(5)――「ありがとうございました」

「すみません、桜居宏次朗について、他に記載のある資料はありませんか」

「お調べ致します。少々お待ちください」

 司書はそう言って、パソコンを操作し始めた。

 しかし、これまでと違って検索に難航しているのか、なかなか資料が出てこない。何度もパソコンを操作しては席を立ち、書架から本を取ってきて内容をさらりと確認しては、該当なしと呟いて、検索を再開させる。その繰り返しだ。

 果たして、司書の頭の中ではどういった回路であれこれと検索をかけているのだろう。

 「調べる」という行為ひとつとっても、なかなかの技術が必要となる。

 こと図書館の蔵書検索については、昨今のインターネットのような曖昧な検索では検索に引っかかりにくい。該当しそうなキーワードを考え抜かなければならない点で言えば、如何に発想力があるか否か――言い換えれば、頭の中にどれだけ多くのデータベースを構築しているかが決め手になってくる。だからこそ「利用者がなにを知りたいのか」が明確になっていないと、検索ワードも限定されにくく、上辺だけなぞるような資料しかヒットしないのだ。

 翻って、先に私の行った「桜居宏次朗について、他に記載のある資料はあるか」という質問だが。分野も限定しないこの質問は、だから、資料を特定するまでにそれ相応に時間がかかって当然と言えよう。司書は今、あらゆる分野の資料に思考を巡らし、あれこれと確認を行ってくれているのだから。

「お待たせ致しました。こちらの資料は如何でしょうか」

 あれからどれくらいの時間が経った頃か、司書はそう言って私に一冊の本を提示した。

 司書から渡された本の装丁は、これまでと同じまっさらな装丁で、黒色の本だった。

「確認させていただきます」

 ごくりと生唾を飲み込み、私は本を手に取った。

 これまでと同様に、目次を確認し、該当するページを開く。


 桜居宏次朗。☓☓☓☓年☓月☓☓日――桜居■■■、桜居■■、桜居■■を殺害。

 同日――自宅にて縊死いし


 縊死。

 縊死とは、首を吊って死ぬことだったか。

 私は。

 私は、首を吊って自ら命を絶ったのか?

 ぐるぐると、視界が回るような感覚に陥る。

 ぐらぐらで、くらくらだ。

 現実味がない。

 しかし、本に書かれている情報は、ある意味絶対だ。本というものは、多くの人間が関わって作られる情報なのだから。一次情報であれば、尚更だ。

 この図書館で紹介してもらった本はどれも不可思議だが、どれも事実が書かれてあった。だからこの黒い本に書かれていることも事実に違いない。

 そうだ。

 そうだった。

 思い出した。

 私は確かに、この手で両親と祖母を殺した。

 きっかけは些細なことだった。

 両親は時折、自室に引きこもる私に正論を投げつけてくることがあった。

「就職先を見つけなさい」

「社会に出なさい」

「部屋から出なさい」

「とにかく早くまともになりなさい」

 気まぐれに、八つ当たりのように、延々とそんな言葉を投げつけられる。私はそれを受け止めることができず、ただただ投げられたボールで身体に痣を作っているような有り様だった。

 その日は、なんだかいつもより調子が悪かった。

 どうにも黒い感情が己の内側で渦巻いていて、自分で自分を制御できていない感覚があった。

 そんなときに限って、父から気まぐれの正論が投げつけられ――以降の記憶は、曖昧だ。

 気がつけば私は三人分の死体を前に、立ち尽くしていた。

 この手で、両親と祖母の命を奪ってしまった。

 その事実に、私は耐え切れなかった。

 自室に戻り、手近な電源コードで首を括るまで、なにも考えてはいなかった。恐怖に突き動かされ、衝動のままに、私は私の命を終了させた。

「……ここは、死後の世界ですか?」

 思わず、私は司書にそう尋ねた。

 司書はにっこりと微笑み、

「ここは図書館でございます」

とだけ言った。

 ああ、頭が混乱している。

 現実を、状況を、理解しきれない。

「他にお調べすることはございますか?」

 司書は淡々と、それだけ言った。

「……ありません」

 ぐらつく思考で、私はどうにか言葉を絞り出す。

「ありがとうございました」

 そう言って頭を下げ、私は席を立った。

 私はこれからどうなるのか。

 裁きにあうのだろうか。

 わからない。

 わからないことは、調べれば良い。

 けれど、今の私にそれをする気力はない。

 私はふらふらと、図書館の外へ向かう。

「またのご利用をお待ちしております」

 そんな私の背に、司書がそんな言葉を掛けてきた。

 それに応える気力など、あるはずもなかった。




 終

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