいながら関が大きく手を挙げる。止まったタクシーに乗り込み、関が告げた行く先に軽く橿原が関を見つめ直す。
「何です?」
「いえ、君はそんな処までいっていたのですか?」
「神奈川県内であれば管轄内です」
「…――それでは、着くまでに僕に事情を話すことはできますか?」
「……―――」
橿原さん、といいかけて関が口を閉じる。
視線を逸らし肩を落として目を閉じて。
「いえません、…着いてから話します」
「そうですか」
いうと、冷淡な表情のまま橿原が姿勢を正して座り直す。
「では、着いたら起こしてください」
「…――――」
そして、綺麗に目を閉じて眠り始めた橿原に関が目を剥く。
「…いいですけどね?」
いうと、横を向いて口を結ぶと、窓の外を睨む。
タクシーが夜の街を進んでいく。
…まずいなあ…。
多分拙いような気がするのって気のせいじゃないよね、と。
コンクリートの床に横たわって、天井を見あげてみる。
夜に一応慣れた目には濃淡で天井や何かがあるのはわかるが、周囲は溶かし込んだような闇だ。
静かだよね、それに。
都会の夜につきものの音が少しもしない。車の音も、勿論人の生み出す喧騒も、何もかも。
「あるとうるさいけど、ないならないで淋しいかも」
皮肉な笑みを浮かべていってみて、それから溜息をついて窓があるはずの方角を見あげてみる。左側の窓がある筈の高い場所からは、夜になって冷気が降りてきている。
外に開いていて、空気が流れてるのはいいことだけど、これはどう考えても外に人がいないよね。
困ったな、と思いながら軽く首を振る。手当していない足首がこのままだとどうなるか心配するより先に、傷の心配なんてしなくてもいい状態になるかもしれないことをを考えた方がいいかもしれない。
橿原さんが探しに来るわけもないしね、…。まだ、…どれくらいだろう?
気絶させられてから気がつくまで、一昼夜は経ってないはずなんだけど、と考えながら。それから、と思う。
目が醒めたのが午後、それも夕方だとして、…。
もう随分と時間が経っているのに、一度も尿意がきていないっていうのは。
「困ったことになってるかも」
ちょっと下品だけど、と考えながら舌でくちびるを湿す。
渇きも感じてないし、だるくて熱っぽい。…
確かにちょっと本当にまずいかもしれない、と思う。
肌が乾いている。汗が出ていないのに、トイレに行きたくもなっていない、と。
瞬いて窓があるはずの処を眺めてみる。
おかしいな、普通に数時間前には僕は元気に歩いてたんだけどね。
「届いてるなら救助がきてもおかしくないけど、…やっぱり、人がいないのかな」
そして、人がいないってことは、と。
目を閉じる額に薄く汗が乗るのに鷹城は気付いてはいなかった。熱をもって浅く口がひらいて、苦しくなって既に開いている襟元のボタンを幾つか外す。
眉を寄せて目を閉じたまま大きく息を吐く。
傷が熱く脈打って、幾倍にも膨れ上がっているようにおもえる。
熱が身体の中心まで犯すようで、息が浅くなってくる。
「…まずい、かも、」
誰かが見つけてくれただろうか、と。
目を閉じて意識が薄れていく寸前、鷹城はそう考えて。
次第に強まる灼熱する感覚に呑まれていた。
赤い灯がみえる、と。
そうして、微笑していた。
夏の宵に小さく赤く灯るあかりは、迎え火だよと。
昔語りに聞いた記憶が蘇る。
懐かしい魂を迎えに灯す灯なのだと。
闇にすう、と赤い灯が浮いて宙に軌跡を描く。
…僕も、あれについていったら、いけるんだろうか。
どこに、とかでなく、―――そうたとえば、懐かしい処に。
小さく吐息をついて微笑んでいた。
赤い灯がともって、軌跡を描いて闇を登り、左上の窓を通って外へ出ていく―――。
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