白く咲き乱れる光

自至

第1話


「もうよしましょう」

体の中に残っている最後の言葉を絞り出すようにぽつりと君は呟いた。激しい雨が窓に打ち付けられて酷い音をたてている。でももうその音すら私達には霞んで聞こえる。君は今何を思っているのだろう?何故私の隣に何時までも居るのだろう。まるで飼い主から捨てられた野良猫が初めて愛されその人間にいつまでも着いて回るように、君は私に何時までも謙虚に着いてきた。ああ、何も思い出せない。突然チャンネルを変えられた様に私は少し前のことが思い出せなくなっていた。しかし動揺すらしなかった。もうそんな気力すら残っていない。君と私は愛し合っていたし普通の恋人の様に2人で色んな所に出掛けた。しかし最近の私と君2人で過ごした時間は何故か思い出せない。君は私の傍にいつでも居てくれたじゃないか。君の花が咲きみだれるような幸福の笑顔は、今ではめっきり見なくなった。その代わりに君は良く物騒で堅苦しい笑顔を私に向けてくる。それはまるで心が元から備わっていないのに感情を覚えさせられた機械の様に、他の人間を真似て作った偽りのプログラムされた感情のように思えた。そのくらい歪である。しかし情けない事に私は君がそうなってしまった理由を忘れてしまった。何故だろう、思い出そうとすればする程君は遠くに行ってしまう様な気がする。私はもう、やめにしよう。そう思った。君の存在を無視して私はこの錆びれた部屋を静かに出た。足に靴を引っ掛けてそれはもう酷いくらい乱雑に歩いた。自分が何故家を出たのか、そしてこんなくらい夜の道を雨に打たれながら歩いているのかも分かっていない。私の不安な気持ちに釘を刺すかのように雨は冷たく痛く体を冷やした。きっと上着も着ていないのだろう。私の体はもう死んでいるように冷たく、力ない。私の体力が限界を迎えた時海に来ていた。そして何も考えず青黒い海に向かって歩き出した。砂浜に足がすくわれ、まるでそっちに行くなと私を止めているようだった。私の自殺を止めてくれる存在は無機物の砂のみであった。君はもう私のことを止めてくれすらしないのか、もうそんな私は死んでしまおう。なんの躊躇いもなく私は冷たい海に体を沈めていた。すっかり深い場所まで来てしまった。もう足もついていない。既に何度かこのしょっぱい海水を体に取り込んでしまった。溺れるというのは非常に体力が失なわれる。もう浮いている力もない。私の耳には激しく打ち付ける波の音と空から降り注ぐ雨の音しかしなかった。波の上に雨が打ち付けられる様子は雨が海を愛おしく思いやっと2人になれたねと悲しみの涙を流しているように感じられた。もう駄目だ、私は静かに抵抗を辞め深い海に沈んでいく。その時私は玄関の前に居た。見慣れた玄関、君の家の玄関。これはきっと走馬灯だろう。今日は君の誕生日だから一番にお祝いをしたくて私は君の大好きな菊の花と、そしてダイヤが埋め込まれた丸いシルバーのリングも手にしていた。早く君の顔が見たくて浮かれながらも緊張しながらチャイムを鳴らす。普段几帳面な君は一回目のチャイムで扉を開けてくれるのになぜだかその日、君は答えてくれない。何故だかその部屋からは恐ろしい程に物音がしなかった。留守なのかと考えたが君は昨日、明日は仕事が休みだから部屋で私を待っていると言っていた。私はこのどんよりとした君の部屋の扉を何となく開けてみた。すると鍵が掛かっていない扉は苦しい音を立てて開いた。そこに君は居た。君は、死んでいた。可笑しくなるほど冷たい君の周りには沢山の薬瓶が転がっている。そして君の横には薬を飲むのがしんどくなって嘔吐した形跡があった。私は菊の花を床に叩きつけるように取り落とし、この現状を理解しようと必死になっていた。君が残した胃酸の匂いが鼻を刺激し何故だか涙が出てきた。これは何かの間違いだと思いたくて私は必死に心の中で君を生かそうとした。慌てて救急車を呼ぶが君はもう死んでいた。分かっている。君の心、即ち君の大切な魂はもうここには無く、この世界で生きていくための入れ物のみがここに残されていた。その入れ物をぼーっとみつめながら私は、考える事を辞めた。そうだ君は私を置いていった。何故なんだ、私が死にたがることは何度もあった。だけど君はいつでも私に死ぬなと言ってきたじゃないか。残される私の気持ちを考えたことはあるのといつも私に泣いて縋ったじゃないか。君の為に、少しでも長く朝を迎えようと思っていた気持ちを裏切ったのは君ではないか。私の目からは海の1部になる物が零れている気がする。しかし水の中でそんなことは分かりはしない。君が死んでからわたしは心の中で君を生かし続けた。そうでないと、私はもう肉の入れ物でしか無かった。君が居ない現実は酷く痛く苦しく息をすることが罪のように思えた。自分の血液を全て抜いてしまいあの日の君と同じように冷たくなってしまおう。そう思った。だけど私は死ねなかった。日に日に何もすることが出来なくなり、冬の寒さすら感じ無くなっていた。そうだ、思い出した。だけど思い出した所で君はもう居ない。そしてもう時期私もいなくなる。体が私の意思で動くことをやめ始めた時、海は明るい光を吸収していた。きっと朝の輝かしい光だろう。その光は海の底まで届くことは無いが、何本もの光の線となり、くらい水に刺さっていた。その光は何本もの束を作り私の体を包み込んだ。ああ、きっともう私は死ぬ。なぜならその光は君が好きだった菊の花にしか見えなかったからだ。


もう時期、君の元へ参ります

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白く咲き乱れる光 自至 @Marie0731

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