第4話 静寂の中で

 神様のいない執筆は、静かだった。いなくなった分原稿に集中できるということもなく、神様と会話していた脳のリソースで今出そうとしている賞について考えた。

 賞が欲しいから参加する。これは当然だ。欲しい。ハナから諦めているが、欲しくないわけがない。

 ではなぜ、異世界モノではなくラブコメでもなく、暗い現実世界を書いた現代ドラマで参加するのか。それで賞に近づくのは、この企画の審査の性質上難しい。ネット小説の書き手にとっては暗黙の了解だった。

 それしか書けないからだ。俺のフィクションは、所詮、自分が経験したことの膨張にすぎない。そんな作ばかりで、賞だ、締め切りだ? 笑わせんなよ。

 堰き止めて、見ないふりしていた心の奥底が、溢れ出した。もうこんな生活、やめたらどうだ? もう大人のくせに現実逃避、しかも逃げきれてないし、恥ずかしくないのか? 向いてないだろ、長編書けないんだから。あーあ、俺、空っぽだな。

 流れるような、もう千回くらいやってきた執筆からSNSへ画面を切り替える操作の後、投稿。

「今作、色々あって出せなさそう」

 黒い感情を平らな文字に押し込めて、全世界に放った。無意味な行為だと自分を嘲ってPCを閉じた。


 約一週間、執筆から離れていた。他作品への嫉妬で一時的に書くのを放棄することは多かったが、今回は違った。書いていないのに書くことばかりが頭に浮かんで、でも書けないから何もする気が起きない。

 あの妙な、神様とかいう奴のせいだ。どうかしてた。一体誰の悪戯なんだ? 

 いや、悪戯だったらまだいい。全部俺の、幻聴だったら? 不甲斐ない書き手の自分が、超人的存在から励まされて執筆に励む、そういう構図を全部俺が頭の中で作っていたとしたら? 流石にそれは救われない。

 SNSは、今日も変わらず、無益で能天気だった。俺から見ても拙い文章を書く奴ですら、健気に進捗報告を投稿していた。

 こう、なりたかったのかな。

 毒づく気力すらなくなったのか、本音とまでは言えない小さな心の動きを、珍しく自覚した。こういう気持ちになるのは、高校生のときに小説を読んでいたとき以来かもしれない。

 自分を書くことは、この界隈では褒められたことではない。面白くない、人気も出ない、書き手の無能を露呈させる。それは思い知らされていた。

 いいね数、PV数、星の数、ハートの数。ネット小説の人気を推し量る数字はたくさんあるが、俺はどれも一桁しか獲得したことがない。ちゃんとしたものを書く人たちに比べれば、それはゼロと大して変わらないだろう。

 それでも。それでも? いつも手癖で書いてしまう言葉だった。無責任で嫌いな言葉だ。

 それでも、書いていた、事実。なぜだろう?


 紙の感触を味わうのは、久しぶりだった。

 ネット発の書籍化作品。俺があのサイトで読んだ初めての小説でもあった。何度も読むものだから、スマホでは所有してる感じが足りなくて通販で買った。

 楽しかった。訳あって言葉を喋れない勇者があの手この手で仲間を作って、魔王との戦いを目指す。現実から離れきった設定が、逆に今は心地よい。

 ページをめくるにつれ、主人公の述懐が増えていく。喋れないせいで仲間を奪われてしまった勇者が、自分を恨み罵る場面だ。

 そこでふと、今までにはない感情が湧いた。

 そのくらいでいいのか? そんなにぬるい自己嫌悪でいいのか? 俺だったらこのシーンは、もっとキツい、絶望的な描写にするのに。

 読むと書くは俺にとって二つで一つだ。読んだから書き始め、書き終わったから読む。突然車輪が片方になれば、うまく進むはずもない。書くことはあんなに無意味なのに、読むのは楽しくて、読んだら書こうとしてしまう。

 閉じた。どうせ筋は覚えているのだ。それだけ印象深い物語だったから。

 背表紙の作者の名を見て、どうしようもない空虚感に襲われた。同じサイトの書き手で、こうも違うのか。一方では書籍化、表紙には愛らしいイラストもあり、もう一方では現在進行形で筆を折っている。書くことは無意味だと無意味に嘆いている。

 目を閉じても浮かぶのは、書きかけの小説の描写。もう無理だと分かっているのに、何パターンも浮かぶ。

「おい、神様」

 返事はない。だからといっていないとは限らない。

「こんな俺の姿見て、楽しいか? こんな書き手のこんなカスみたいな小説が、本当に必要だったのか?」

 声は反響もせずに消えた。静寂に耐えかねて、わざと咳払いをするほどだった。

 

 

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