約束の地
桔梗 浬
約束
僕はあの景色を忘れない。
とても美しく光輝く瞬間を閉じ込めたソレを、今もなお、僕は忘れられずにいる。
※ ※ ※
「それが気になりますか?」
「あ……ごめんなさい」
「ふふ、良いのよ。私の手作りなの。気に入ってもらえたのなら、嬉しいわ。でも、まだ貴方には早いわね」
彼女はそう言うと、ソレを揺らした。
新たな雪が、小さな世界で舞い始める。小さなドーム状のソレはとても美しく、僕は飽くことなく見続けていた。
あの日、僕は父に連れられて冬山に来ていた。そこで下山ルートを間違えた僕たちは、道に迷い凍死寸前の所、彼女の住む山小屋の灯りに救われた。そしてそんな僕たちを保護してくれたのが彼女だった。
彼女はこの山小屋で、少ない宿泊客を相手に暮らしていると言っていた。
「すみません、我々が急にお邪魔してしまって」
「いえ、逆に助かりました。こんな天気ですから、直前でキャンセルになってしまって、食材などもどうしようかしら? っと困っていたところだったのですよ」
「そう言って頂けると、助かります」
彼女はにっこりと微笑み、暖かいスープを出してくれた。凄く良い香りがしたのを今でも覚えている。
父は命が助かったことに安堵したのか、いつも以上に饒舌だった。
そして、その夜……。
隣に寝ている筈の父がおらず、ドアの隙間から光が薄く差し込んでいることが気になり、ベッドを抜け出した。
吹き抜けの回廊は暖かく、下の階の灯りが漏れて足元を照らしていた。
僕はゆっくりと階段を降りたんだ。
とくんっと僕の心臓が跳ねた。
見てはいけないものを見てしまったのだ。
父とあの女性が産まれたままの姿で抱き合っている。でも僕は部屋に戻ることも、声を出すことも、何も出来ずただゆらゆらと揺れる光景を見つめていた。
暖炉の灯りと月明かりが織り成す光が想像以上に美しく、ソファーの横には彼女の手作りだと言うあのスノードームがキラキラと光輝いていた。
※ ※ ※
翌日……僕は病院のベッドの中にいた。泣きながら母が言うには、僕は雪の中で倒れている所を保護されたらしい。そして父は……行方がわからないのだと言う。
僕たちは、確かに山小屋にいた筈なのに、地元の人は口をそろえて「そんな山小屋なんてないわよ」と言う。
だから僕はあの山小屋の事を母に伝えることができなかった。それに、父のあの姿を母に言うべきではないと思ったんだ。
ただ、あの美しく舞う雪と、あの女性の白く美しい素肌、朱に染まる頬、全てを忘れられずにいた。
「消灯ですよ。眠れませんか?」
看護士さんの見回り時刻になっていた。僕は母が帰ったことにも気付かず、ボーッとしていたらしい。
「あ……すみません。大丈夫です」
「ふふ、良いんですよ。こんな時間に寝なさいって言う方が酷ですよね。でもちゃんと身体を休めないとね」
「は、はい」
看護士さんはそう言うと、僕の荷物だというモノを窓際に置く。
「どなたかへのお土産ですか? 綺麗ですよね」
「えっ?」
急に部屋の温度が下がった気がする。彼女が何を見てそう言っているのか、僕には心当たりがなかった。
振り向いた彼女に僕は目を奪われた。
何故なら彼女の手の中に、あのスノードームが抱えられていたのだ。
彼女の手のひらで、美しい雪が舞う。
その小さな世界の中、一際目を惹くものがあった。それはロッジの前に立て掛けられているモノ。見覚えのあるボードが立て掛けられていた。
これは父のモノだ。
この破損、滑落した時についた傷を完全までに再現されている。
「父さ……ん」
看護士さんが僕の手にスノードームを握らせた。
「ふふ、気に入ってもらえたのなら嬉しいわ」
「あ、あなたは……」
僕は動けない。逃げなきゃと思っているのに声も出ない。あの美しい光景が脳裏から離れられずに、身体が痺れていく。
「まだ貴方には早いわ。5年後、会いましょう。忘れないで」
彼女はそう言うと僕の目の前から消えた。
あれから5年。約束の時が来た。
スノードームは美しさを増し、雪が宙を舞う。
「ボードがなくなった……」
そう、彼女はこのロッジで待っている。今彼女は独り、僕を待っている。
僕はあの山に戻って来た。
彼女との約束を守るため、再び雪が降りあの山小屋が現れる事を。
あの日、僕もまた彼女に魅了されていたのだから……。
END
約束の地 桔梗 浬 @hareruya0126
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