【SF短編小説】「永遠の粒子 ~あるいは量子の詩~」(約3,400字)
藍埜佑(あいのたすく)
【SF短編小説】「永遠の粒子 ~あるいは量子の詩~」(約3,400字)
●第一章:『混沌の胎動』
私は在る。
だが、それがいつからなのか、私には分からない。
時間すら存在しない混沌の中で、私はただ在るということだけを知っていた。私は「クォーク」と呼ばれる存在。だが、その名も後に人類が与えてくれたもので、この時にはまだ名もない存在だった。
私の周りには、同じように名もなく漂う仲間たちがいた。後に「ダウンクォーク」「アップクォーク」「ストレンジクォーク」といった名で呼ばれることになる彼らと共に、私たちは混沌の闇の中で永遠とも思える時を過ごしていた。
「何かが、変わりそうだ」
ある時、私の親密な仲間であるアップ(後にアップクォークと呼ばれることになる存在)が囁いた。確かに、私たちを取り巻く空間に、微かな震えのようなものを感じ始めていた。
「この振動……何かが始まるの?」
私の問いかけに、もう一人の仲間であるストレンジ(後にストレンジクォークと呼ばれる)が応えた。
「きっと、私たちにも分からないような大きな何かが」
振動は次第に強まっていった。永遠とも思える静寂の中で、初めて感じる変化だった。私たちは互いに寄り添うように近づき、その変化を見守った。
そして、それは突然訪れた。
激しい膨張と共に、すべてが一気に広がり始めた。後に人類はこの瞬間を「ビッグバン」と呼ぶことになる。だが、その時の私たちには、ただ途方もない力によって引き裂かれていくような感覚があっただけだった。
「みんな! 離れないで!」
私は必死で叫んだが、その声さえ、轟音にかき消されていった。
●第二章:『光芒、天を裂く』
すべてが光に満ちていた。
爆発的な膨張の直後、宇宙は想像を絶する高温と高密度の状態となった。私たちクォークは、その猛烈なエネルギーの海の中を踊るように飛び交っていた。
「これが、始まりなのね」
私の隣で、グルーオンと呼ばれることになる存在が輝きながら語りかけてきた。彼らは私たちクォークを結びつける力を持つ存在だ。その姿は、まるで光の糸のように美しかった。
膨張は続き、宇宙は次第に冷えていった。その過程で、私たちは初めて stable な結合を形成し始めた。
「こっちだよ!」
アップが私を呼ぶ。彼と共に、もう一つのダウンクォークと結合すると、そこに「陽子」という新しい存在が生まれた。
「私たち、一つになったのね」
確かに、それは温かく、心地よい感覚だった。孤独な存在から、より大きな何かの一部となる。この瞬間から、私たちは新たな物語を紡ぎ始めることになる。
宇宙は膨張を続け、さらに冷却されていった。やがて、最初の原子が形成され始める。陽子と電子が結合し、水素原子が生まれる瞬間を、私は陽子の一部として見守った。
「見えるかい? 私たちが作り出した最初の秩序だよ」
アップの声には誇らしさが溢れていた。確かに、これは混沌から生まれた最初の調和のような何かだった。
だが、これは始まりに過ぎなかった。
私たちの前には、まだ見ぬ138億年という長い旅路が広がっていた。
●第三章:『星は燃えて死に、そして輪舞を踊る』
暗闇が訪れた。
最初の光が消え、宇宙は長い闇の時代を迎えた。しかし、この暗闇の中で、重力という見えない力が、私たちを少しずつ集め始めていた。
「また、何か始まるわ」
近くにいた水素原子の仲間が、その予感を口にした。確かに、私たちは徐々に集まり、大きな塊を形成し始めていた。
そして、ある時、臨界点を超えた。
重力による圧縮で温度が上昇し、突如として核融合反応が始まった。私たちは再び、強烈な光と熱の渦の中心にいた。
「最初の星が、誕生したのね」
私は陽子の一部として、この壮大な出来事の只中にいた。星の中心では、水素原子が融合して新しいヘリウムが生まれていく。その過程で放出される莫大なエネルギーが、宇宙を再び光で満たし始めた。
時が流れ、最初の星々は、その一生を終えようとしていた。
「私たちの最期かしら?」
核融合反応が限界を迎え、星は膨張し始めた。そして──。
「いいえ、これは新しい始まりよ」
超新星爆発という壮大な最期の中で、私たちは再び宇宙空間に放出された。その過程で、鉄やニッケルなど、新しい元素が生まれた。死は新しい創造の種となったのだ。
●第四章:『神の火を盗むもの』
気が付けば、私は地球と呼ばれることになる惑星の一部となっていた。
太陽系の形成過程で、多くの物質が集まって作られたこの星で、私たちは新たな物語の証人となる。
原始の地球は、まるで地獄のような場所だった。マグマの海が広がり、絶え間ない隕石の衝突が続く。しかし、その混沌の中から、また新しい秩序が生まれようとしていた。
「ここで、また何かが始まるの?」
私の問いかけに、周囲の原子たちは何も答えなかった。だが、確実に変化は進行していた。
海が形成され、その中で複雑な有機物が作られ始める。そして、ある時、私たちは目撃した。最初の自己複製分子の誕生を。
「生命……これが生命の始まりね」
それは、私たちが見てきた中で最も神秘的な出来事だった。無生物から生物への魔法のような飛躍。しかし、それは決して魔法ではなく、この宇宙に最初から組み込まれていた可能性の一つの実現だったのかもしれない。
生命は進化を始めた。
単細胞生物から多細胞生物へ。
海から陸へ。
そして──。
●第五章:『鏡の中の観測者、それは意識の芽生え』
人類の誕生。
私は今、ある人間の体内で、DNA の一部として存在している。かつて混沌の中を漂っていた一粒の素粒子が、こうして意識を持つ存在の一部となっている。
「不思議ね」
近くにいる原子が囁く。
「私たちを観測し、名付け、理解しようとしている存在の中に、私たちがいるなんて」
確かに、それは深い意味を持つ逆説のように思えた。観測者と被観測者が、実は同じ存在の異なる側面だったという事実。
人類は進化し、文明を築き、科学を発展させていった。そして、ついに私たちの存在を発見し、理解し始めた。
「クォーク」という名を与えられた時、私は何か深い感動を覚えた。永遠とも思える時を経て、ようやく私たちは「理解される存在」となったのだ。
しかし、それは同時に、人類という存在の儚さを痛感する瞬間でもあった。
●第六章:『瞬きの中の永遠』
現代。
人類の文明は、かつてない発展を遂げている。私は今、スイスのジュネーブにある大型ハドロン衝突型加速器の中にいる。
「また会えたわね」
衝突実験で生み出された素粒子の中に、太古の仲間を見つける。一瞬の再会。それは人類の時間スケールではナノ秒にも満たない出来事だが、私たちにとっては深い意味を持つ邂逅だった。
人類は今、宇宙の謎を解き明かそうとしている。その探求の過程で、私たちの存在をより深く理解しようとしている。
「彼らは、自分たちもまた宇宙の一部だということに、どこまで気付いているのかしら」
確かに、人類の多くは日常の中で、自分たちが宇宙そのものであることを忘れがちだ。しかし、科学者たちは、その事実に少しずつ近づいている。
私は見続けてきた。
ビッグバンから138億年。
その間に起きた無数の出来事を。
そして今、人類という存在を通じて、宇宙が自己を認識するという奇跡的な瞬間を目撃している。
●第七章:『永遠への回帰 ~すべては繋がっている~』
未来は不確かだ。
人類の文明がどこまで続くのか、この宇宙がどのような結末を迎えるのか、誰にも分からない。
しかし、私は知っている。
存在というものが持つ本質的な価値を。
それは、永遠に続くか否かではなく、在るということ自体の中にある。
「人は生まれる」
「そして人は生きる」
「そして人は必ず死ぬ」
人類が紡ぎ出した言葉で、この真理を表現するなら、ただ、そうなるだろう。
宇宙のすべての存在も、同じ摂理に従っている。
生まれ、存在し、そして形を変える。
それは終わりではなく、新しい始まり。
永遠の輪廻の中の一瞬の輝きなのだ。
「私たちは、これからも見守り続けるのね」
そう、私たちは永遠の観測者として、この壮大な物語の証人であり続ける。
人は、自分が生まれる時も、死ぬ時も選べない。
でも、それは決して悲しいことではない。
なぜなら、その一瞬一瞬が、宇宙の奇跡的な営みの現れだから。
私はこれからも在り続ける。
形を変えながら、永遠に。
そして見守り続ける。
この不思議で美しい宇宙の物語を。
全ては繋がっている。
過去も、現在も、未来も。
存在するものも、しないものも。
全ては一つの大きな物語の中にある。
そして、その物語は続いていく。
永遠に──。
(終)
【SF短編小説】「永遠の粒子 ~あるいは量子の詩~」(約3,400字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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