冬の光

有未

冬の光

 ――また、夢をみていた。もう諦めよう。そう思っているのに、思いに反して心が夢をみてしまう。私は自分の気持ちを切り替えて、クリスマスの色が溢れる街へと出掛けた。


 今日は、十二月二十五日。クリスマスだ。クリスマスケーキを二十四日に食べるのか、二十五日に食べるのかで、私は毎年、悩んでいた。今年は十二月二十五日の今日、お付き合いをしている、いわゆる彼氏が仕事終わりに私の家に来るというので、クリスマスケーキを用意しておくことにしたのだ。


 手作りする方が良いのだろうかとは思ったが、私は特別に料理が得意な方ではないし、私が作ったケーキよりも市販のケーキの方が確実においしいと思い、こうして買いに繰り出した。スーパーのだけれど。そう、心の中で独り言を思う。ケーキ専門店とかに行くべきなのかもしれないが、生憎と近所にそんなものはない。なかなかの田舎のこの町では、スーパーが家の近くにあるだけでもありがたい話だ。


 クリスマス当日の午後五時過ぎ、スーパーは割と混雑していた。この町にこんなに人がいたのねと驚いてしまうくらいには。シャンシャンと高らかに鳴るクリスマスの音楽、いつもよりも多く陳列されたチキンやお寿司、いつもより多い人出。もう、本当にクリスマス一色だった。私はそんな背景に少しばかり圧倒されながらも、シンプルなチョコレートケーキを二個と、骨付きのチキン、赤ワインを買い物カゴに入れて会計に向かった。


 会計を済ませてスーパーを出ると、来る時よりもひんやりとした空気が私に触れた。冬だ。そう思いながら何とはなしに空を見上げると、誰かの忘れ物のような一番星がきらきらと光っていた。一人、家路を辿る。もしかしたら彼はもう来ているかもしれない。スマートフォンでメッセージを確認することがやや億劫で、確認しないまま、私は急ぎ足で歩いた。


 自宅のマンションの下に着くと、ちょうど彼がエレベーターに乗ろうとしているところだった。


「よ」


 その一音だけ彼は発して、軽く手を上げて見せた。


 私が彼に近付くと「おかえり、理子りこ」と彼は私に言った。私は「うん」と言って持っていたエコバッグを彼に掲げながら「ケーキとか、買ったんだよ」と付け足した。


「理子がケーキとお酒は用意するって言ってたから、俺はお菓子を持って来たよ」


「ありがとう。お仕事帰りに買ったの?」


「うん。仕事先の最寄り駅にある、お菓子屋さん」


 私達はエレベーターに乗り、五の階数を押して見つめ合った。彼はポンポンと私の頭の上に手を置き、ただにこにことしていた。だから私も鏡のように、にこにことしてみた。それだけで私は心が温まるのを感じた。


 いつもの音がしてエレベーターは五階に辿り着き、その扉を開く。私が家の鍵を片手に歩き出すと、その後を当たり前のように彼が付いて来る。そのことが、どうしたって私の心を温めて行く。


「ただいま」


「おかえり」


 私達はまるで約束のようにそう言い、部屋に入る。手を洗って、うがいをして。エコバッグの中から私は買って来たものを取り出す。彼も小さなエコバッグからお菓子を取り出す。たちまちにテーブルの上がわいわいがやがやといった感じに賑やかになった。


「チキン、温めるね」


「うん。グラスある?」


 私と彼は共同作業のようにクリスマスを祝う準備をした。否、それは建前かもしれない。私も彼もクリスマスに愛を確かめ合うきっかけを求めているだけで、特別な祝福など持ち合わせてはいないだろう。それで良いのだ。付き合って初めて迎えるクリスマスというこの日に、ただ私達は心の中を見せ合いたいだけなのだから。


 カンパイ。私達二人はそう言って、赤ワインが揺蕩うグラスを合わせた。小さな鐘の音のような音が鳴り、今のこの場を祝うように私には聞こえた。私は骨付きのチキンを如何にして可愛く食べるかを思案したが、すぐにそんなことはしなくても良いという結論に至り、それでも控えめに口を開けてチキンを食べた。少しスパイシーな骨付きチキンはとてもおいしい。見ると、彼もおいしそうにチキンを食べていた。


「おいしいね」


 私の言葉に彼が私を見て、うん、と言い、頷いた。添えてあったミニトマトの真っ赤さにも負けないくらいに私の心は赤く熱を持っていた。


 私達が付き合うようになったのは、大学の同窓会がきっかけだった。私は行くかどうか迷っていたのだが、友人が「理子が来るか気にしてるよ、城田しろた君」と教えてくれて、私は参加を決めた。城田しろた広一こういちは、在学中に私と隣の席になってから良く話すようになった人だった。お互いに付き合うというところまでは行かなくとも、講義の合間に雑談をしたり、時々はお昼ごはんを一緒に食べたりする仲になった。その頃には連絡先を交換していたのだが、私から好意を明確に伝えることはなく、彼の方からもそれはなかった。


 卒業して三年後に開かれた同窓会で、私は彼の姿を探していた。広めの居酒屋で彼は私を見て、手を上げてくれた。私は大学でのように彼の隣に座ることが出来た。話は弾んだ。私は梅酒のソーダ割り、彼はビールの後に日本酒を飲んでいた。


 大学でのことや、近況をお互いに話す頃、私はどうしようもなく彼に惹かれていた。大学を卒業すれば、彼の隣に座ることは当たり前のようになくなった。今日の同窓会が終われば、また彼の隣の席はなくなってしまう。そう思い、私は彼と一緒に駅までの道を歩いた。改札を通る前に、言わなくては。私は駅前で立ち止まり、意を決して「城田君」と彼を呼び、顔を上げると、彼と目が合った。「あの」としか私は言えず、次の言葉を探していた。好きです、付き合って下さいと言わなくちゃ。そう思っても、声にならなかった。ただ、顔に熱が集まって行くのが分かった。早く、言わなくては。焦る私に、彼が言った。「好きです、付き合って下さい」と。私は気が付いたら涙を落としていた。嬉しかった。彼も私と同じ気持ちだったのだと。これからも彼の隣にいられるのだと。


「どうかした?」


 はっとして私が彼を見ると、彼はチキンを片手に私を見ていた。


「いや、あの。幸せだなあと思って」


 私が言うと、彼がにこと笑った。


「俺も。理子が俺と同じ気持ちで良かった」


 その言葉に、自然と私もにこと笑った。


 ――私達は幸せなクリスマスを過ごした。チキンを食べて、ケーキを食べて。彼の買ってくれたお菓子は食べ切れなくて、また今度だねと笑って。お風呂に入って、髪を乾かして。ベッドに入って、照明の明るさを弱くして。きっと、幸せだった。


 私がふと目を覚ますと、まだカーテンから光は洩れていなかった。今、何時だろう。そう思ってスマートフォンを探そうと手を伸ばした時、隣に彼がいるのが分かった。そうだ、クリスマスで彼が来てくれたのだったと、私は寝惚けた頭で思った。スマートフォンでそっと時間を確認すると、深夜三時過ぎだった。私はスマートフォンの明かりを消して、元の位置に静かに戻した。


 私は目を閉じる気持ちに何故かなれず、弱く光っている天井の照明器具を眺めた。弱くとも確かなその光に、私は心の内側が照らされているように思った。


 私が子供の頃、クリスマスイブにいちごの載ったホールのケーキを母は買ってくれた。私と弟はそれを見て喜び、その様子を母と父が笑顔で見ていた。翌日の朝にはクリスマスプレゼントとして、私にはぬいぐるみや文房具のセット、弟には漫画やゲームのソフトがそれぞれの枕元に置かれていた。私も弟も、とても嬉しかった。そんな思い出を、思い出す。


 母も父も弟も、皆、生きてはいるのだろう。しかし、私にはそれを確かめる術がない。連絡先はスマートフォンに入ってはいたが、メッセージにも電話にも応じない三人に私は希望を持つことをやめ、この家に引っ越してから私は三人の連絡先を消した。私が実家を出る頃には、家族間の会話はほとんどなく、事務的なものになっていた。私はもう、此処にはいられない。そう思い、引っ越しを決めた。其処に後悔はない。ただ、さびしさが根を張り、私の足元で花を咲かせる。それを見て、私は動けなくなってしまう。今日のように。


 其処まで考えて、もう仕方のないことだと、私は何百回と考えたことを考える。個の人間同士、相性というものもあるだろう。昔が幸せだったからと言って、ずっとそうだとは限らないのだ。だから、仕方がない。


 不意に、隣で眠っている彼が身じろいだ。布団から片手が出てしまっている。その手に私はそっと自分の手を重ねてみた。まるで羽のようだと思った。彼の手は温かく、その体温が私に私を取り戻させた。私は静かに目を閉じて、眠りを追い掛ける。その時、彼が私の手をぎゅっと握った。私は、泣きそうになりながらその手を握り返した。


 翌朝、仕事に向かう私達は一緒に身支度をした。彼が買ってくれたお菓子を少し、私はバッグに入れる。お昼休みに食べようと思うんだと私が言うと、俺も持って行こうと言って彼も鞄にお菓子を入れた。お揃いだねと私達は笑った。


 二人で一緒に家を出て、エレベーターで下に降りると、早朝の冬空に太陽がさんさんと光っているのが分かった。


「今日は割と暖かいかもね」


「そうだね」


「良かった、寒いの苦手だから」


「じゃあ、駅まで手を繋いで行こうか」


 ほら、と彼が私に手を差し出す。私は少し照れながらも、彼と手を繋いだ。其処から伝わる確かな体温が、私を太陽のように照らす。そのことが、私はどうしようもなく嬉しかった。


 私は、もしかしたら彼に自分の家族のことを話すかもしれない。もうすぐ年末と年始が来る。私はもう、実家には帰れない。この家が、私の暮らす場所だ。私は彼と歩きながら自分の家を振り返る。


「どうした。忘れ物?」


「ううん。何でもない」


「そっか」


「うん」


 私は、子供の頃の思い出を大切にしているに過ぎない。そうしながら、私は歩き出している。いつか、自分の家族とまた会える日が来るのかもしれない。それがどんなに夢に近いものだとしても、私は本当は希望を持っていたいのだろう。未練だと、誰かに言われるとしても。


「広一君」


「ん?」


 彼が私に目線を合わせる。


「いつもありがとう。私、本当に嬉しいよ。一緒にいられること」


 私が思い切ってそう言うと、彼が目を少し細くして笑った。


「こちらこそありがとう。俺も嬉しいよ、一緒にいられること。ずっと一緒にいようね」


「うん」


 私達は笑顔だった。きっとお互いに、まだ知らないこともあるだろうけれど。少しずつ、話して行きたい。今までのことと、これからのことを。


「理子」


「なあに」


「好きだよ」


「私も」


 私達は歩いて行く。巡る季節の中を。

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