となりの怪異くん
ももも
となりの怪異くん
「依田くん、お願いです一生俺のそばにいてください……!」
ひゅう、と春の風が俺の髪の毛を撫でる。
夕方の校舎は赤く染まり、遠くから部活動を終えた生徒の声が聞こえてきた。青春だ。甘酸っぱい空気ってこういうことを言うのかな。
目の前のその人は、死にそうな顔をしながら俺の答えを待っている。
「甲斐くん、えと、あのさ」
――体、大丈夫?
俺は声を震わせて問う。
プロポーズみたいなことを言い出した甲斐くんは、ずたぼろでガチで死にそうなのである。これは比喩じゃない。
制服は所どころ破れ、頭から血が流れる。脱げたローファーが少し離れた場所に寂しそうに転がっていた。
「痛むけど、平気……」
「あ、救急車呼んでくれたって! 甲斐くんとりあえず喋るな。死んじゃうから!」
この時の俺たちの位置、中学校校舎から数メートルの交差点。
俺がこの場に来た時には車が信号に突っ込み、その少し先に甲斐くんが倒れ、運転手らしき男性がスマホ片手におろおろしていた。
俺はこういう時どうしていいか分からなくて、ひたすら甲斐くんの応援した。寝るな、生きろ。寝たら死ぬぞ! とか言ってたと思う。
騒ぎを聞きつけて集まってきた野次馬が「怪異くんだ」と口にしたのが耳に入る。
「甲斐くん、生きろ! そんで、えーと良い男になったら一生一緒に居てやるから!」
「良い、男……なる」
「そうそう、やることいっぱいだから寝てる場合じゃねーな!」
そうですね、と呟くと、甲斐くんは眼鏡の下のまぶたをとじる。コンクリートに散った黒髪が微かに揺れた。
「甲斐くん? えっ甲斐くん?」
喋らなくなった甲斐くんの手を強く握りながら、俺は腹の底が冷えるのを感じた。
というのが、中学二年生春の話。俺たちがお付き合いを始めるきっかけだ。
「依田くん、おはよう」
「ういー甲斐くん今日もお元気ですかー?」
「元気ですよ」
へにゃ、と笑うお顔は健康的な色をしていて俺は安心です。
俺より少し背の高い甲斐くんと並んで学校を目指す。朝の駅は俺たちのような学生や出勤する社会人で賑やかだ。
現在高校二年生、俺も甲斐くんも元気いっぱいである。
成長した甲斐くんは、誰がどう見ても良い男に育っていた。
眼鏡はコンタクトになり、長めだった髪の毛はセンターパートに整えられていて、凛々しいお顔が良く見える。眼鏡を外すとイケメン現象って、こういう感じなんだなぁというのを実感している。
俺? 心はイケメンだよ。
「そうだ、依田く……おわっ!?」
「え? な、にィ!?」
改札に向かう途中少し後ろを歩いていた甲斐くんが悲鳴を上げる。
なんだ、と振り返った瞬間、俺の背負うリュックにとんでもない重力がかかりそのまま視界がぐるんと回る。
視界に映る駅の天井、痛む尻。ころころと転がっていく空の缶コーヒー。
理解した。甲斐くんが空の缶を踏んで転んだのだろう。そして咄嗟に俺のリュックに手を伸ばし、仲良くすってんころりんってわけだ。
「ごめん! 依田くん大丈夫ですか!」
「オーケー、あの缶踏んだのかぁ」
「足元見てなくてごめん」
甲斐くんはたまーにこうしたうっかりがある。いやまあ、俺が通った時あんな缶なかったし不意打ちってやつなのだろうけども。
朝の忙しい時間とあって、すっころんだ俺たちに手を差し伸べる者はなく、お互い自力で立ち上がる。一人なら恥ずかしいけど二人だと笑い飛ばせるのでお得だ。
改札を抜け、電光掲示板を確認する。よし、今日は遅延なし。心の中で一人安心していると、またしても背後から甲斐くんの悲しそうな声が聞こえた。
「ごめん、ちょっと改札が」
「ちょいまち、駅員さーん」
定期をタッチしても改札を通れない甲斐くんなんてのは日常茶飯事だ。こういうこともあろうかと、登校時間は少し早めの設定にいている。
どの改札通ろうとしてもピンポーンってなるのは、甲斐くんと後ろに並ぶ人たちには悪いけど面白い光景である。
甲斐くんとは小学校五年生からの付き合いだ。
席が近かったから話すようになって、中学一年生くらいで少し疎遠になり中二でまた仲良しになった。仲良しっていうか、お付き合いするようになったというべきか。
だから甲斐くんのこういうトラブルにはだいぶ慣れたもんだ。
甲斐くんはいつも申し訳なさそうにしているが、俺もテスト勉強や課題手伝ってもらってるしこういうのは持ちつ持たれつってわけ。
「そんで、なんか話あったんじゃないの」
「ああ、そうそう今日一緒に帰れないかなって、依田くんバイトは?」
「ないよー。そっちは部活ねーの?」
「今日は顧問が居ないから無し。じゃ、放課後迎えに行きます」
「まってまーす」
あくびついでの返事に甲斐くんは眉尻を下げて笑う。
いやあ、かっこかわいいですねぇ。恋人フィルターかもしれないけど、こんなん俺が女子だったら倒れてただろうな。
優しくて格好良くてお勉強もできて背もそこそこ。ほぼ完全無欠の甲斐くんだが、何故か周りに人が寄り付かない。
というのも俺は実感したことないのだが、甲斐くんは少し人より運が悪いらしい。
中学生の頃からの友人から聞いた話だが、周囲を巻き込む不運っぷりという話だ。
甲斐くん居るところに災難あり、ついたあだ名は怪異の甲斐くん。
甲斐くんが居ると事故が起こり、災害に襲われる。死者は出ていないが酷い目にあうとの噂だとか。
中二の頃は長い前髪と眼鏡で顔を隠していたから、確かに妖怪的に雰囲気はあったけど怪異扱いはよろしくないんじゃない? と俺は思う。
電車に乗って二駅、そこから徒歩五分で俺たちの通う高校に着く。
「じゃ、また後でー」
「ん」
俺と甲斐くんはクラスが違うため階段を上がってお別れだ。
去っていく甲斐くんの背中を見ながら、俺は首を傾げる。
付き合って何年か経つけど、手すら繋いでないんだよね。お付き合いしてるけど、友達の域を出ていないような。
やっぱ同性同士だし? 何して良いか分からんとこあるよな。距離感がまず難しい。思春期だからこそべたべたするのもちょっと恥ずかしい的な。
廊下を歩きながら、スーパーなダーリンを目指すべきか悩んでいると、背後からぽんと肩を叩かれた。
「よっちゃんおはよ」
「しーちゃんおはよ」
「重田をしーちゃんっていうのお前くらいだわ」
「四葉をよっちゃんていうのもお前くらいだわ」
俺のオウム返しに嫌な顔をした重田は、どんと肩をぶつけてくる。
「お前、怪異くんと仲良しだよなぁ、昔から」
「その怪異くんってやめない? いじめですよ」
俺の肩に腕を回した重田は、苦いものを食べたような顔で首を横に振る。何か言いたげな素振りに、俺は足を止め話の先を待った。
「お前くらいだって、怪異くんと仲良しできんの。呪われるぞ~?」
「それそれー、お前らが変な噂広めるから甲斐くん高校でもぼっちじゃねえか」
「いや、広めてねえし。たぶん怪異の所以を味わったやつらのせいだって」
重田が声を潜めて言う。友人が悪事を働いているだなんて疑うのは良くないか、いやでも怪異の所以ってなんだよ。
朝のざわめきを聞きながら、甲斐くんとの思い出を振り返る。
小学校で出会って、席が近いからって先生に仲良くするように言われて仲良くなった。甲斐くんはあんまり喋らないけど俺となんとなく波長が合っている気がして、遊んでて楽しかったと思う。
中学になって、クラスが離れた。家が微妙に遠いこともあってそこで遊ぶ機会が減って、中二のあの出来事でくっついた。手すら繋いでないけど、俺と甲斐くんは結構親密度高くなってるはずだ。
うーん、ここまで別に大きな事故も怪我の記憶も無い。ああでも、甲斐くんよく側溝にはまって半泣きになってたなぁ。泣いてる甲斐くんに当たりのアイス棒をあげたことがある。
「甲斐くんと遊んでても変なことあった記憶ねーな、やっぱ」
「俺は中学時代一緒に帰って骨折った」
そんなことあるだろうか、それなら甲斐くんあんなに格好良く育ったというのに勿体ない。いや、いいのか? 愛しい彼ピを独り占めとか喜ぶべきことだろう。浮気の心配無いってことだし。喜ぼう。
「依田くん!」
「おわ、びっくりした。甲斐くん?」
俺と重田の間に割るように入ってきた甲斐くんは、珍しく険しい顔をしていた。
廊下を行き交う生徒が何事かと好奇の目を向けるも、あ、怪異くんだ! と少し距離を置く。
「借りてた教科書、返すの忘れてて」
「あー、俺も忘れてた! どーも」
「いや、お礼を言うのは、俺の方なんで」
それじゃ、というと甲斐くんは一度重田へ視線を向けた。
一瞬の間、なんだこれこわい。そう思ったものの、颯爽と去る甲斐くんに気のせいだったかもと思い直した。
「え、何今の」
「気のせいっしょ?」
「てか、それ呪物じゃん」
「やめろばか」
重田にローキックをし、俺も自分の教室へ向かう。
なんだっていいんだ。俺は甲斐くんと居て何もないし、俺は頑張りやの甲斐くんが大好きなのだから他人なんて関係ないのである。
放課後、迎えに来た甲斐くんとともに朝来た時と同じように駅へ向かう。
校門前と学校から一番近い交差点に教師が立っており、集まらないピクミンのような生徒たちに広がるなと声をかけている。
駅に向かう途中、工事現場の仮囲いの横を通る。
「ここずっと工事してね?」
「してる。俺が通ると事故が起きそうで怖いから早く終わってほしい」
見上げると、鉄骨をぶら下げたクレーンがゆっくり動いているではないか。ここにビルでも建つのだろう。
「何言ってんの、てか事故起きたらここが無事じゃねえな?」
工事現場の向かいにあるバス停を指さす。そこにはバスを待つ人々が普段通り列を作っていた。
「依田くんと一緒なら大丈夫」
「なんでだよ、一人でも通る時はどうなのよ」
「祈る」
しょっぱい顔をする甲斐くんと共に駅前にたどり着く。
朝ほどの賑わいは無いが、ターミナルビル目的の人たちが増えており、すぐそこにある宝くじ売り場にもちらほら人が集まっている。
「そういやこの前お金当たった」
「お金?」
「母さんに削れって渡されたスクラッチ」
我が母は宝くじ売り場を見つけると何故かスクラッチを買ってくる。そして俺に削らせるのだ。
「五万だっけな、当たったの。んでちょっとお小遣い貰えてさ」
「すごい、俺そういうの絶対当たらない。さすが依田くん」
「買った母さんがすげーの、俺じゃないよ」
「そうかな、俺は依田くんのご利益だと思う」
「ご利益て、俺は招き猫か?」
「いや、本当に! ほら小学生の頃お金拾ったりしてたしくじ付きのモノ買うと必ず当たる」
甲斐くんの目はまっすぐで曇りが無い。
確かに俺は小学生の頃お金の入ったカバン拾って、警察に届けたら持ち主からお礼を貰えたことがある。当たりのあるお菓子なんかは必ずと言っていいほど当たりが出るし、俺がタップするとガチャからSSRが出るらしい。
「それに、俺は依田くんが居るから五体満足で生きてるっていうか」
「なーにそれ、俺はお守りか?」
心なしかきらきらした目の甲斐くんを笑って誤魔化し、俺は本題に入る。
「んでんで、週末暇だったらデートせん?」
「で、デートって、遊び行こうってことですか」
「そ、今ならごはんくらなら奢れるし、観たい映画あるって言ってたじゃん」
「でもあれホラー……。依田くんホラー苦手じゃなかった?」
「へーきへーき、重田も観たんだって。そんな怖くなかったって言ってた! 今度一緒に観ようって言われてて、その予行練習的な!」
「重田くんが……?」
「うんうん俺でも平気だって!」
言い訳を並べるが、ホラーは苦手だ。血が出るのも駄目だし、お化けが呪ってくるのも怖い。
だけど一緒に出掛ける口実なのだから、無理だなんて言わない。デートってわざわざ言ったのも、俺たちは恋人だぞ! と意識をさせたかったのだ。
それに、ホラー映画なら手握っても許されそうだし。
どうかな、駄目かな。どきどきしながら待っていると、甲斐くんは目元を手で覆って考える。なにそれどういう感情?
「分かった。何時に行く?」
薄い唇が笑みの形になる。雪を初めて見た犬のような気持ちになった俺は上ずった声で返事をした。
「依田くん、その、大丈夫ですか」
「そ、そそそりゃまあ、ヨユーっしょ」
約束の日、俺はリレー代表を任された中学最後の体育祭よりも張り切っていた。
なのになぜ、俺は今甲斐くんに背を支えられながらバスを降りているのだろう。
今日でお手てを繋いでチューまで行けちゃうんじゃねーの! なんて、俺は自分の実力を過大評価していたようだ。
昼前に最寄の駅で待ち合わせをした。
目的地へ向かうバスはいつも学校に行くときに使う駅から出ていて、まずは二人でそこに向かった。
天気は晴天、風はやたら強いが爽やかな一日を予感させる空、俺のテンションはそれはもう宇宙いっちゃうレベルに高かった。
休日も工事を頑張ってくれているお兄さんたちに敬意を表しながらバスを待ち、希望を胸にバスに乗り込んだはず。
甲斐くんのコートがバスのドアに挟まれるハプニングもなんのその、俺の足取りは軽かった。
運動もできて映画も観れて買い物もできる。ここだけでめちゃくちゃ遊べるので、映画の後もいろいろ回ろうと思っていた。
それがどうだ。俺は今、甲斐くんコートの裾を掴んだままぶるぶるしている。
これは武者震い。自分に言い聞かせてもさっき観た映画が頭の中でぐるぐるしていてどうしようもない。
実は重田に誘われているのは本当なんだけど、あいつ俺がこうなるの分かって誘ってた。絶対行かない。許さんアイツ。
何故日本の映画は、理不尽な幽霊が無関係の無辜の人を呪うのだろう。
映画の舞台が高校って時点で学校に行くの嫌になるじゃん。もしかしたら窓の外にあの幽霊が居るかもって思っちゃうじゃん。隙間から見てるかもってなるじゃん!
グロ描写無いからいけると思ってたのに、俺の心は綺麗に折られた。
意気揚々とポップコーン買ったくせに気が付いたら甲斐くんに押し付け、俺自身も甲斐くんにしがみついていた。
甲斐くんは、目を閉じてる俺に今怖くないよって教えてくれてたけど、違うよ甲斐くん。ホラー駄目な人間は何でもない場面でも怖いんだ。
行きはよいよい帰りはこわいとはこのことか、今日は猫を布団にいれて寝よう。
そんなことを考えていると、少し離れた位置でざわめく気配を感じた。
「あ、依田くん、靴紐ほどけてる」
「まじか」
周囲の気配をうかがう俺に、甲斐くんが声をかける。見ればスニーカーの靴紐がほどけていた。
駅に向かう足を止め、結ぼうと腰を下ろした瞬間――
「依田くん!」
ぐい、と引き寄せられる感覚、意識を切り取るような轟音と振動。
地鳴りのような音と共に、俺たちの背後に居たマダムが悲鳴を上げる。
脳みそが揺さぶられたように覚束ない意識が徐々に正常になり、倒れた標柱とひしゃげたガードパイプ、変な位置に居る車を認識できた。
騒然とする周囲の空気を感じつつ視線を下ろすと、俺の足先に鉄骨が転がっているではないか。
甲斐くんに抱きしめられたまま、俺は深く深呼吸をする。いやー危なかった。
「靴紐のおかげで助かったぁ甲斐くんさんきゅー」
ていうか、怪我してる人他に居ないかな。作業員さんたちが確認してるし、警察も来るのだろう。大人に任せりゃ問題ないか。
上を見ると、鉄骨を上層へ運ぶ予定だったろうタワークレーンが申し訳なさそうに佇んでいた。
「甲斐くん、だいじょぶ?」
「ああ、うん」
その後帰路についたは良いものの、甲斐くんはだんまりになってしまった。
もともと無口ではあるのだが、今はもっともっと無口である。
俺たちの最寄駅は、途中大きな川がありそこに橋が架かっている。天気のいい昼間は川沿いを散歩してる人がいたり、夏はバーベキューをしてる人や野生の釣り人も発見できる場所だ。
そんな川は今、夕日で赤く染まり水面はきらきらと柔い光を反射していた。
甲斐くんの腕を引っ張って川べりに連れて行く。少し怯えた顔をしているけど気が付かないふりをした。
「怒ってる?」
「怒ってない……」
「俺たち、付き合い長いじゃん? なんかあれば言ってほしいなーっと」
言いながら、平べったい石を拾って川に向かって滑らせるように投げる。
一回二回と跳ねたそれは、最後静かな音と共に水中へ沈んだ。
「依田くんと居ると、俺の悪い運がマシになってる気がして」
自他ともに認める不運の話か、俺運が良いとか悪いとかあんまり考えないようにしているんだよね。だって占い見て落ち込んだりしたくないし、見えないもののせいにするのが好きではないのだ。
「俺、小五の時こっちに越してきまして」
「知ってるよ、変な時期だったねぇ」
「うん。両親が死んだから叔父さんのところにきたから」
両親が死んだ。重い言葉に、俺は石を拾う動作を止めた。
「交通事故で二人とも死んで、一緒に乗ってたのに俺だけ生き残った」
「うん」
「課外授業で俺のいる班は、車がつっこんできたり鉄砲水にあったり、強盗に遭遇したり」
「うーん」
「気が付いたら変なあだ名がついて、友達が居なくなって」
それらを甲斐くんのせいだって言いたいのだろうか。不思議なことだ。
甲斐くんが自分を不運と嘆いたり、怪異と言うのはまだ許せる。自信に降りかかった不幸だからだ。でも、他人が言うのはやっぱ違うよなって思う。
傾いた太陽が物の形を削るように地上を照らす。影の濃くなった甲斐くんの目元は、まばたきのたびにまつ毛の影が動く。
「でも、依田くんと居るとそういうことが起きないんだ。俺も、周りの人も傷つかなくなって」
「もしかして俺とお友達になってくれたのは~?」
「……申し訳ないと思ってます。でも、依田くんと居て楽しいのは嘘じゃない」
「ならよし」
なんとなく理解した。外で遊ぶのが大好きな俺にインドアよりな甲斐くんが傍に居た理由。
本当に、お守りみたいなもんなんだ。
「依田くんとなら、大丈夫って思ったんだけど……今日はちょっと不安になった」
「たまたまじゃん? 甲斐くんは関係ないでしょ」
「そうかな」
「そうですよ」
不安そうに眉を寄せる顔は、今までの悪い経験が積み重なってしまったのだろうと察することができた。
こういう時なんといえば良いのだろう。ご両親のこともあって、自分のせいで同じことが起きたらって怖いんだろうな。
下手な励ましはしたくない。少し考えて、俺は甲斐くんの頬に手を伸ばす。
「俺は大丈夫だぜー? 一生一緒に居るんだろ?」
「さっきのことで、やっぱり俺は一人のが良いのかなって」
「やだやだ俺がやだ! 甲斐くんのこと大好きだからやだー」
ほっぺをぺちぺち両手で叩いてやると、甲斐くんは目を真ん丸にする。いつもどこか眠たそうな目だけど、こうして大きく開くと幼く見えた。
甲斐くんは視線をきょろきょろと泳がせ、おそるおそると言った様子で俺へと戻す。
「依田くんは、誤解させる物言いをしすぎ、だと思う」
「誤解?」
「デートとか、大好きとか」
事実なんだけど、なんで誤解。全然わからん。お前は俺を好きじゃないのか。
「え、好きだよ。甲斐くんは俺のこと好きじゃねーの」
「それは、好き、ですけど。そういう好きじゃないっていうか」
そういう好きじゃない!? 恋人として見られていなかったのか、そういうことなのか? 困惑を通り越して絶望なんですけど、俺はこの数年できみのこと大好きになったんですけど!
俺が何も言えずにいると、甲斐くんが意を決したような顔で口を開く。
「依田くん、あの、俺依田くんが好きで」
「うん」
「でも、俺男だし」
「知ってる。それが?」
「良いんですか」
「なに? 今更?」
「うん?」
「え?」
なんか変だな、と思い始めたのかお互いに眉間に皺が寄る。
数秒の無言。橋を通る車の音がやたら大きく聞こえた。
「俺ら、付き合ってるよな?」
「そう、だったん、でしょうか」
「だって、俺にプロポーズしたじゃん! 中二のとき!」
「あれは、そういうのじゃなくて」
夕陽のせいだけじゃなく、顔が赤くなっている甲斐くんはそこでいったん口を閉ざす。
俺は瞬時に過去から今の記憶を整理した。
俺が居ると、不運が和らぐような話だったな。で、俺と行動する理由がそれだった。つまり一生そばに居てくれってのは――
「……どうも、依田大明神です」
ガチのマジでお守りかよ、俺はわざとらしく頬を膨らませてみせる。
友達兼お守りだもんね、そういう意味で言ったんだよねあの瞬間も! 考えるまでもなかった。俺自身何度か言ったもんね。ややこしい言い方しやがって。
「依田くん、ずっと恋人のつもりだったんだ」
「うるせーな、やめろやめろ! 恥ずかしすぎる! 俺の三年どうなってんだよ!」
羞恥心で顔が真っ赤になってるのが分かる。一人で告白受けた気になって、後方彼氏面して、しゃーねぇ俺が幸せにしたるか! って一人で盛り上がって、気が付けるタイミングあったろ俺。もうお嫁にいけない!
顔を両手で覆ってその場にしゃがむ。川に飛び込んで泳いだら絶対に甲斐くんもついてきちゃうからしない。
「あの、ごめんあの時は必死すぎて……。依田くんが来てくれたのを見て、やっぱり俺には依田くんが居ないとだめだって」
「分かってるよぉ、俺が悪いんだ……」
「聞いてほしい。俺を好きになってくれたってことで良いのでしょうか」
「うん」
「すごく嬉しい。俺も好きです」
はっきり言い切るその声は、いつもの頼りない甲斐くんとは大違いだ。
そろそろと手を下ろし、甲斐くんを見ると思ったより近くに顔があって驚いてしまった。
「ずっと好きで、でも、そんなこと言ったら友達ですらいてもらえないかもって怖くて」
「ふへへ、俺はその瞬間もかれぴのつもりだったんだぜ」
「ごめんなさい」
「じゃ、今日から正式にお付き合い? なら好きってもっと言えよほらほら! 三年分な!」
俺は普段、できるかぎり甲斐くんの前では紳士的であろうとしていた。重田の前みたいなクソガキではなく、お兄ちゃんって呼びたくなるような大人っぽい男子になりたかった。
でも今はもういいや、足りなかった愛をたくさんもらおう。俺は今日から三歳児だ。
「俺と居ると、危ない目にあうかも」
「俺は甲斐くんのせいって思ってない。億が一そうだとしても、俺は離れないし不運なんかグーパンしてやんよ」
拳を握ってみせると、甲斐くんの頬が緩む、幼い笑顔に俺の心臓もテンションを上げた。
「格好いい。依田くんのそういうところ本当に好きだ」
そう言って、甲斐くんは俺の手を両手で包む。
よし、ここはぎゅっとしてちゅーだろ、誰が見てようが俺は気にしない。来い。そうやって待ってみるが甲斐くんはにこにこしたまま動かない。
「もーいい、帰ろうぜ」
「ん、あ、そうだ。依田くん、付き合う前に約束をしたい」
諦めて立ち上がった俺を、甲斐くんが引き留める。俺の手首をつかむ手が思ったより大きくて驚いた。手つないだことないもんね。初めて知った。
数秒の沈黙の後、甲斐くんが口を開く。
「重田くんと距離が近すぎます。これからは俺以外とこの距離で話さないでほしい」
そう言って、甲斐くんとの距離がほぼゼロになる。
鼻がくっついちゃいそうだ。確かに重田ってやたら肩組んでくるし、このくらいにはなるか。
「前から思ってた。重田くんを呪いそうになるくらい嫌だった」
「え、ええー? 人を呪わば穴二つだぞ?」
「依田くん?」
「善処します!」
笑顔で言う俺に甲斐くんは不満そうだが、ちょっとした意趣返しだ。可愛いもんだろう。
甲斐くんが帰りに手を繋いでくれたら、改善しよう。
「甲斐くん、俺が幸せにしてやっからそんな小さいこと気にすんな」
「小さくない」
もしかしたら、甲斐くんは重い男かもしれない。いや恋人ってそういうもんなのかな。まあいいや、と思考を切り替えた俺は飛ぶような足取りで帰路についた。
数日後、重田がインフルで一週間休んだ時甲斐くんを思い出したのは、俺だけの秘密である。
となりの怪異くん ももも @momomo24
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