第4話 シベリア鉄道
九月二十日(金)
ホームに入ると、いかつい灰色の列車が一五二〇 cmの広軌の線路を重々しく埋めていた。
私たちの四人用コンパートメントは19号車中ほどにあった。室内は下段ベッドになる二人がけシートが向かい合わせになっていて、それぞれの頭上に上段ベッドがある。部屋の奥の車窓には小さなテーブルがついていた。ベッドのサイズは、大柄な人には窮屈だろう。でもZさんも私もコンパクトサイズなので、そこは問題なかった。スプリングも申し分ない。寝返りを打つとキュウキュウと音を立てるのが多少気になったが、実際は電車の走行音に紛れてあまり耳には届かなかっただろう。鍵付きの扉は日中は開放してカーテンで軽く目隠ししている。車両の端にはサモワールとトイレがついていた。
先に乗車していたふたりのロシア人女性がそれぞれ上段のベッドを使用していたので、私たちは向かい合って下段を使うことになった。上段を使用する人は、日中は下段を座席としてそこで寛いだり食事を取ったりする。だから、下段は上段が起きてくる前に起きてベッドを座席として使えるよう整えなくてはならない。こう書くと下段は面倒くさいように思えるが、上段の人は気を利かせて、かなり早い時刻に上にご帰還くださる。また、下段だと優先的にテーブルを使えるし、さらに、下段ベッド下の収納スペースにスーツケースを出し入れしやすい。
荷物といえば、Zさんの荷物があまりにコンパクトなことに驚いた。私のスーツケースも三、四日用のサイズで比較的小さめである。Zさんの荷物はそれより一回り小さかった。二、三日用だよね? なのに、出てくるわ出てくるわ、必要なものが次々と飛び出す。着替えは洗濯をしなくてよいように日数分持ってきているとのことだし、故郷の味まで持参していて、ご馳走になった。大きな一眼レフが出てきた時には本当に驚いた。
ロシア語はさっぱりなZさんと私だが、同じスラヴ語族のC語が多少できる。多少、というのは、留学されていたZさんが多、私が少だ。ロシア語はキリル文字、C語はローマ文字なのでまったく別物に見えるが、音で聞くとそれとなくわかることが多い。それに慢心し、私はロシア語対策を全くしてこなかった。会話帳も辞書も何も持っていない。Zさんもである。今考えると、ふたりしていい度胸だ。
同室のおばちゃんたちとはほとんど交流できなかった。私たちと積極的に話してくれたのは、別の部屋に夫と子供と一緒に乗車してきた三十代のジェーニャだった。英語の喋れる彼女は、共同通路で顔を合わせたときや、幼い息子を通路で遊ばせているときなどに気さくに話しかけてきてくれた。家族でチタの両親のところに行くの。移動にはシベリア鉄道をよく使うわよ。シベリア鉄道が現地の方の実生活に利用されているというイメージはなかったので、その言葉を聞いたときには驚いた。私が子供のころ、今はなきブルートレインで九州から関西の親戚の家まで行っていたようなものか。
ヴラジヴァストークを出てしばらく暗い水辺を走っていた。そのあと、日がのぼってから、広大な大地を走るようになった。水色の空の下には、ときに淡いベージュの大地が、ときに空を溶かしたような沼の点在する湿地が広がり、黄葉した葉を鈴なりにつけた白樺が林立する。秋風に黄色の葉をしゃらしゃらとそよがせる一面の白樺は息をのむほど美しかった。
九月二十一日(土)
シベリア鉄道二日目、朝食にヨーグルトとパン、昼食にソーセージとカップ麺、夕食にソーセージとマッシュポテト。
各車両には、専属の車掌さんがいる。青い制服に制帽の車掌さんには女性が目立った。車掌さんは働き者だ。乗降客の管理はもちろんのこと、担当車両の全部屋の掃除、ゴミの収集、土産物販売も行う。毎朝コンパートメントの床やカーペットの掃除に陽気な挨拶をしながら入って来る車掌さんはとても感じが良かった。
鉄道旅行の懸念事項のひとつに、三日間シャワーが使えないということがあった。有料のシャワー室があるという噂もあったが、列車によるとか、一等車専用だとか、確固たる情報を得られなかった。そのため、大判のボディーシートをたっぷり持ち込み、頻繁に体を拭いた。ドライシャンプーも準備していったが、こちらは使うタイミングがなかった。空調は、暑がりの私にはやや高めだが、半袖で過ごすのにちょうど良いくらいだった。
九月二十二日(日)
シベリア鉄道三日目、朝食にマッシュポテトとバナナ、そのあと停車したホームで買ったピロシキ(75ルーブル)を食べた。各駅の停車時間が二十分前後と比較的長いので、ホームで営業している屋台で飲食物を買えるのが楽しい。昼は、Zさんが休んでいたので、干しプラムと煎餅をかじった。
うたた寝するZさんを見ながらぼんやり考える。
Zさんは妬ましいくらい多方面の才能に恵まれた人だ。ひとところに腰を据えるのではなく、常に追われるかのように新たな居場所を模索している。私がことに惹かれるのはその努力がいかにも不器用に見えるからかもしれない。弱音を漏らしながら、ただひたむきに。その場で足踏みすることになったとしても、足を動かすことは止めない。こんな醜態をさらすくらいなら諦めるという人がほとんどだろうと思われる状況でも、彼女はやり遂げる。それを見て、くすくす笑う人がいるかもしれない。ぷっと噴き出す人がいるかもしれない。でも彼女は恥ずかしそうに笑いながら前進し、いつの間にかはるか遠くに達している。まさに、ウサギとカメだ。
夜は、食堂車へ行ってみた。食堂車は7号車なので、二等車、三等車、一等車と何車両か通過していかねばならない。共同通路にコンパートメントが並ぶ二等車と一等車は問題ない。問題は三等車だ。若者を乗っけた二段ベッドが共同通路の左右両側にぎっしりとひしめいている。上半身裸の兄ちゃんが侵入者に流し目をよこす。車両全体にむんとした体臭がこもっている。言うなら高校の男子寮だろうか。好奇の目に辟易としつつ、こちらも存分に観察しながら足早に通過する。何と言っても、もう二度と乗ることはないかもしれないのだから。
ようようたどり着いた食堂車は空いていた。明るくこじゃれたレストランだ。自分たちが場違いなところに迷い込んだような気分になって、落ち着かない。料理は上品なサイズのわりに、ややお高めだった。パンケーキのイクラ添えが470ルーブル、キノコとチーズを載せたバンズが330ルーブル。
それよりも、缶ビールが450 mLであったことに私は衝撃を受けた。ロシアではビールは500 mLではなく450 mLなのか? 一割少ないのは大きな差だ。女性の手首のようなスリム缶を握りながら悲しくなる。
夜、ふと目覚めると、月光が額を照らしていた。起き直ると、荒野にぷかりと月が浮いている。窓の外の風景はめったに加速もせず減速もせず、ひたひたと過ぎ去っていく。きっと私はもう一生目にすることがないであろう光景。突然、そのすべてを目に焼き付けねばという焦りに駆られるが、苦笑し、再び横になる。列車の絶え間ない振動を背に感じていると、たとえ自分が何もできず横たわっていても、世界は動き、私を運んでいくのだという安心感と切なさを感じる。
九月二十三日(月)
シベリア鉄道四日目、昼頃から車窓一面にバイカル湖が現れ、穏やかな湖面をふたりでしみじみと見入った。はるばる来たなあという気持ちがわいてくる。十五時過ぎにイルクーツク駅に到着し、シベリア鉄道を下車した。さらばシベリア鉄道。
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